第四十九話
「―――っ!!」
ルナーは声にならない叫びを発して飛び起きた。
呼吸が乱れて、心臓は痛いくらいに鼓動が強く、速い。
まるで悪夢を見たかのような起き方である。しかし、怖かった記憶はない。自分でもなぜあんな起き方をしたのか分からないと、ルナーは首をひねった。
だが、どこか……哀しいような嬉しいような不思議な気分なのに気付いた。
ルナーはますます不思議がって首をかしげる。
だが、
「トマリ……?」
なぜかそう口をついて出た。
名前を呼んだ途端、哀しさや嬉しさが爆発的に体中に広がって涙が出た。
「―――っ?! なっ、なんで……」
理由は全く解らなかったが、一度溢れ出た涙は、川が決壊したかのように次から次へと止めどなく流れた。
涙が溢れれば気持ちはさらに膨れあがって、もう止められなかった。ルナーはただその涙を、トマリを思いながら流した。そうしなければいけない気がした。
外は真っ暗、時刻は深夜。立ち寄った街の宿屋でのこと。
黒い雲がすべてを隠すように空を覆い、冷たい雨がすべてを洗い流すように降る……寂しげな夜のこと。
やがて涙の止まったルナーはベッドから降りて窓際に立った。
窓の外には相変わらず雨が降っている。ルナーはすっと腕を伸ばし、その雨を手のひらに受け止めた。
「…………」
腕が疲れはじめても、そのまま動かさなかった。
手のひらには、雨水がたまっては零れていく。冷たくも、優しい雨が。
手のひらに雨を受けながら外を眺めるルナーは、静かな微笑を浮かべていた。慈しみと愛しさに溢れた、優しい笑みを。
「大丈夫………」
誰に言うでもなく、どういう意味かも明確でない言葉だったが、ルナーには充分だった。たとえ伝わらなくても届かなくても、それでよかった。
翌日の朝。
ずいぶんと半端な時間にまた寝直して、再び起きた時、外は明るく青空も見えた。が、晴れていながらも雨は静かに降り続けた。ルナーはまた窓に寄り、腕を真っ直ぐに外へ伸ばして手のひらで雨を受けた。
そう時間が経たないうちに止むまで、ルナーはずっと雨を受けていた。雨はもう、昨日のように冷たくはなかった。
トマリもどこかでこのお天気雨を見ているんだろうか、それかもしくは、ぼんやりと歩きながら濡れるのも気にせず浴びているのかもしれない。そんなことを思いながら空を遠くまで見ていた。
そんな風に時間を過ごしていると、背後のドアからノックの音が聞こえた。
「ルナーリアさん、起きてますか?」
ファルシコーネは遠慮がちに声をかけた。
「ああ、起きている。中に入ってくれ」
言って、自らもドアまで歩いていく。ファルシコーネが開けようとしないので、ルナーはドアを開けた。
「おはよう。何を突っ立っている? 早く中に入ってくれ」
「おはようございます。……ですが、女性の部屋に入るのは……」
渋る理由はそれらしい。男性も女性も関係なく生きてきたルナーにとっては、この上なく些末な問題でしかなかった。
「私は気にしないから入ってくれ……そもそも、そういうマナーができたのは女性が男性よりも非力だからだろう? そういうことなら私には関係ない。お前が何かしようとしてもお前が気付かぬ間に首を飛ばすから安心してくれ」
ファルシコーネはひきつった笑いを浮かべた。
「で、ですが……」
「早くしろ。何か用があってきたのだろう?」
「ええ。それはまあ……」
「なら入れ。さっさとしないと首を斬るぞ」
「……解りました」
大人しく部屋に入るファルシコーネ。だが、それでもまだ部屋のドアを開けておこうとするので、ルナーはもう問答をするのも面倒になって剣の柄に手を掛けて黙らせた。そしてドアを閉め、きちんと鍵をかけた。
「……それで? なにか情報でも?」
ドアノブに手を掛けたまま背後に訊いた。
「ええ。一応街で訊いてみたんです、クルーエルのこと。目立ちますからね」
「………ああ、まあ、目立つからな」
容姿にしても服装にしても、あれほど目立つ男はいないだろう。……いろんな意味で。
だが、下手するとトマリは街を通ってもどこにも立ち寄らないだろう。たくさんの人間が行き来をする中で、どの程度人の記憶に残るかは微妙なところだった。
「で? こうしてわざわざ来たって事は、なにか情報が……?」
「一応、ですけどね。……まず、やはりクルーエルはどこの店にも立ち寄らなかったようです。この街はそう広くもありませんから、一通りの店は回れました……ですが、クルーエルのことを覚えてる人はいませんでした」
「……やはり、か」
予想していただけに落胆は少ない。ルナーはただ呟いて頷いただけだ。
「次に、この街に住んでいる人に訊いてみたんですが、こちらの方はそれなりの成果がありました。あの容姿ですからね、とくに若い女性がよく覚えていましたよ……まあ、この街を通ったのは確かですが、ただ通り過ぎただけ、と。あまりにも予想通りの行動ですね」
「ああ……そうだな」
ルナーは深く溜め息をついた。
せめて宿屋に泊まってくれれば、まだ追い付きようはあった。だが、トマリは眠らなくても何も食べなくてもなんとかなってしまう。睡魔や空腹感を意志で抑え込むだけという荒技だが、それを使われると、ただ真っ直ぐ目的地に向かえてしまうので、寝る必要も食べる必要もあるこちらとしては堪ったもんじゃない。
二人してただ溜め息をつくしかなかった。
この話や、この前の四十八話とか(他にもいろいろ)みたいな雰囲気の話は、書いてる時は何とも思わないんですが、誰か(とくに知人)に読まれることを考えると、とんでもなく恥ずかしいです。
ただそれだけです。
でも言わずにはいられないんです……。