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第六十話

 ルナーは亡霊のように彷徨い、さらに命を求める。

「もっと、命を……私を、満た、せ……ぐっ」

 だが、ふいに低く呻き、刀を支えにして床に膝をついた。

「ルナーリアさん!?」

 今のルナーに、もう恐怖は感じない。今のルナーはただ、傷付いた体を支えるので精一杯なだけの、満身創痍な人間だ。

 額には脂汗をかき、顔の色がだんだん青く、そして色を無くして白くなっていく。唇や爪の色が青みがかった紫色をしている。

 かなり危険な状態だが、それでもルナーは命を求めた。

「くっ……まだ、だ……まだ、足りない……もっと、命、を………」

 意識を失いかけているはずなのに、何を馬鹿なことを。

 ファルシコーネは、もう完全にルナーに恐怖など感じない。

 今の状態がひどく危ういのは解る。それは、体の状態が、ではなく、精神の状態が、だ。このまま人知を超えた得体の知れない領域へ行ってしまうかのような危うさだ。

 だが、それに恐怖など感じない。今のルナーは、その領域を目指すことを自らに課した義務のように、または、そうすることで自らを保っているような、幼子のような必死さと危うさにあるのだ。

 ならば、そのように対応しなければならない。

 幼子に自分のしていることの危険さを諭すように、ルナーにも別の道を示してやればよい。

 そう解ればあとは簡単なことだった。

 自分は医者だ。心神を喪失した患者にすることはなんだ? 自らを見失い、迷っている人間には何を?

 ファルシコーネはつかつかとルナーに歩み寄り、その目の前に立ち塞がった。膝をついているルナーに目線を合わせてしゃがむ。

「ルナーリアさん、私が解りますか?」

 真っ直ぐにルナーの眼を見る。

「どけ……おまえに用はない……それとも、殺されたいか?」

 ルナーは嗤って、低く呟くように脅すが、ファルシコーネはそれに耳を貸しはしない。

「私が解りますか? ちゃんと私の目を見てください」

 言って、むりやり両手で顔を挟んで視線を合わせた。

 そして、ファルシコーネは三度目の問いを発する。

「私が解りますか? そして、あなた自身が解りますか? トマリ=クルーエルのことは解りますか?」

 問いのすべてに反応はないが、ルナーは反抗する素振りも見せずにファルシコーネの眼を見ている。

「貴女はなんのためにここへ来たんですか? ここへ戻るためでも、まして、自分の敵を求めてでも無いはずでしょう? クルーエルを……トマリ=クルーエルを取り戻すためでしょう!?」

 ぼんやりと感情の無かったルナーは、初めて反応した。驚いたように体を震わせて、ぽつりと呟く。まるで意味の無いかのような呟き。

「トマリ=クルーエルを……とりもどす………」

 ファルシコーネはその反応に力を得て、さらに言い募る。

「貴女が欲しい命は――貴女が満たされる命は、トマリ=クルーエルのものだけなんじゃないんですか?! こんなどうでもいい人達をいくら殺したって、貴女が満たされることは永遠に有り得ませんよ!」

 答えは簡単だ。迷っている人間には、明確な答えを示せばいい。たとえそれが無茶苦茶でも、間違っていても、ほんの僅かでも導きを与えればいい。

 そうすれば、あとは、

「トマリを……取り戻す……私のもとへ、私たちの『家』へ………」

 患者自身がちゃんと自分の道を見つける。

 人間は存外したたかにできている。自らを救う方法を、自らの進むべき道を、ちゃんと見つけられる。

 自分のやりたいことは、自分にしか解らない。ならば、解るように仕向けるだけなのだ。

「今度こそ……逃がさない。私に何も言わずに、私から逃げたことを、後悔させてやる……!」

 黒き瞳はもう美しく輝いている。以前のように、もしくは以前以上に。皓々と真っ赤な炎を宿して生きている。


「ルナーリアさん、体の方はどうですか?」

 返ってくる言葉を、なかば予想しながらもファルシコーネは尋ねた。

「ああ、大丈夫だ。大したことはない」

 やっぱり……。

 心のなかで呆れ返りながら呟いた。

 一体なにが大丈夫だというのか。大したことない箇所などどこにもない。

 精神の昂りからか、たしかに血色はさっきよりはいい。だが、脂汗は増える一方だし、時折痛みに顔をしかめている。

 本当に、どこが大丈夫なのかと問い詰めたくなる。

「まったく……仕方ありませんねぇ」

 溜め息をついて、ファルシコーネは医者としてできる限りの処置を施す。

 どうせ帰るという選択肢など端から無いし、放っておけば無理をするに決まっている。ならば、少しでもその無理に体がついて行けるようにするだけだ。哀しいかな、それがファルシコーネに与えられた役割なのだろう。

「それで、御当主はどちらにおいででしょうかね?」

「屋敷の最奥にある私室だろうな……あの人はいつもそこにいて指示を出すだけだ」

 それはそれは、解りやすくて結構なことだ。

 皮肉に思ったが、ファルシコーネは別の言葉を口にした。

「行き方は分かりますか? さすがに、自分の家のなかでは迷わないと思いたいんですが……」

 ルナーは顔を赤くして反論した。

「わ、私は道を覚えるのが少し苦手なだけだ! 家のなかで迷ったりするはずがないだろう!」

 だといいんですが……。

 ファルシコーネは賢明にも、コメントはしなかった。かわりに、怒ってさっさと先へ行くルナーを追い掛けた。

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