第五十五話
前回からの続きは後半らへんにあります。読みづらかったらすみません。
シンヴァール侯爵家本邸……その最奥に位置するのは、当主自身の私室である。
その部屋の主が作り出したかのような闇の中に、トマリも静かに佇んでいた。
「…………」
小さな物音に耳を澄ませるかのように目を閉じ、トマリはずっと探っていた。
やがて静かに目を開けて、すぐそばで椅子に腰掛けている雇い主に話し掛ける。
「――来たようですよ、大切なお客様が……この時間に来るのは、もてなすには少々適さないですがね」
含みを持って、薄い笑みとともに放たれた言葉に、当主も笑みを以て返す。ただ、その笑みの質は大分異なるが。
「時間通りだ、構うまい……今どのあたりにいる?」
当主の問い掛けに、トマリはそっと目を伏せて意識を遠くに飛ばした。呪文も媒介もなく、なんでもないように術を成し遂げる姿を見て、当主はやはり自分の判断は正しかったと、ひとり満足した。
意識が空気に溶けるように、風になったように、親しんだ気配を追って、一瞬で姿を捉える。
「ごらんになりますか?」
雇い主が無言で頷くのを見て、一瞬で姿見が現れる。そこには屋敷の前庭らしき場所が映し出された。そして、そこにいる人間も共に。
見えたのは、二人。
そのうちのひとり、刀を腰に帯びた女を見るやいなや、トマリは複雑な感情に駆られた。
なぜ来てしまったんだという苦悩、自分を追ってくれた嬉しさ――そして、ただその姿を見ることができた喜び。
「…………」
声にならない感情をなだめていく。全身を灼き尽くす焔から、静かに体を巡る血潮へと。
トマリは目の前にいる雇い主など関係なく、ただ一瞬でも長く彼女の姿を記憶に留めようとした。
その僅かな葛藤の間にも、トマリは決して感情を瞳にすら宿らせなかった。
彼女は、あっという間に銃を持ったうちのひとりを倒す。決して殺すことなく。そのまま次のひとりへ向かおうとして、振り向いた瞬間に体勢を僅かに崩す。
刹那の後、肩と脇腹と足から深紅が溢れたのを見て、銃で撃たれたのだと知る。
(―――ッ)
つらそうに顔をしかめる女を見て、トマリは息を呑んだ。思わず、その名を叫びそうになる。
だが、必死に衝動を押し止める。自分に言い聞かせる。あんな傷はなんでもないのだと……いや、彼女の傷など自分には関係ないのだと。
「ふん……あんな小物相手に怪我をしおって……かなり腕が鈍っているな、殺人人形め」
ぴく………。
侯爵の言葉に一瞬だけ眉を動かす。侯爵の視線は目の前の映像にのみ送られていて、それは気付かれることはなかった。
「そう、思わぬか……?」
喉を鳴らして毒を吐きながら嗤う当主に、トマリはただ追従の言葉を口にした。
「ええ、そうですね……」
侯爵はひどく満足そうに口の端を歪めた。
部屋のなかに満ちる、視覚に捉えることすらできそうな毒の霧に辟易しながらも、トマリは無表情に戦う彼女を見ていた。
「はぁあああッッ!!」
彼女は吼えた。
――彼女は獰猛な獣。
――彼女は優秀なハンター。
だが――、
獣が行うのは、あくまでも生き延びるための『狩り』であり、そこには、人間が邪魔なものを排除するために行う『暗殺』や『闇討ち』など決してありはしない。
あるのは、純粋な……生きる糧を得るために互いにすべてを懸ける『戦い』だけ。ただひたすらに、烈しい焔のように、危険で美しく、清らかなもの。
誰も向かってこないのを見て、彼女は自ら集団の直中に飛び込んだ。
無謀ともいえるルナーの行動に、残った七人は驚いて目を剥くが、果敢にも攻撃を仕掛けてきた。
「くっ……し、死ねェ――ッ!」
一人が大きく剣を振り上げる。
冷静さを失って素人のようにがら空きになった腹に、思いっきり蹴りを入れる。勢いで二、三人巻き込んで倒れ込んだ。ルナーは気付かなかったが、その後ファルシコーネが蹴りで吹っ飛んだ集団にそれぞれきっちりとトドメを刺し、どこから持ち出したのかロープで動きを封じていた。
「でやあぁぁっ!」
足を振り上げたままのルナーに、後ろから長剣が襲い来る。
真っ直ぐ自分めがけて振り下ろされる剣を、自らの刀を盾にするようにして弾く。その瞬間、闇の中に鮮やかな火花が瞬いた。
すぐさま振り向いて、剣を弾かれて隙だらけになった男の腹に柄頭をたたき込む。その男もやはりそれだけで昏倒した。
「はぁ……はぁ……」
怪我を負った事による体力の消耗は大きかった。普段なら汗もかかずにやってのけることも、今やれば肩で息をするようになる。
刀を持った腕には滝のように血が流れ、見ている方が目を覆いたくなるほどだ。他の二つの傷も、確実にルナーの力を、体力を奪っていく。
それでも一人、また一人と確実に仕留めていく。
ルナーが大きなダメージを与えれば、ファルシコーネがトドメを刺して――気絶させるだけだが――相手の動きをロープで封じる。
それぞれがそれぞれの役割を果たし、まるで仕事を片付けるようにテキパキとこなしていく。
異色ではあったが、なかなかのコンビネーションといえるだろう。
そして、最後の一人を気絶させ、ロープで縛る。
両手首を後ろで固定し、互いの背中が中心になるように輪を作るようにロープを巡らせる。これで目を覚ましても、そう簡単には行動できないだろう。
二人はやっと屋敷の建物のなかに侵入を果たした。