第三十八話
兎にも角にも、ルナーの剣舞を拝めることになった二人。
危険は去ったわけではない、なんてのはこの際置いといて。
「―――で? どこでやれと? この家のなかでは、とてもじゃないが……」
言いかけたルナーをトマリの手が制した。
「ちょうどいい舞台がある。だから、とりあえず『RISTORO』(リストーロ)に行こう」
『RISTORO』というのは、今更だがファルシコーネの経営する喫茶店の店名だ。
「? 前払いにでもしてくれると言うのか?」
「いんや、まさか」
否定だけしておいて、理由はまったく言う気がないらしく、さっさと家を出て行こうとする。
ルナーは仕方なく苦虫を噛み潰したような顔で着いて行く。
何か言葉が挟めるような雰囲気ではないと、ファルシコーネは黙って肩をすくめ、二人にしたがって家を出た。
「おい。何をしている?」
怒りを含んだ低い声でルナーは訊いた。
冷たい視線の先にいるトマリは、喫茶店の店先で人を集めていた。
「今からアトラクションしま〜す。よかったら見て行ってくださいね〜♪」
そんなうたい文句でにっこりと営業用の笑顔で手招きする。
すると、まずトマリの容姿に惹かれた若い女性が集まる。今度は、そうしてできた人垣を不思議がる人々が寄って来る。
あっという間にがやがやと騒がしいまでの人だかりができてしまった。
その始終を見ていた二人は、感心だか呆れだかで言葉もない。特にルナーはじとっ、と据わった眼でトマリを睨んでいた。不信感いっぱいの目付きだ。
「さて、こんなもんかな、と」
と満足そうに頷いたトマリの首根っこを掴んで引き寄せる。いつもだったら自分が顔を真っ赤にしてしまうルナーだが、そんなこと気にならないくらいに彼女は腹を立てていた。
「――――おい。説明、できるんだろうな?」
ドスの効いた声に、チンピラ真っ青のメンチ切り。さすがのトマリもたじろぐ。
「イヤ、メニュー制覇を約束したものの、ちょっとムリがあるかなぁ、と。思ったワケで。だから、」
「だから、他人に肩代わりさせちまおう、と?」
ぎくっ。
「や、やだなぁ、ルナー。口悪くなってるよ?」
あはは、と乾いた笑いを空しく漏らすトマリに、にっこりと極上の笑顔でルナー。
「……誰のせいだと?」
優しげな声音の後ろに、絶対零度のブリザードが吹き荒れる。
「――ごめんなさい」
素直に全面降伏するトマリ。
「……ホントはさ、せっかくだからたくさんの人に見てほしいと思ったんだ」
へらっ、と情けない微苦笑を浮かべるトマリ。本当の意図がどこにあるのか、表情からは読み取れない。
「恥ずかしいかもしんないけど、せっかく価値のあるものを見る機会なんだ。これを逃せば、この芸術を二度と見れない。俺らはともかく、この人達は」
「…………芸術?」
怪訝な声で聞き返す。
「そうさ。お前の剣舞は世界最高の傑作だ。見せないなんてもったいない」
そんな風に考えたことなど無かった。自らの、人を殺すための技術を。
「そうは、思わないか?」
笑みを含む挑戦的な眼差し。
解らなかった。だから、思ったそのままに首を振った。
トマリはその意味を正しく理解したらしく、
「じゃあ、試してみればいい。お前の剣が、ただの人殺しの技術でしかないのか、人を感動させることのできる芸術なのか」
そう言って、ルナーの背中をトン、と軽く押す。勢いづいてたたらを踏むルナーに笑みを浮かべながら一瞥をくれて、トマリは観衆に向かって礼をする。
「大変長らくお待たせしました。ただ今より、こちらの彼女の剣舞をご覧いただきます。この華奢な身体の生み出す、力強くも華麗な舞をご堪能あれ……」
また一礼してトマリは下がる。代わりにルナーが観衆の眼に晒される。 幾つもの自分を見定めるような眼。たじろぐルナーに、後ろから小さく声が掛かる。
「大丈夫。周りに人がいないと思い込めばいい。毎日の訓練と同じだよ」
どうやらトマリはルナーの毎日の日課を知っているらしい。
その事実に嘆息しながらもルナーは深呼吸し、一見落ち着き払った態度で幼い頃に叩き込まれた貴族の子女としての所作を引っ張り出し、優雅に一礼して見せる。
そして、瞑想するかのように瞼を下ろし、神経を研ぎ澄ます。
明鏡止水、無になった心。
もう、自分の周りには誰もいない。
薄く目を開き、柄に手を掛ける。
音もなく抜き放たれた刀身は神秘の輝きを帯びて、見る者の心を否応なく惹きつけ、無音の異世界へと誘う。
無意識に妖艶な笑みを浮かべ、見えない敵に向かって剣を振る。
空気を切り裂く剣の唸りは、耳を澄まさずとも聞こえる。それほど周囲は静まりかえっていた。 身動ぎの度に黒髪は衣擦れのような、繊細なさらさらとした音をたてて揺れ、広がる。
次第に体温の上昇し、それに伴って頬が紅潮していく。きらきらと光る汗の滴を散らす。
作り物めいた美貌が、さらに艶やかさを帯びて人間になる。
磨き抜かれた刀身のように細くしなやかな舞は、まさに芸術といえる、一切の無駄も無い完璧なもの。
誰もが口を開くこともなく、じっとその芸術に見入っていた。