第十二話
「……操り人形の糸の先、教えてもらうぞ」
冷たく妖しかった水色の光は、今は烈しく底光りして怒りを最大限に彩っていた。
怒りは他のどの感情よりも一対の光を強く輝かせた。
対するエイラは常人であれば誰もが圧される瞳にも、まったく怯んだ様子を見せない。平然と受け止め、なおもトマリを殺めるために隙を窺っている。
(……俺を恨んでいる人間なんて山程いるだろうな……心当たりなんて、ありすぎて見当がつかない――)
そのためにルナーを巻き込んだ。
――ズキン……
疼くような灼けるような痛みには、見えないフリをする。気付かないフリをする。
自分は傷付かない。こんな風に傷付いてはならない。自分には大切なものなど無い。だから、自分以外の誰かを傷付けられたからといって、哀しみも怒りも覚えない。その誰かが自分のせいで命の危険にあっても、罪悪感など覚えない。覚えてはならない。
自分は何も大切なものを持ってはならない。――なにも。
(――落ち着け。冷静になれ。俺はいま何をするんだ? ……何をするべきなんだ?)
何度も何度も言い聞かす。
自分が今するべきなのは――エイラを操ってる人間を知ること。
そのために必要なこと――。
「――ふぅ……大丈夫だ。
……我が声を聞け、操られし人形よ。虚ろなる瞳は主の姿を捉え、力無き四肢は糸の先を知るだろう。導かれて自らの声を知れ……糸の先にいる汝を傀儡にせし赦し難き者の名を唱えよ」
落ち着きを取り戻した厳かな声が言葉を紡ぐ。呪文に形式は必要ない。
昼に、ルナーはエイラに東洋の結界術だと説明をしたが、トマリの使う力すべてがそうなのではなく、それも使うというくらいだ。結局は東洋も西洋も関係なく、自分の力をうまく練ることのできる言葉や形に落ち着く。
いつも呪文を唱えるだけだが、集中やイメージに必要なら触媒となる人形や杖や紋章――いわゆる魔法具も使うだろう。
視線を落として、今も心の中では落ち着け、冷静になれ、と唱えている。
唱えられた言葉に、エイラがビクッ、と反応を見せる。
「――ぁ………」
小さく、しかし確かに声をもらす。様子がおかしくなってから初めてのことだった。
だが、それから少し待ってみても、それ以上の変化はない。全身が麻痺したようにかたまって、そのまま動かない。トマリを殺そうと向かってくることはないが、それだけだった。
「くそッ、まだダメか……。力のある異能者ってことか」
気を取り直してもう一度唱え直す。今度は目を閉じて、さっきよりもイメージを強く持つ。
「我が声を聞けッ、操られし人形よ! 虚ろなる瞳は主の姿を捉え、力無き四肢は糸の先を知るだろう。導かれて自らの声を知れ……糸の先にいる汝を傀儡にせし、赦し難き者の名を唱えよ!!!」
顔を上げ、目を大きく開く。
「お前を操っている、愚かな奴を引きずり出せ………っ!」
声を張り上げて訴えかける。
エイラは麻痺した体に電流が流れたように、全身を一度弾ませた。
「……でぃ、ラ……ん………れん、グラー、ト………」
ぎこちなくも、人の名前をはっきりと紡ぐ。
(ディラン・レングラート………!)
知った名前だった。よく覚えている、つい最近聞いた名前だ。二度と聞くことはないだろうと思っていた。
(まだ懲りてなかったのか……ルナーを巻き込むなんて……ちょっと、甘く見てたな)
ため息をひとつついて、いくらか穏やかな目でエイラを見た。
「操り人形よ、糸を切れ。自らの意思を知れ。自らの自由を知れ……解放の歓びを知れ」
優しく静かに唱える。エイラは歌のようなその響きを聞き、眠るように体の力を抜いて、その場に倒れようとする。その体を受け止め、ソファに寝かせる。
そして、反対側のソファにルナーも同じように寝かせる。首には痛々しい指の跡が残ったが、それ以外は傷もなく、トマリは安堵の息をついた。
エイラの泊まるはずだった部屋と、ルナーの自室からそれぞれ毛布を持ってきて、体にかけてやる。春とはいえ、まだ夜は寒かった。
その二人の様子をちょうど見ることのできる自分の机に腰掛ける。ひとつ欠伸を漏らして外を見ると、空の色は深い藍色から蒼く変わりつつあり、夜明けが近いことを告げていた。
つい外に放置してきてしまったあの使い魔は、あのダメージなら月の光と対極にある朝日を浴びれば自然に消滅するだろう。そのときは近い。
トマリは空の色を瞳に映して遠くを見つめた。
気の早い鳥は、もう空を自由に泳ぐように飛んでいた。
一瞬一瞬と色を変えていく空はどこまでも透明で、雲ひとつ無く、今日も綺麗に晴れそうだった。
ひとまず一件落着でしょうか? あれほど「犬が」なんて言っておいて、地味ーに闘って、地味ーに死んでいきました。やっぱりダメですかね?