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第三十六話

 ルナーのバッサリ切って捨てるような言葉に、ディランは顔を歪めた。

「後悔……なさいますよ?」

 怒りなのか震えるような声を絞り出すディランに、ルナーは力強く笑う。

「しない。するわけない。これからのどんな生活も――たとえ、逃げ続けることになっても、あの頃よりずっと幸せだ。自分で決めたんだからな」

 自分で選択した道を誇るようにルナーは胸を張る。

「左様ですか……。ならばもう私は何も言いません。そのようにお館様にお伝えしましょう」

 意外にもあっさりと引き下がったかに思われたが、ディランは黒く濁った目でルナーを見据えた。そしてまた嗤う。

「ですが、お忘れなきよう……貴女はどこにいてもあの方の作った殺人人形だということを」

 そう言って喉の奥でくつくつと嗤うと羽を広げて、

「あなた方の考えはたしかにお館様にお伝えしましょう。刺客がいつあなた方に送られるかはあの方の意思ひとつ。せいぜい怯え暮らしてください。それではご機嫌よう、お嬢様……そして、クルーエル」

 言い残して割って入った窓からまた出て行った。

 次第に見えなくなっていく黒い影を見送り、後にはそれぞれ表情の定まらない三人が残された。


「なん、だったんだ? 今のは」

 混乱したファルシコーネはいまだぼんやりとしたまま呟いた。

「知ってるんだろう? クルーエル。いったい誰に喧嘩を売った!?」

 厳しい口調で問い詰める。が、その矛先はなぜかトマリだった。

 胸倉を掴まれ、揺さ振られるトマリは視線をずらしてルナーを見る。

「どうする? 言いたくなければそれでもいいが」

 ファルシコーネに決定権はもちろん無く、トマリはただルナーの意思を訊く。

「私は――」

 そこまで言って途切れる言葉。

 自分はどう思っている? 血の繋がった祖父に狙われていること。連れ帰れない場合は殺せ、そんなことも『あの人』なら簡単に言いそうで。『それ』が私のなかの忌憚の無い祖父の人物像だ。

 そのことを私はどう思っているのだろう……?

「――構わない」

 言葉がするりと口をついて出た。

 そのことに些か違和感を覚えながらも、自分はもう納得しているのだと解る。

他人(ひと)に聞かれて困るとは思わない。トマリ――お前が信用している人間ならば」

 そう言ってルナーは穏やかに微笑(わら)う。

 今までからは考えられないくらいに凪いだ心の内は、どこからもたらされたものなのか、疑問に思うことも無くただ享受していた。

 トマリは驚いていたが、何も言わずに頷いた。

「私の名前――教えたな?」

 挑むような――今この瞬間から斬り合いをする……そんな眼でファルシコーネに問う。

「あ、ああ。ルナーリア=エテルニタ……でしょう?」

「ああ。だが、それだけではない」

「………?」

 問い掛ける視線に、心持ち居住まいを正して深く息を吸う。

「私の本当の名はルナーリア=エテルニタ・レン・シンヴァールという。……これで、私達が誰に喧嘩を売ったのか解っただろう」

 長い沈黙が場を支配した。ファルシコーネは一見表情に変化は見られないが、きっと幾つもの疑問が浮かんでは沈んでいるのだろう。

「…………………………………………………………………………つまり。貴女のお祖父様は『あの』シンヴァール候爵家の――」

「当主だ」

 きっぱりとトドメの一言を言うと、ファルシコーネはその場にくずおれた。

「知ってるかどうかは知らんが……シンヴァールという家は、貴族として領地の繁栄や武力よりも、政敵を隠密裏に始末する暗殺術を以て栄えてきた。それは、子飼いの暗殺者を雇うよりも自らの血族にその技を与えることによって、裏切りのない――ある意味理想の暗殺者を作り上げてきたんだ」

「血の繋がった家族を、暗殺者に?」

 言外にまさかという響きを滲ませた問いだった。

 だが。

「――残念ながら、私もそう育てられてきた。日々に感情の湧く何かは無く、ただ人をいかに速く静かに上手く殺すかだけを学んだ。すでに私の手は数え切れない程の人間の血に染まっている」

 真っ白なシーツをそっと掴む。滑らかな質感が手に返ってきた。頼りない命綱のようなそれに安堵しながら続ける。

「遅すぎるかもしれないが、私はその生活が嫌になった。もっと正確に言えば、怖くなったんだ。殺す相手の命を軽く感じるように、いつか大切なはずの人の命すら――いや、自分を含めたすべての人間の命が軽くなってしまいそうで」

 一度言葉を切り、深く……深く息をつく。

「だから逃げた。逃げて、街を転々としながら用心棒や害獣の討伐で金を稼いで。その旅の途中でトマリに会い……今に至る」

 できるだけなんでもないように言った。実際、そうやって生きるのはそんなに大変なことでもなかった。命の危険も、自らの祖父に怯えることもない。人と触れ合いながら、笑って過ごす。夢のような暮らし。

 この若さで女の一人旅と言えば、誰もが優しく暖かく接してくれた。本当に、夢や物語を眺めるような、信じられないくらいに平穏で現実味のない生活。

 そう気付いてしまった時の絶望。もう、陽の当たる場所は自分の住処にはできない。いくら望んでも、手に入らない幸福(しあわせ)

「………ふぅ」

 精神を削り取られたような奇妙な疲れに、引き寄せられるようにベッドに沈んだ。

 どこを見るでもなく、視線を遠くに投げていると、トマリの手が髪をゆっくりと滑る。

 幼子を慈しむように、ただ優しく私を癒す。救いの手を、私は見つけた。

 だが、私はトマリの救いの手となれるのだろうか。そうも思ってしまう。貪欲にも。

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