第六十七話
斬るのではなく、突く構え。
ファルシコーネにその動きは捉えられない。
ただルナーとトマリだけが。
刀の切っ先がトマリの心臓を捉えた、と思った瞬間。
――キィィィン………
刀の先が捉えたのは、トマリの心臓ではなく、一挺の銃だった。
もちろんその銃を握るのはトマリの手だ。
いつかの再現のように、ルナーの刀を銃で防ぐトマリ。
「そうだ」
嬉しそうに――いや、楽しそうに、か……――呟いたのはルナー。
トマリは無表情の仮面を失っていた。ただ焦るように刀を受けて呻くだけだ。
「次、行くぞ」
ぽつりと洩らし、またルナーの姿は常人の視界からかき消える。
次の瞬間には、首を狙ったルナーの刀と、それを防ぐトマリの銃が交差していた。
「まだだ」
言って、さらに攻撃を繰り出す。今度は、刀を真上から振り下ろす。
それをまたトマリの銃が防ぐ。
行き先に流れきらなかった力は反発し、ルナーの体を瞬間だけ浮かす。
それを機と見たか、トマリは力任せに刀を弾いた。
「くっ………」
ルナーの体が吹き飛ぶ。
それを見てトマリははっとした。
しかし、真っ直ぐ壁を目指すかと思われたルナーの体は、体勢を崩すこともなく膝をつくように床に着地した。
すぐに立ち上がったルナーは、トマリを挑発した。
「どうした、攻撃すればいい。ただ防いでいては死ぬことになるぞ。私はおまえを殺すつもりでやっているからな。たかがヒトと思って侮るなよ? おまえはヒトよりちょっと能力があるだけの『たかが』化け物だ。ヒトにはおまえの知りたがった『力』がある。それを忘れるな!」
ルナーの叱責するような言葉に、トマリは銃を構えた。
「そうだ。それでいい」
弾道はルナーの頭に向かっている。それをルナーは嬉しそうに笑う。
銃弾が放たれた音は、麻痺した空間にはたいして効果をもたらさなかった。ただ、その音を聞く人間によっては違うだろうが。
ルナーは刀を地面に対しても、弾道に対しても垂直に構えた。本来そんな構え方などない。ただ、銃弾の力を流すに適した構えなだけだ。
――キィンッ
澄んだ音をたてて、銃弾は綺麗に真っ二つに分かれた。
断面を付ければ再びもとの形を表すだろう。そんな切れ方だった。
言葉をなくすトマリに、ルナーは間を置かずにすかさず疾った。
ルナーが刀を傾ければ、トマリは狙われる場所を予想して銃を盾にする。しかし、それは無意味だった。
ルナーはトマリが思ってもみないことをした。完全に予想の外だった。
――ばきぃっっ!
刀を捨てての右ストレートは、綺麗にトマリの左頬を捉えていた。
予想もしていなかったのだから、もちろん受け身も取れないトマリは、そのまますぐ後ろの壁に背を強かに打ち付けた。
「………ぐッ」
息が詰まったトマリは、そのまま激しく咳き込んだ。
そこへルナーはつかつかと歩み寄る。
座り込んで咳をしているトマリの目の前に膝をついてしゃがむ。
「けほっ、………?」
不思議そうに自分を見つめるトマリに、ルナーは腕を振りかぶった。
「っ!」
人体の構造上、反射的にトマリは目をつぶったが、思っていた衝撃は来なかった。
かわりに、頬を軽くはたかれた。拳ではなく平手で。
「?!?!?」
目を開いてキョトンとするトマリをじっと見て、
「………クッ」
ルナーは笑った。
「ククッ、クは……あはははッ………」
ひとしきり笑った後、ルナーはまた、じっとトマリを見つめた。
そして、
「馬鹿が。私をさんざん心配させた罰だ」
ふんっ、と鼻を鳴らすルナー。
視線も顔付きも言葉も、完全にトマリを馬鹿にしきって揶揄している。だが、不思議とその声からは嫌な感情は伝わらない。
それからしばらく、思い付く限りの罵詈雑言をトマリに浴びせたルナーは、不意にニヤリという形容がぴったりな笑みを浮かべた。
「………!」
なぜかその笑みに、ひどく心を惹かれた。
ずっと欲しかったはずの、『あの』笑みではなかった。
むしろ、属性が対極にあると言ってもいい。
なのに、こんなにも惹かれる。どうしようもなく。
トマリの中に、色んな複雑な感情と、そして純粋な驚きが満ちていった。
それは思ったよりも悪くない。
これはルナーを想う、自分の心なのだ。
愚かだ。醜い。だが、それだけではない。
「……お前、頭いいクセにときどきバカだからな。きっと『私のためにならない』みたいなこと考えたんじゃないか?」
絶句するトマリに、『図星か? ホントにバカだな、お前』と笑みを深くする。
その笑みは、たったいま、自分に向けられている。自分にのみ向けられている。
その事実は、どんな奇跡よりも嬉しいのだと、自らをこんなにも幸福にするのだと。トマリはその想いを噛み締めた。
トマリは、ルナーには敵わないのだな、と自分も微笑みながら思った。
だが。
「ルナー、………ルナー!?」
ぐらりと傾いだルナーの体。そのまま前方に倒れて、咄嗟にトマリが抱き留めた。
まぶたは硬く閉じられていた。