表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/82

第六十三話

 ……感じる。すぐ近くにルナーの気配を。術などわざわざ使わなくても伝わってくる。

 逢いたいが、逢いたくない。逢いたくないのだ。逢えばまた、あの愚かな感情は甦るだろう。

 だが、これは『やらなければいけないこと』だ。

 当主の……強欲なあの人間のそばに行かなければ。

 深く息を吐いて、立ち上がる。部屋を出て静かに当主のそばに立つ。

「……すぐ近くまでいらっしゃっていますよ。貴女の会いたかったお嬢様が」

 そう告げると、侯爵はニィッと笑った。はっきり言って生理的嫌悪が込み上げてくる。嫌な笑みだ。

 その醜悪な笑み。冷静で冷徹で冷酷な君臨者の仮面は剥がれかけている。

 侯爵はもうトマリが裏切ることなど考えていないのだろう。振り返ることもしない。

「……来ました」

 その言葉と同時に、ドアの軋む音が静かな室内に響く。

 入ってきた者の姿に、白く痛々しい包帯に、きらめく烏玉ぬばたまの髪に、油断なく構えられた足に、刀の柄に添えられた手に、そして、燃え上がる強い意志の宿った瞳に。

 ルナーの持つ全てにトマリの感情は落ち着きなく騒ぎ出す。

 あの華奢な体を抱き締めたい。

 あの瞳に自分だけを映したい。

 どこかに閉じ込めて自分だけのものにしたい。

 ……解っている。それが愚かな願いであることなど。月は太陽の光を浴びないと輝かないのだ。そんなことはとうに知っている。

 だが、それでも願ってしまうのだ。ルナーリアという人間のすべてを手に入れたいと……。



 部屋の――いや、一族すべての――主を認め、ルナーは軽く頭を下げた。

「ご無沙汰しております、侯爵」

 内心の恐怖を欠片も見せずに堂々と挨拶をしてみせる。

「おお、懐かしいなぁ、ルナーリアよ。儂の愛しい人形よ……よく帰ってきた」

 ルナー自身はその言葉になにも感じなかったが、トマリはなぜか少しだけ顔をしかめたように見えた。

「お言葉ですが……私は帰ってきたわけではありません。私の用件は……そちらにいるトマリ=クルーエルです」

 侯爵は柔和な笑みを浮かべている。その笑みは仮面のようにまったく変化がない。

「さて、儂が雇っている男だが……彼がどうかしたかね?」

 言葉のひとつひとつに、その態度に、笑みに、仕込まれた毒はじわりとこちらを浸食する。ファルシコーネは老人を一瞥しただけで、辟易したように視線を逸らした。

「彼は、彼自身の意思で儂のもとへ来た。それを、おまえがどうこう言ったところで、変えられはしまい?」

「ええ……ですが、その理屈は通りません」

 侯爵の仮面にほんの僅か変化が現れた。

「なに……? それはどういうことだ、ルナーリア」

「もともと彼を雇っていたのは私です。依頼の書類も、もちろんあります。私の依頼が果たせないまま、貴方に雇われることなど、できるはずがないでしょう?」

 ルナーは静かに笑みをこぼしている。この辺りは『血』を感じるファルシコーネだった。

「……ならば、二人が儂のもとにいれば解決するであろう? もう一度、儂のもとへ帰ってこい。おまえは殺人人形なのだ。あのような光の世界では暮らせない……そうだろう?」

「貴方のもとにいては、私の依頼は永遠に果たせない。だから私はここへ来た。トマリを取り戻すために」

「儂のもとにいては果たせぬ依頼とはなんなのだ? ことによっては、儂がこの男のかわりに果たしてやろうぞ。今のこの男の雇い主は儂なのだからな……」

「…………」

 ルナーはただ苦く微笑むだけだった。

 ファルシコーネは、ルナーの依頼の内容は知らない。だからただ、傍観者に徹するしかなかった。

「帰ってこい、ルナーリア。幼い頃の日々を忘れたというのか……?」

 猫なで声のようだが、その声にはやはり毒があった。

 ずっと無感情に前を見据えていたルナーは、侯爵の次の言葉に目をみはった。

「幼いおまえに古い歌を教えてやったのは儂だぞ……おまえは覚えていないようだがな。何度も何度も歌ったのだろう? 月の欠ける崩壊の歌を……」


 ……愛しい子らよ、目覚めなさい

 安寧の眠りは終わりを迎えました

 空に輝く月は、あなた達の揺りかご、あなた達をいだく(かいな)

 その月はいまや欠け、あなた達は目覚めと旅立ちを迎える

 ぬるま湯に浸かるが如き、母のなかに揺られるが如き眠りは終えました

 安穏の日々から、苛烈の日々へと身を投げなさい

 愛しい子らよ、旅立ちなさい……


 毒は、じわりじわりと、浸食する……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ