第十九話
しばらく何も考えずにぼんやりと俯いていると、何かを叩く音がしてふと我に返る。
「………?」
その音は、ルナーの部屋から聞こえた。
「トマリ! こら、なぜドアが開かないんだ! お前、何をした?」
ドア一枚挟んで聞こえるその言葉を聞いて、やっとトマリは思い出した。
視線を遣ることもなく、解呪の言葉を口にする。
「扉よ、本来あるがままの姿に戻れ。鍵は開かれた」
力の鎖は風化するようにぼろぼろと崩れ、空気に溶けていった。支えをなくして扉は大きく開き、ルナーは勢い余って部屋に転がり込んできた。
急だったので対処するひまもなく、ルナーは床に倒れた。
「ったぁ〜……って、おいトマリ! やっぱりお前のしたことだったんだな。なんでドアを封印なんかしたんだ? 何かあったのかって、不安になるだろう!」
不様に転んでしまった恥ずかしさを隠すために、怒鳴ってトマリに詰め寄る。しかし、トマリはぼんやり正面を向いて俯いたまま、動こうとしない。
「………? おい、トマリ? どうかしたのか?」
心配そうなルナーの言葉にも、なおざりに返事をする。
「……べつに。なんでもない。考え事をしていただけだ」
にべもない言葉をぞんざいに返すトマリに、ルナーは漠然と違和感を感じた。
「――トマリ。何があったか言え。私に隠すな」
ルナーの声には、普段の激しい怒りとは違う、静かな怒りがあった。本気で腹をたてると、ルナーはトマリと同じく静かに怒りを表す。
妙なところで似た者同士だった。
「何もないって言ってるだろう?」
普段なら絶対にしない、欝陶しがるような態度に、ルナーの違和感と苛立ちはさらに高まり、気付けばトマリの胸倉を掴んでいた。
その行為にも、何も言わずにただされるがままに抗おうともしない。
「トマリ……お前、言ったよな? 『僕には隠すな』って。なのに、お前は私に隠すのか? 今のお前がおかしいってことぐらい、私にだって分かる。いつもしないような表情や態度で、気付かないわけないだろ。それとも、私なんかには言えないのか? 私にはトマリが思ってることを知る権利も、その価値もないのか……?」
挑むような眼で問い詰める。だが、内心ルナーの心は自分自身の言葉に打ちのめされて悲しみに揺らいでいた。
トマリもまた、ルナーの言葉に揺らいでいた。
ルナーがいま腹を立てているのは、つまりはトマリが心配だからだ。
声をかけても素っ気ない態度で返され、差し伸べた手を振り払われたようなもの。放っておけばいいのに、まだ怒りながらも声をかけ続ける。――トマリが心配だから。そこまで分かっていて、邪険にできるわけが無い。
しかし、だからといって、さっきまでのディランとの会話を喋ってしまうわけにはいかない。
結局、葛藤からくる感情を顔に出すだけになった。
「――トマリ、何とか言え! そんな顔するくらいの何かがあったんだろ!?」
もちろんそうだ。
言えば楽になるが、それはたんに、重荷を誰かに押し付ける行為だ。
他人ならいざ知らず、他でもないルナーにできるはずなかった。そんなこと。
そっとルナーには聞こえない声で呟く。
「……言えるわけない」
だからトマリは仮面を被る。誰にも剥ぎ取れない仮面を。
「……これからディラン出てきたらどうしよう、とか考えてた。扉を閉じたのは、エイラさんの体に残ってた魔力を取り除くのに、結界を張った方がいいと思っただけ。……それだけなんだ。心配させてごめん」
それを聞いたルナーは、まだ少し疑わしそうにしていたが、やがて納得したのか、拗ねたような表情になった。
「それならそうと、もっと早く言ってくれれば、私だってあんなキツい言い方は……」
少しだけ、しゅんとなる。
そんな顔をルナーにさせてしまうこともトマリの疼きとなったが、それでも隠し通すと決めた。
「心配してくれてありがとう。そのためにキツい言い方になっても、嬉しいだけだよ」
そうしてわざとルナーが嫌がるような言い方をする。
「う、うるさいっ! 別に、お前じゃない。エイラが心配だっただけだ!」
ほら、すぐに引っかかって意地になる。トマリの目論見はいとも簡単に遂げられた。
くすくすとからかうように笑いながらも、内心ではひどく安心している。ルナーの気をそらせたことを。
「……そういえば、エイラはまだ目が覚めないのか? 体に残ってた魔力って、そんなにひどいのか?」
今度は別の角度からきた矛先。
「もう平気だ。いまはただ寝てるだけだから、しばらくは『触れないで』やって?」
それも笑顔であっさりとかわす。
見た目はただ寝ているように見えても、触れてしまえば分かるだろう。人としての体温を持たないことが。一定の間隔で打つはずの脈が無いことが。――生き物ではなく、ただ『人形』という名の無機物であるということが。
「うん、わかった。ここに寝かせておいていいのか? 用意した部屋に移そうか?」
「あー、じゃあ、あとで僕が運ぶよ」
「……お前、意識がないからって、みだりに女性の体に触れていいと思ってるのか?」
「う……、思って、ません」
「よし。じゃあ、飯の前に私が運んでおくから……」
「だめだっ!!!」
口にしてから、しまった、と思った。もう遅かった。
ルナーはトマリを怪しんで厳しい目で睨む。
「何で、だめなんだ……?」
とっさにうまい言い訳が思い浮かばない。
「それは……」
言い淀んでいると、ルナーは静かにそれを口にした。
「生き物じゃないと、分かってしまうからか……?」
ルナーの目は、もう厳しくトマリを睨んではいなかった。