第十一話
なんかもう、犬出てこなそう(後々も含め)……。バトルが好きな方にはこの小説向かないかも。作者は読むのは好きですが、そういう描写は苦手です……。
それは、一瞬のこと。
トマリの闘いに集中しすぎて、たった一瞬周囲に気を配るのを忘れてしまった。
その隙をつかれて、普段なら絶対にしない失敗をした……。
――警戒も、すべて解いてしまっていた。
細く高い笛の音が聞こえたと思ったら、異変は起きた。
犬の形をとった使い魔がむくりと起き上がった。それをトマリは怪訝な目で見て、もう一発撃とうとする。狙う銃口はさっきよりも緊張している気がして、傍観しているルナーにも力が入る。
――カタン
そんな小さな音にも気が付かなかった。
近付いた気配にハッと振り返ると、そこにはエイラが佇んでいた。よく変わる表情は今はぴくりともしない。
「なんだ、エイラか……どうした? 寝ていると思ったが……」
内心の動揺を隠して問う。
少し考えればおかしいと分かるはずの質問。食事を渡してから、一度も顔を合わせていないのだから、エイラが寝ているなんて、ルナーに分かる筈もない。そんな矛盾にも表情を変えないエイラ。というよりも、今のエイラは人形のように表情が無い。
「…………」
もともと綺麗な顔だが、今は無機物のように冷たくただそこにある。
「……エイラ? どうしたんだ。具合でもわる――」
――ガッ!
1メートルほどの距離を一瞬で詰め、エイラはルナーが何らかの防御行動をとる隙もなく首に両手をかけた。
「――ガ、ァアッ! エイラ、何を……!?」
手は全力でギリギリと力をかけ、白くなっている。なのに、顔は相変わらず涼しげに動かない。冷たい瞳はルナーの顔をじっと見つめているのに、どこか虚ろだった。
「お前、まさか……操られて――!?」
つい数時間前までの自然な表情からすると、そう考えるのが自然に思えた。しかも、エイラには確かに眠るようにと一服盛ったのだ。いくら薬が効きにくい体質でも、こんなに早く目覚めるなど、あり得ない。
片手で喉を締め上げる手を引き剥がそうとし、空いた手で剣に手を伸ばす。しかし、エイラは女性とは思えないほどの力で喉を潰そうとする。このままでは、窒息より早く喉の骨を砕かれそうだった。
体を鍛えたこともないはずのエイラに、こんな力が出せるわけない。しかもルナーはそこらの男が敵わないほどの力を持っているのだ。どう考えてもおかしい。
どうやら術で脳のリミッターを外されたらしい。
だが、そうと解っても、そんな術いつかけられたのか。昼にこの事務所に来たときはそんな術の片鱗すら見られなかった。
「グ、ァ……ア――ッ!」
痛みが頭の中を白く霞ませる。脳に空気が回らない。いや、もう肺にあった空気すら吐ききった。吸うことのできる空気は極端に少なく、肺は完全にカラだ。視界は赤く染まり始めて、辺りに星が散る。
「ァ――ァアアッ」
チカチカと瞬く脳裏には、なぜこんな状況になったのかなど理知的なことは浮かんでこない。考えていたこと、考えなければいけないことのすべてが霧散していた。
ただ頭の中に浮かぶのは、どんな窮地でも笑ってかわしそうな――こんな状況でも余裕を失わなそうな、たった一人。
(――トマ、リ………ッ!)
いよいよ意識がなくなりかけてきた。頭ががんがんする。
意識が退くサァ―――ッという音が聞こえる気がする。
そのとき。
「ルナーリアッ!!!」
待っていたたった一人の声が聞こえた。思ったよりも慌てた声は、ルナーを気遣った優しい声だった。それを聞いてルナーは、
(なんだ……。そんな感情もあるんじゃないか……)
なぜか安心したようにすうっと意識を手放した。
トマリが窓に辿り着いたとき、信じられない光景を見た。
薬を盛られて寝ているはずのエイラが、そこそこ強い男よりもずっと力のあるルナーの首を絞めている。
「な………」
あまりのことに言葉を失う。
ルナーは苦しげに顔をゆがめ、かすかに口を動かすだけだ。もうそれ以上のことができないように見えた。
「ルナーリアッ!!!」
トマリは思わず叫ぶように名前を呼ぶ。
するとルナーは嬉しそうに笑ったように見えた。と思ったら、カクリと体から力を失い、瞼を落として気を失った。
ぐったりとして重みを増したルナーの体を、死んだと勘違いしたのか、興味が失せたように冷たい視線を遣り、無造作に手を離した。
音を立てて床に投げ出されたルナーに、トマリは目にもとまらぬ速さで駆け寄った。
トマリがルナーの体を抱き起こしてから、ようやく気が付いたようにエイラはゆっくりとトマリに顔を向けた。トマリはそんなエイラなど視界にも入らないというようにちらりとも視線を遣らない。
今のトマリにはルナーしか見えていなかった。
「ルナー、ルナー? おい、目を開けてくれ……俺の声、聞こえるか? なあ……」
トマリは気付いているのだろうか? 自分の声が泣きそうなほど震えていることに。
トマリの胸の奥からどうしようもなく苦しい想いが浮かんでくる。
心臓が引き絞られるような鋭い痛み。だが、その痛みは、トマリにはフィルターを通したように遠く、他人事のように感じた。
確かにあるはずの感情に気付かなかった。
「ルナー……ルナーリア――目を、覚ましてくれ」
その様子をなんの感慨もなくただ見つめていたエイラは、急に行動を開始した。か細く見える両手を、ルナーにしたのと同じようにトマリの首へと持っていこうとした。
エイラの存在を忘れきっていたトマリは、条件反射でそれを防ぎ、逆にエイラの鳩尾に拳を正確に叩き込んだ。ただ、反射で行ったことなので、かなり力は制限されていたが。
「………ッ」
使い魔の反応の方がよほど生き物らしいと思えるほど叫びも呻きもない。痛覚が遮断されているのだろうか。その証明とでもいうように、普通の女性なら気を失うほどの衝撃にも、苦悶の表情もなく平然とまた立ち上がった。
「……なんでルナーを? 殺そうとしたのか、気を失わせようとしただけなのか……どっちだ?」
トマリは、ぐったりと力無いルナーの身体を、繊細な硝子細工か何かを扱うように、そっと床に横たえて自分の着ていた上着を掛けた。
そして、ゆっくりとした動作で立ち上がり、振り向いた。視線の先には人形のようなエイラ。
「意識が無い状態で操られているんだろうな……その点に関しては気の毒だと思う。けど、ルナーにしたことを許せる程、俺は人間ができちゃあいないんだ。
……必ず、糸を手繰って、俺を――ルナーリアを傷つけようとした奴に辿り着く。そして――たたきのめす」
宣言したトマリの眼には、永い生のなかで初めて感じた『他者の為の怒り』が、刻まれたように強く宿っていた。