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第三十話

 頭を真っ白にしつつも、服の裾を握る手を優しく外し、そのまま自分の手のなかに握り込む。

 再び椅子に腰掛け、ルナーの顔を覗き込む。

「トマリ、すまなかった……」

 何を言うべきか考えあぐねていると、ルナーはそんなことを言った。

 その言葉に、トマリ目を閉じて、沸き上がった感情を抑えるかのように、震える息を細く長く吐きながらゆっくりと俯いていった。

「トマリ……?」

 トマリの行動の意味が分からず、ルナーは戸惑った声で聞いた。

 声を合図にトマリはゆっくり顔を上げた。その表情は、明らかに『怒り』だった。

「『すまなかった』? 本当に思ってるのか? それ」

 思わぬ言葉にルナーは――ファルシコーネすらも――唖然とした。

「――何日食べてない? 何日寝てない?」

「っ!」

 簡潔な問いに、ルナーはギクッとした。

「俺が目を覚ました時に、心配するとは思わなかったのか? お前が俺を心配してくれたように、俺もお前を心配するとは、考えなかったのか?」

「…………」

 珍しく感情を剥き出しにして問い詰めるトマリに、ルナーは何も言えずに口を何度か開閉させた。

 端から見ていたファルシコーネは、初めて見るトマリに心底驚いていたが、さっきキッチンから寝室へ二人で向かっていた時に、なぜトマリが怒っているようだったのか、理由が解って一人納得していた。

 トマリがルナーを思って自分の体を気遣うのと同じように、ルナーにも自分の体を気遣ってほしかった。自分が目覚めるのを信じて、諦めないでほしかった。……そういうことなのだ。

 その願いは自分勝手かもしれないが、トマリはそう思わずにはいられなかったのだ。

「それとも……」

 急に静かになった声は、そのまま訊いた。

「俺を置いて、死ぬつもりだった……?」

 深い哀しみと絶望に彩られた表情は、一見無表情にも見える。

 静かな諦めにも似た想いを感じて、ルナーは息を呑んだ。

 自分は見捨てられてしまったのだろうか。

 しかし、真実見捨てようとしていたのは自らだということに、彼女は気付いていない。

「し……死んでしまうかと思った。このまま――」

 ルナーはなんとか言葉を絞り出す。するとトマリは、ちょっと驚いたように目を開いた。

「死ぬって……俺が?」

 とても心外そうな声。さっきまでの怒りも哀しみも絶望もなく、乾いた笑い声をこぼす。

「俺はあんなことじゃ死なない。毒も飢えも呪いも凶器も……俺を殺すことはできない」

「それは……解ってる。でも、原因も分からずに倒れられたら、見てるだけしかできない私はどうしたらいい!」

 がばっと起きあがって声を荒げるルナー。だが、目覚めてすぐのその激しい動きは、ルナーの体に負担が大きすぎた。眩暈を起こしたように体がぐらつく。

 倒れかけた体をすかさずトマリが支える。

「ルナー、無理するな」

 椅子を蹴倒して、反射的にトマリは動いていた。

「う……す、すまない」

 ルナーは素直に謝ってベッドに再び横になった。互いを思うからこその衝突。それも解っている。ただ、相手を心配しすぎる気持ちが暴走してしまう。

 二人の間にあった険悪な空気は今のやりとりで消えてしまっていた。

 トマリは大きく息をついて、神妙な顔で言った。

「ルナーリア。聞いてほしいことがある」

 ルナーはきょとんとしている。

「? なんだ? 急に改まって」

「俺が倒れる前に、言うって約束しただろ? ……エイラ=バーンズのこと。ディラン・レングラートがなぜ俺たちをまた狙ったのか。全部話す」

「………。エイラの、こと……?」

 ルナーの言葉にトマリは深く頷いた。

「ああ。それに、俺のことも」

「トマリのこと? ……そういえば、お前さっきからずっと、一人称が『俺』になってるな。それに性格というか、口調もなんだか別人みたい……いや、戦ったりする時みたいだ」

 その言葉にトマリは呆れて言葉が出ない。

「………。今更だな……まあ、いろいろ思い出して、ずっと空っぽだった『自分』が戻ってきたカンジかな」

「!! クルーエル、お前記憶が戻ったのか!?」

 ずっと静観していたファルシコーネが話に加わってきた。

 トマリはニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

「まあな。まえにも言ったとおり、聞きたきゃ勝手に聞け」

「そうさせてもらおう。病人が二人もいるわけだし、帰るわけにもいくまい」

「……俺は最初から病人じゃない。だがまあ、勝手にしろ」

 ファルシコーネは再び話の輪から退いて、壁に背を預けて聞き役に徹するらしい。

「……それで。トマリ、記憶が戻ったって、何で急に?」

「あー、多分、引き金はルナーの唄ってた歌だな」

「あの歌が?」

 意外な言葉にルナーは驚いて聞き返す。

 トマリは頷いて、穏やかな表情で話す。

「あの歌はもともと、百年以上前の歌だ。そのことは言っただろ?」

 ルナーはただ無言で頷く。

「その頃……まだ俺がヒトだった頃に、俺の知ってる人間があの歌を作って、よく月が綺麗な晩に歌っていた……」

「!!! トマリが、ヒトだった……?」

 ずっと、『自分にはないものがある。それがない限りはヒトのなりそこねだ』と、『自分は最初からヒトなんかじゃない』とトマリに聞かされていた。ヒトにない力や、不老長寿の体のこともあって、素直にそう信じていた。

 だが、違った。

 トマリはもとは自分と同じヒトだった。

 その事実の方が信じられないことに思えた。ヒトが決して持てない力も、永い時を生きる体も、すべては『トマリがヒトではない』から納得していたことだ。

 だがそれも、たった今覆された。

「もし、『ヒト』である俺が、こんな力を持っていたら、どうなると思う?」

 トマリは静かに、そう尋ねた。

 水色の瞳はどこか遠く、手の届かないものを見ているような、求めながらも諦めてしまっているような、複雑な表情を映していた。

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