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『天才魔導師、魔封岩塩の分析を始めて三時間後に自分の秘密を全部喋っていた』 ~封じているのではなく、呼び起こしていたという話~ ep-16

掲載日:2026/05/23

数ある作品の中から見つけてくださりありがとうございます!

本作は【異世界定食】〜とんかつ屋「揚太郎」に集う、ワケありな人々〜シリーズ読み切りです。

 エルザが魔封岩塩の分析を始めたのは、純粋な知的好奇心からだった。

 少なくとも、最初はそうだった。


 揚太郎が王宮の厨房でとんかつを作った日から、エルザはずっと気になっていた。

 あの青白い光の粒が肉の表面に触れた瞬間、魔術師としての本能が何かを感知した。


 封印系の魔力ではない。

 だが増幅系でもない。

 共鳴系に近いが、それとも違う。

 二十年間、大陸最高の魔術師として君臨してきたエルザが、一つまみの岩塩の魔力特性を特定できなかった。

 それが、ずっと引っかかっていた。

 今日の休暇を、エルザは分析に充てることにした。


 ◇


 揚太郎の店に来たのは、開店前の時間だった。

「魔封岩塩を少し分けてもらえるか」


 揚太郎が振り向かずに言った。

「何に使う」


「分析する」


「分析して何になる」


「知的好奇心だ」


「とんかつには関係ないか」


「関係ある可能性がある」


 揚太郎は少し間を置いた。

「どのくらい要る」


「ひとつまみでいい」


 カウンターに、青白い結晶が置かれた。

 エルザはそれを魔導容器に入れて、カウンターの端に陣取った。


「ここで分析するのか」と揚太郎が言った。


「開店前なら邪魔にならない」


「……好きにしろ」


 ◇


 エルザは魔法陣を展開した。

 直径一メートルの精密分析陣。王宮の研究室でしか使ったことのない、最高精度の術式だ。

 岩塩をその中心に置いた。

 魔力を流した。

 青白い光が、陣全体に広がった。

 エルザの目が細くなった。

(……やはり封印系ではない)

 魔力の流れを追った。

 岩塩から放出される魔力は、外に向かっていない。

 内側に向かっている。

 いや、違う。

(……外側の何かを、引き寄せている)


 エルザは術式の解析パラメータを変えた。

 岩塩が引き寄せているものの正体を特定しようとした。

 次の瞬間、魔法陣が予想外の反応を示した。

 岩塩の青白い光が、一瞬だけ揺れた。

 そしてエルザの胸の奥の、普段は鍵のかかっている場所が、かすかに疼いた。

(……なんだ)

 エルザは術式を止めた。

 もう一度、流した。

 また疼いた。

 今度はもっとはっきりと。


 エルザの脳裏に、一つの光景が浮かんだ。

 幼い頃の台所。

 母親が料理をしている匂い。

 岩塩に似た、青白い結晶を料理に使っていた。

「これを入れると、食べた人が元気になるのよ」と母親が言っていた。

 エルザは六歳で魔術の才能が発現し、王宮の研究所に引き取られた。

 それ以来、母親の料理を食べていない。

(……なぜ今、これを思い出す)

 エルザは術式を一時停止した。

 手帳を取り出して、観察結果を書き始めた。

 魔封岩塩の魔力特性、暫定報告。封印系ではなく、対象の内部に潜在する魔力を呼び起こす性質を持つ可能性。通称『魔封』は誤りであり、正確には『魔喚』岩塩と呼ぶべきだ、と書いたところで


「エルザ」

 揚太郎が振り向いた。


「仕込みの時間だ。邪魔になる」

 エルザは魔法陣を畳んだ。


「わかった。続きは持ち帰る」

 岩塩を容器ごと手に取りかけて、止まった。


「……一つ聞いていいか」


「なんだ」


「この岩塩、どこで手に入れた」


「転移した時に持っていた」


 エルザは固まった。

「転移した時に」


「そうだ。パン粉と一緒に来た」


「……パン粉と一緒に、岩塩が」


「スキルで出てきた。三種の神器の一つだ」


 エルザはしばらく黙った。

 魔術師としての脳が、猛烈に回転し始めた。

 転移者が異世界に持ち込んだ素材。

 対象の内部に潜在する魔力を呼び起こす性質。

 食べた人間が、眠っていた何かを取り戻す。

(……まさか)


「揚太郎」


「なんだ」


「この岩塩は、食べた人間の中に眠っている魔力を呼び起こしている」


「魔力? 俺には魔力がないぞ」


「魔力だけじゃない。記憶でも、感情でも、その人間の中に眠っているものなら何でも呼び起こせる可能性がある」


 揚太郎は鍋から手を離した。

 初めて、真剣な顔でエルザを見た。


「……それが、人が泣く理由か」


 エルザは手帳を閉じた。

「まだ仮説だ。だが、可能性は高い」


 揚太郎はしばらく黙った。

 それから鍋に向き直った。

「そうか」


「驚かないのか」


「驚く必要があるか」


 エルザは少し考えた。

「……ないかもしれない」


 揚太郎が言った。

「旨いもん食って、人が泣く。それだけでいい。理由は要らない」


 エルザは手帳を手に取った。

 書きかけの分析報告を見た。

 それから、手帳を閉じた。


「……そうだな」

 立ち上がりかけて、止まった。


「揚太郎」


「なんだ」


「私の母親は、これと似た岩塩を料理に使っていた」


「そうか」


「六歳で王宮に引き取られてから、一度も食べていない」


 揚太郎は何も言わなかった。


「……この岩塩が、母親の料理の匂いを呼び起こした。お前の店に来た人間が全員、何かを思い出して泣く理由が、少しわかった気がする」


「お前も泣いたか」


 エルザは一瞬、固まった。

「……分析中の感情の揺れは、術式のノイズとして処理した」


「そうか」


 揚太郎は布巾で手を拭いた。

「今日の定食、食うか」


 エルザは岩塩の容器をカバンにしまった。

「食う」

 皿が出てきた。

 エルザは箸を取った。

 一口、食べた。


 ザクゥゥゥッ。

 胸の奥の、鍵のかかっていた場所が、また疼いた。

 今度はエルザは止めなかった。

 ただ、食べた。

 皿が空になった頃、エルザは気づいた。

 箸の持ち方が、いつの間にか丁寧になっていた。

(……いつからだ)

 わからなかった。

 だがそれは、悪くなかった。

 銀貨三枚を、カウンターに置いた。


 ◇


 その夜、エルザは研究室で手帳を開いた。

 分析報告の続きを書き始めた。

「魔封岩塩、正式名称改定案『魔喚岩塩』。対象の内部に潜在する記憶、感情、魔力を呼び起こす性質を持つ。転移者が異世界に持ち込んだ素材であり、起源は不明。ただし——」


 エルザはペンを止めた。

 しばらく考えた。


「ただし、その作用の本質は技術ではない」


 一行、付け加えた。


「揚げる人間が本物であることが、前提条件である可能性が高い」

 手帳を閉じた。


 窓の外に、夜空が広がっている。

 この分析結果を誰かに話すつもりはない。

 揚太郎は「理由は要らない」と言った。

 それで十分だ。

 エルザは手帳を棚にしまって、今夜初めて、定時より早く眠った。


(完)


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