第六十六話
一歩……また一歩……。死神は歩み寄ってくる。
彼が一歩下がる。死神は一歩迫る。
彼がいくら下がっても、両者の距離は開きはしない。
彼は恐怖に歪んだ視界で死の象徴を見上げた。
死はすぐ目の前まで迫っている。
必死で銃を向け、引き金に指をかける。
指がカタカタと震えるのを抑えられない。自分でも滑稽だと思うが、それでもどうにもならないのだ。
自覚もないままに、引き金にかけた指を引いていく。銃を必死で握り込むように。
ギリギリと、ゆっくり均衡は失われていく。
そして、ついに崩壊した。
――パァァンッ
弾けてしまった均衡の欠片は、死神の頬に赤い線を残し、髪をほんの少しだけ切り裂いた。
反射で閉じていた目を開き、死に神はどこまでも静かな目で彼を見つめた。
そこにはなぜか、哀れみが――いや、悲しみが覆っていた。
――死神は、悲しそうだった――
死神の悲しみを見た、と彼が思ったのもたった一瞬。
次の瞬間には死神は体を大きく捻り、彼の懐に飛び込んでいた。
あっ――、そんな声が脳裏にひらめいたか否かの短い時の流れで、いつのまにか刀の柄頭は吸い込まれるように彼の鳩尾にのめり込んでいた。
「かっ、は―――」
漏れたのは、声になりきれぬ呻きだけだった。
「……よかったんですか? あれで」
そう言ってファルシコーネが顎で示した先には、動きを完全に奪われたシンヴァール侯爵が転がされていた。
問われたルナーは、ほんの少し考えるようにしてから、苦笑して首を振った。
「やはり……殺すべきなんだろうか。これから先の憂いを断つためには」
「さあ……どうするべきかは、あなた次第ですからね」
「そうか……」
呟いたきり、ルナーは口を閉ざした。
しばらく考え込んでいたようだったが、やがて何かを決心したように顔を上げた。
トマリに向き直って、先程の問いを、また繰り返す。
「……なぜ、私から離れようと思った? そばにいられないというのなら、なぜそばにいられないのか……それをはっきりと答えろ」
「―――……」
トマリは押し黙っている。
痺れを切らしたように、収めていた刀をまたも抜き放ち、トマリの目の前に翳す。
「さあ、問いに対する答えは? さあ、トマリ=クルーエル」
「…………」
それでもなにも言わないトマリを見て、いったん刀を引いた。
ファルシコーネがほっと安堵する暇もなく、構え直して今度はトマリに向かって疾った。
肩の高さに掲げた刀は、地面と水平に体を突き刺そうとしている。
狙うのは――トマリの心臓。