第六十二話
「クルーエルも同じなんですよ。あいつも闇の住人です。自分のことをヒトではないと思っているのですから、もしかしたら誰よりも深い闇に生きている……。貴女が光の世界を夢や幻と感じるように、クルーエルも感じています。所詮自分はヒトではないと、違う世界に生きるモノなのだと。
でも、貴女が闇からクルーエルを引っ張り上げた。貴女がいるからクルーエルはまだ光の世界で生きていられる。貴女以外には何の執着もないあいつのことです。すぐにでも闇に還ることができますよ。それをしないのは……貴女がいるから。貴女がクルーエルに、光の世界にいたいと思わせているんです。貴女と同じ世界にいたい、と。
貴女にとってクルーエルが光と闇の中継点であり、命綱ならば、クルーエルにとっての貴女もまた、同じなんですよ。もしかしたら、あの男にとって貴女は『光』そのものかもしれませんけどね」
急に眩しい光を当てられたように、ルナーは何度も瞬きをした。
そして――ルナーは、自嘲の笑みを浮かべて呟いた。
「私は愚かだな……トマリに寄り掛かってばかりで、トマリの何も見えていなかった」
「え?」
「私はいつもトマリに助けられていた……。いくつもの言葉であいつは私を救い、常に守ってくれていた……だが、私は……」
「違いますよ、ルナーリアさん。貴女は一方的に守られていたわけじゃありません。貴女の言葉がトマリを救ったこともあるはずですよ」
悔いるように顔を歪めるルナーに、ファルシコーネは必死に解らせようと言葉をかける。
だが。
「違う……違うんだ。私は、本当は……理解しようとしていなかった」
「え……。な、何を言うんです? 貴女はいつも、」
「私は!」
ファルシコーネの言葉を聞きたくないというようにルナーは首を振る。
「私はトマリが怖かった……。同じ闇に生きながらも、私なんかよりもずっと深く、遠い場所に生きるトマリが――」
言葉を切り、唇を噛み締める。目尻にうっすらと涙が浮かぶが、泣くことも自らに許さないように、ただ堪え続ける。
「貴女が怖いと思うのは、何故ですか――?」
ふいにファルシコーネが暗く沈んだ声で尋ねた。ルナーが今まで聞いたことのない声だった。
「な、に……? どういう意味だ?」
理解できずに聞き返すルナーに、すぐさま言葉を返す。
「貴女が怖いのは何ですか? クルーエルと同じ闇を知ることですか? 闇から抜け出せなくなることですか? それとも、クルーエル自身を異形のモノのように思いますか……?」
責めるような問いを矢継ぎ早に繰り返す。睨むように視線は鋭く、ルナーの答えひとつをただ求めている。その答えによってどうなるのか、ルナーは思わず気圧された。
だが、ルナーはゆっくりと首を横に振った。
「私が怖いのは……そんな事じゃない。私が怖いのは、あいつの闇を――苦しみや辛さを理解できないことだ……。同じ深さまで沈んで行けないことだ。あいつの凍えた心を暖めてやることもできない……それが怖い。何もしてやれないことが、苦しい……!」
痛みに顔をしかめるように、どこか遠くを見つめるような顔付きをする。
答えによってファルシコーネが何を言うのか、どう思うのか。そんなことは考えていない。
ただ素直に、自分の背負った荷を、苦しみを他人に訴えるように、心情を吐露しているだけ。
だがそれでも、その荷を手放す気はない。苦しみを預けようとはしない。自らの望みによって。その荷が、苦しみが、望む場所へ連れて行くと思っているかのように。
「なら……大丈夫ですよ」
ファルシコーネはまた、諭すように言葉をかける。
「貴女は、同じ場所にいてはいけないんです。同じ場所にいたら、ただ傷を舐め合うだけになってしまう。クルーエルが貴女に望んでいるのは全てを救うことじゃないと思いますよ」
立ち止まり振り返る。
「同じ場所にいないからこそ、高い場所からクルーエルを引っ張り上げることができるんです。クルーエルの心が凍り付いていても、貴女が暖かさを知っているなら、いつか氷は溶けるでしょう。全てを理解するなんて、誰にもできないんです……たとえ、『月の歌姫』でも」
「!?」
「『月の歌姫』のように光しか知らない人間ではいけない。でも、深すぎる闇を知っている人間でもいけない。痛みを全く理解できないなら、その傷を癒すことはできません。でも、自分が傷だらけでも、相手の傷を癒すことはできません……貴女だから、今のクルーエルの傷も癒すことができるんですよ」
ヒトであった頃の傷よりも、ただの魔物であった頃の傷よりも、今のトマリの傷は深い。でも、それでも癒そうとする心があれば。
「大事なのは解りたいと思う心ですよ。貴女が強く思えば、クルーエルはきっと分かります。貴女がクルーエルを癒そうと思う心が、クルーエルを救うんですよ……きっとね」
そう言うファルシコーネも、きっと本当はトマリを救いたいのだろう。なんだかんだ言って、長い付き合いの二人だ。トマリの傷を最も近くで最も長く見てきたのはファルシコーネだ。
だが、トマリの深い場所まで近付くのを許されたのはルナーただ一人だ。ファルシコーネはルナーに託す以外にないのだろう。
最後の最後で茶化して笑ったが、眼は悲しそうだとルナーは思った。
「……そう、だな。すまない、ここまで来て変なことを言って」
「いえいえ。これでも一応は医者ですからね。人々を楽にしてあげるのが私の仕事なんですよ」
ルナーは頷きながら笑った。
「ふっ……そうだな。とんだ名医がいたものだ」
二人で笑いあってまた歩き出す。
今までずっと話しながらも歩いてきたのだ。目的の場所にはすぐに着いた。
他の部屋と比べて造りがしっかりした扉が固く閉ざされている。間違いなく扉の向こうが当主の私室。
「ここに、侯爵が?」
「ああ。きっと……トマリも」
応えて、深呼吸する。長い間恐れていた祖父がすぐ近くにいる。呪いのように体に染みついていた恐怖は簡単には拭えない。
だが、恐怖を上回る強い意志が今のルナーにはある。
必ずトマリを連れ戻し、自分達の『家』に帰るのだ。自分達のあるべき姿に還るのだ。
そうして、ゆっくりと扉に手を掛けた。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
なかなか進まず、迷走してばっかですみません。
あとちょっとです! ラストスパート入ってますから! でもそのラストスパートの距離が分かりません(我ながらそれはどうなの?)
頑張ってます。
更新の早さが上げられればいいなぁ、と思いつつ。
それでは、次もどうかお願いします。平に、平に。