第二十八話
「ファルシコーネ、俺は何日寝ていた?」
ただ何もせずに待つことができずに、気付けばそう口走っていた。
「……十日だ」
一瞬考えてからファルシコーネは答えた。
「そうか………」
一言だけそう返して壁に背を預け、トマリは沈黙した。
きっと、十日も一人でいればすべてを諦めたくなるのかもしれない。しかも、自分がどういう状況に置かれているのかも正確に知らないのだから。
やはり早く話してしまうべきだった。そうすれば、襲撃を恐れて緊張することはあっても、何も分からないまま絶望はしなかっただろう。
まただ。また自分が言いたくないからと先延ばしにした結果がこれだ。もはや呆れるしかない。
「――私からもひとついいか? クルーエル」
「? なんだ」
顔を向けると、ファルシコーネはひどく真剣な顔をしていた。
「倒れる前と後では、お前は別人のようだ。なぜだ? 何があった?」
「ああ。……べつに、何もないさ」
「隠すな! だいたい、それ以前にだ。なぜルナーリアさんにはすべて話した? 自分の能力や体のこと、記憶がないことまで。お前は絶対にヒトを信用しない。決してお前に害を与えない善良な人間だとしてもだ。それがなぜ、彼女だけには違う? 会ってからたいして時間を経ていないはずだ……なのに、なぜお前はそう簡単に変わった?」
きびしい表情で責めるように問い詰める。
しかし、そんなファルシコーネにトマリは微笑を返した。
「よく見てるな。さすがに驚いたよ」
「私は医者だ、人を見るのが仕事なんでね。それよりも、はぐらかさないでくれないか」
「いや、本当に驚いてるんだ。言うだけのことはある……だからヒトの中ではお前は一番信じられると思っている」
「お前……?」
「これでも以前とは考え方が変わったんだ。いや……もっと以前には、それが当たり前すぎて、考えすらしなかった。ヒトでいることの強さも弱さも、長所も短所も……当たり前だった」
「何を、言ってるんだ……?」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
トマリはただ首を振った。それだけだが、ファルシコーネは自分の問いにはもう決して答えないだろうことが分かった。
「それより。ファルシコーネ、ルナーはいつ目が覚める? それを予測することはできるか?」
訊くと、ファルシコーネは難しい顔で考え込んだ。
「……どうだろうな。意外とすぐ目を覚ますかもしれないし、何日か掛かるかもしれない。こればっかりは断言できない」
「………そうか」
トマリは溜め息をついて頷いた。
「お前は大丈夫なのか?」
「―――え?」
意味が解らずに曖昧な笑みと共に聞き返すと、ファルシコーネは呆れ顔で溜め息をついた。
「お前だって倒れただろう。しかもさっき起きたばかりだ。体の具合はどうかって聞いているんだ!」
トマリは目を丸くした。どうやらすっかり忘れていたらしい。
「ああ……俺はたいしたことはない。あれは単に……ええと、そう、知恵熱みたいなものだ」
「知恵熱ぅ?」
ファルシコーネは思いっきり疑わしそうな顔付きでトマリを睨め付けた。
「馬鹿も休み休み言え。知恵熱であんな風に倒れるか!」
「だから『みたいなもの』って言ってるだろ? 許容範囲を超えただけだ。もうならないさ」
「ん〜……。今ひとつ納得できないんだが」
「ルナーの目が覚めた時に話すから、その時に聞きたかったら勝手に聞け」
突き放した言い方にファルシコーネはがっくりと肩を落とす。
「本当にルナーリアさん以外の他人のことはどうでもいいんだな」
声がなんだか疲れている。そして大きな溜め息。
「ハア………。まあとにかく、正確なことは言えないが、たっぷり睡眠を摂ったと体が判断するまでは眠り続けるだろうな。あとは点滴で栄養を補っていれば、最悪のケースだけは免れるだろう」
「…………」
軽く言ったつもりが、思いがけず黙り込まれてしまったので、ファルシコーネは些か不安になった。
「……クルーエル?」
「『最悪のケース』……そこまで状態は悪いのか――」
それきり、また黙り込んでしまったので、仕方なくファルシコーネは終わった点滴を片付け、
「また点滴をする時間になったら来るから、することがないなら声でも掛けてあげたらどうだ? 案外、それで目が覚めるかもしれんからな」
聞こえたかどうかは分からないが、一応は声だけかけてファルシコーネは家を出た。
トマリは、深く考え込みながらもかけられた声は聞こえていたらしく、ベッド脇の椅子に座り、ルナーの顔を見つめた。
この光景そのものは、一見ファルシコーネが来る前に戻ったようだが、ルナーの顔には赤みが差し、回復への兆しが見て取れた。
そのことに気付いたトマリは、大きな安堵の息を漏らしたのだった。
「早く目を覚ましてくれ、ルナーリア……言わなきゃならないことがありすぎる。今度こそすべて言うから、だから………」
組んだ両手に額を押しつけて、祈るような格好になる。
実際、何に祈るのかは別にしても、トマリは祈りたい気分だっただろう。ルナーが目覚めるのになんの保証もない今の状態では。
喉に何かが詰まるように苦しくなり、目を硬く閉じて、トマリはなおも呟いた。
その声だけが静かな室内に響き渡っていた……。