第六十五話
刀を抜いたルナーは美しかった。
まるで刀を持つために、戦うために生まれてきたと錯覚するほどに、ルナーと刀はひとつだった。
鏡のように美しく光る刃は、侯爵の目の先一寸に迫った。
ルナーは足音をたてることなく、優雅に侯爵に近付いていった。
そして、自らの祖父が持つ銃を見てぽつりと、
「……本当にそんなもので私たちを殺せると思っているんですか?」
がっかりしたような、軽蔑しきったような呟きを洩らした。
「なっ………」
侯爵は狼狽しきって何か言葉を探すが、それが見つかる前に、ルナーはさらに言った。
「そんな銃でも、私は死ぬでしょう……殺傷能力だけで言えば。ですが……私はあなたに殺されてあげるほど優しい人間ではありませんから、生憎と」
どんな手段を講じても防ぎますよ……。
そう付け加えられた言葉に、侯爵は哀れなほどに動揺した。
自分は殺されるのではないか……今までさんざん、飽きるほどに人を殺めておいて、そんなことを思う。
他人の傷に鈍感な人間は、想像力が欠けている。
自分がこうなったらどう思うだろう、どう感じるだろう、……そういう想像ができないのだ。だから平気で他人を傷付けられる。
だが、それとはべつに、他者の傷を、痛みを、充分に分かった上で傷付ける人間もいる。
この場合は痛みを理解した上で、その痛みをわざわざ与えてやろうという、まるで快楽殺人者のような考え方をする人間のことではない。全ての痛み、苦しみ、恨みを、全て受け止める覚悟をした上でなお、傷付けるという選択しかできない人間のことだ。そういう選択を、なかば強いられてきた人間のことだ。
侯爵は前者で、ルナーは後者だった。
だからこそこの場で、侯爵は追いつめられ、ルナーはゆとりを持っていられる。
全てを背負うと決めているからこそ、そのうえで他者を殺めるという、いわば最終手段を行使できるのだ。
そして今、まさにたった今。なんの躊躇もなく自分の顔先に刀を突きつけたルナーを見て。
彼は――侯爵は実感する。
彼女という、たった一人のうら若き華奢な女性――しかも、彼の実の孫なのだ――に対峙することはこんなにも恐怖を呼び覚ますのだということを。
幾人彼女に命を絶たれただろう……幾人彼女と対峙しただろう……。その全ての人間は、こんな恐怖を味わっていた。
それを、思い知る。
自らが育てた暗殺のための人形。
そのはずだった彼女は、操り糸を切って、持ち主だったはずの彼自身に刃を向けた。
彼女は、人形ではなかった――少なくとも、大人しく操られているだけの人形では。
じわり、じわり……一歩ずつ歩みを進めるルナー。
その距離はタイムリミット。
侯爵に死が訪れるまでの時間を表した距離。
明確すぎるカウントダウンに、侯爵の手は必死に銃を握りしめ、カタカタと震えた指で引き金を引き絞る。
ルナーが一歩近付くたびに、ほんの1ミリにも満たない分だけ引き金は引かれていく。
自己紹介ページにも書いた気がしますが、最近ブログを始めました。
まだまだぼんやりとした感じですが、よければどうぞ。
URLはhttp://vergiftung.jugem.jp/です。よろしくお願いします。