第十三話
夢をみた…………。
哀しい夢だった気がする。つらい夢だった気がする。……苦しい夢だった気が、する。
目が覚めたら、きっと忘れてしまうだろう。確信が持てる。けれど……それでも、もう二度とみたくない夢。
ピ――ッ チチチチッ………
聞こえたのは鳥の鳴き声。そして、全身が「起きろ」と告げたかのように自然に瞼が開く。覚醒していく。
「ん……あ………?」
ぼーっと天井を見つめ、何も考えずに体を起こそうともしない。
そのままぼーっと顔を横に向け、エイラがいるのに気付いて、意識が一気にはっきりする。
飛び起きて絶叫する。
「う、うわあっ! な、なんでエイラがここに? というか……ここは、事務所? 私はなぜこんな所に寝ていたんだ? 昨夜は……」
満月が中天に達し、魔の時が訪れたあたりから順に記憶を辿っていく。
そして、エイラに首を絞められたあたりに記憶が行き着く。
毛布のなかにあった手でバッと自分の喉を押さえる。
茫然として自分の体を見下ろしてからエイラを見る。エイラはまだ毛布のなかで静かに眠っていた。
「生きてる……」
半ば無意識的に呟き、さらに記憶を辿ってみる。
………が。
「覚えていない。あれからどうなった?」
トマリが来てくれたような気がする。自分の声なき呼び掛けに応えたかのように名前を呼んでくれた。そんな気が。
だから自分は安心しきって意識を手放してしまった。そのことが普段なら絶対にしない、これ以上ない愚行のような気がして、頬が紅潮した。
「ええと……そのあとどうなったんだ? なんで私は自室じゃなくて事務所のソファに寝かされているんだ?」
しかもよく考えてみれば、自分を――いや、自分とエイラをソファに寝かせた人物はご丁寧に毛布まで掛けて。そんなことをするのはトマリ以外にあり得ないが……そう思って視線を事務所内に彷徨わせると、自らの机に、腕を枕にして突っ伏すように眠るトマリの姿があった。
トマリは、自分たちには毛布を掛けたくせに、自らの体には何も掛けていなかった。
ふと、体の上に毛布以外の存在を感じて毛布をまくって見てみると……そこにはトマリの着ていたはずのスーツの上着があった。
「………………???」
不思議がって首を傾げ、しげしげとその上着を見つめるルナー。
首をひねってトマリをもう一度見ると、やはり上着は着ていなかった。
「? なんで……」
続けようとした言葉を忘れたかのようにルナーは口をつぐんだ。
(…………)
何を思ったか、急にソファから立ち上がり、スーツの上着と毛布を抱えてトマリの寝ている机に歩み寄った。
そのままトマリを起こそうとはせずに、上着と毛布をそっと肩に掛けた。
もう日が昇ってからだいぶ時間が経ったようだが、無いよりはあった方がいいだろう。
そして、足音を忍ばせて部屋を横切って自室に入っていった。
ルナーのその行動の答えが出るのは、もう少し後のことである。
自分に近づく気配をトマリは眠りながらもどこかで感じていた。
そして、その気配はルナーのものだったので、なんとなく起きることも、それ以外の行動も必要とは思わず、そのまま寝ていた。
最近気付くとこうなのだ。
以前は誰が近寄っても自分はしっかりと目を覚まし、瞬時に思考も覚醒していた。付き合いの長い馴染みの医者がいるが、その人物に対しても同じだ。付き合いの長さなど問題ではない。トマリは基本的に誰も信じない。いい人間だ、この人間は決して自分を害しはしないだろうと思っても、冷徹な思考の隅では信用しない自分がいた。それが当たり前だった。
しかし、ルナーに対しては違う。なぜか自分は彼女に対して警戒を解き、すぐそばにいても起きようと思わない。気付けないのではない。気付いても何らかの行動を起こそうと思えないのだ。
これが信頼しているということなのか? 自分自身の心に問いかけてみても、否とも是とも答えは返ってこない。信頼などしたことがないのだから。
昨晩もそうだった。すぐ近くにあるルナーの気配を、体の感覚は捉えていた。しかし、やはり起きようとは思わなかった。あまつさえ、この不思議に安らいだ時間をもっと感じていたいとすら思ってしまった。
トマリは自分の感情をもてあましていた。
ふと、体に何かが掛けられたと気付いた。その何かは暖かく自分の体を包んだ。春先とはいえ、朝の冷気にその温かさは有り難かった。
少し考えて、それは毛布だと解った。ルナーが自らの体に掛かっていた毛布をトマリに掛けたのだ。
意識が覚醒しかけたが、ルナーがそのまま静かに離れていき、部屋から出て行くのを感じると、トマリの意識はまた深く眠りに墜ちていった。