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幸せとは

作者: 奈宮伊呂波

 母さんが最後に残した言葉は、幸せになってね。だった。

 僕はその言葉の意味が分からず、ただただ「うん!」と頷いた。

 母さんが最後に見せた表情は笑顔だった。笑顔がどんなだったかはあんまり覚えてないけれど、目の端に涙が浮かんでいたことは覚えている。

 母さんが家から出た後、幸せって何、と父さんに聞いたら、「俺にもわからん」と父さんは答えた。そして、「少なくとも、お前がいてくれて俺は幸せだ」とも続けた。

 学校の先生に聞いてみたら「人それぞれ、形は違うんだよ」と答えた。そして、「先生にとってはみんなと楽しく過ごすことかな」とも続けた。

 みんなというのはクラスのみんなのことだろう。たしかに先生は授業をしている時とても楽しそうだ。

 僕にとっての幸せはなんだろうか。

 一番楽しいと思うのは、友達と遊んでいる時だ。みんなで鬼ごっこやドッヂボールやゲームをしている時、僕はとても楽しんでいる。


「ケンちゃんはどういうとき幸せなの?」


 僕は尋ねた。

 ケンちゃんはゲームの手を止めて、僕に振り向いた。


「急だな」


 そう言ってケンちゃんはフッと笑う。ゲームのキャラが死んじゃったみたいだけど、気にならないのかな。


「そうだなあ。よっちゃんとゲームすることかな」


「そうなの? 僕も見てるの楽しいよ」


「ウィンウィンってやつだな」


「なにそれ?」


「二人が同時に幸せになること」


「同時に……。そうだね!」


 僕はケンちゃんのゲームを見ていることが幸せなのだと思った。

 でも、ケンちゃんは中学校に上がったとき、僕と同じ学校には行かなかった。

 僕は流行っていたサッカーアニメが好きだったので、サッカー部に入った。自分でするサッカーも楽しくて、僕は練習も試合も頑張った。

 ケンちゃんとは連絡を取り合っていたけど、サッカーのこともあってだんだん連絡しなくなっていった。

 ボールを追いかけていると、とても楽しい気持ちになった。いっぱい走るのはしんどいし、サッカー部には僕よりも上手な人がたくさんいるからとても悔しい。でも、楽しさの方が勝っていた。

 部活帰りにみんなでコンビニに行ってお菓子を買って食べるのは楽しかった。休みの日に街中でみんなと鬼ごっこをしたときはとてもドキドキした。

 サッカー部のみんなと遊ぶことやサッカーをすることはとても楽しかった。

 僕は幸せとは、楽しいことなんだと思った。


 高校に入ると、僕はサッカー部には入らなかった。

 実力的に厳しいと思ったからだ。中学まではついていけても、高校では通用しない。昔はプロにもなりたいって思ってたけど、そんなのは夢のまた夢だ。

 僕は軽音部に入った。流行ってたアニメがバンド物だったので、僕も音楽をやりたくなったのだ。

 ギターを買うために親に借金をした。


「で、Eコードがこれ」


「指届かないんですけど」


「よし君は指短いからねえ。ほら、女子の私よりも小さい」


 そう言って吉川先輩は掌を僕の掌にあわせた。

 僕は初めて触れるよし先輩の掌の感触にどきりとした。自分の掌とは違う。明らかに柔らかな感触だった。


「こ、これからですから」


「えー、照れてんの?」


「照れてません」


「いや、照れてるでしょ? 正直に言ってみな?」


「照れてません」


「よし君は面白いなあ」


 よし先輩はそう言って「あは」と笑った。

 僕は彼女のそんな顔が好きだったから、こうしてからかわれるのも悪くないって思った。

 苗字に「吉」の字が入る者同士で声をかけられたのがきっかけで僕らはよく話すようになった。

 彼女と話しているととても楽しい。

 でも、これは幸せではないと僕は思っていた。その理由は、たぶん、先輩に彼氏がいるからだ。

 僕が感じている楽しさと、よし先輩が感じている楽しさはきっと違うのだ。それが僕には寂しかった。

 僕の高校生活はアニメと、ギターと、アルバイトの三つで構成されていた。勉強の入る余地はあんまりなかった。

 よし先輩とは、彼女が三年になってからあまり話さなくなった。よし先輩には受験勉強があったし、そんな彼女と会うのは、良くないことだと思ったからだ。

 一般的に、彼氏がいる女子と個人的に会うのは不健全とされているし、僕もそう思った。それに、よし先輩が卒業するとき「元気でね」と目を合わせながら言ってくれた。

 僕はそれで満足した。

 高校生活はそれから順調に進んでいった。

 問題なく。

 軽音部は楽しかったし、受験勉強も頑張った。アニメや映画でいっぱい笑ったし、泣いた。彼女はいなかったけど、別によかった。だって、毎日が楽しかったから。


 大学に進学すると、僕はアルバイトに邁進した。

 ゲームにハマったのだ。いわゆるバトロワのゲームだ。三人でチームを組んで、銃を使って戦って、チャンピオンを目指す。

 このゲームではプロというものも存在するらしく、僕はとても憧れた。

 同じ大学の人でチームを組んで、ランキングを一生懸命上げた。頑張ってS級まで上げられたけれど、プロになるにはSS級は必要だ。

 でも、どうしてもそこまで上げられなかった。

 大学卒業までどっぷりとそのゲームにはまっていたけれど、後悔はない。

 ゲームを通じて出会った人もいて、一緒にオンラインでアニメを見たり、実際にあったりもした。

 大学生活もおおむね楽しかった。幸せと言って問題ないはずだ。


 大学を卒業して社会人になると、ゲームをする時間が減り、ゲーム友達とは疎遠になっていった。

 仕事は朝早くて、夕方まで一生懸命働かないといけない。仕事を終えると充足感はあったけれど、楽しいかと言われれば首を傾げざるを得ない。

ゲームに没頭する日々がどれだけ楽だったのかを思い知らされた。

それでもゲームは好きだったので続けた。大学生の頃に比べて本気ではなかったけど、A級くらいまではやろうと決めていた。

 一人でやるのは寂しかったので、ゲーム専用のマッチングアプリを使った。やっていくうちに、ほとんどの人とは一期一会なのだと思った。

 そんな中、とある人と何度か一緒にゲームをするようになった。


『よし君って面白いよね。ゲームで知り合った人で一番好きかも』


 そう言ってくれたのは「しまむら」という人だった。もちろんゲーム名で、本名は「しま」も「むら」も入ってないらしい。ただ服はよくしまむらで買っているようだ。

 ちなみに僕はそのまま苗字から「よし」にしている。


「僕も好きですよ。しまむらさん、声良いし、話しやすいし」


『急に褒めるじゃん』


「そう言う流れかなと……。逆に僕の何が気に入ってくれたんですか?」


『ええ? まあ、落ち着いてるし、急に大声出さないし、テンション安定してるし』


「全部一緒じゃないですか」


『たしかに』


 あははと、しまむらさんが笑う。笑ってくれたのが嬉しくて、僕も笑う。


『でも、大事なことだから。男の人とゲームするとすぐ彼氏いるかー、とか会いませんかーとか言ってくるし』


「わかります。しまむらさん、感じ良いですから」


『まあねー。でもこっちは結婚してるからそういうの困るんだよね』


 初めて聞いた話だった。

 正直に言うと、僕にもワンチャンあるんじゃないと思っていた。だって、趣味が同じで話が合って、年齢も近くて、住んでるところは知らないけれど、標準語だからそう遠くないはずだし。

 もし付き合えたりなんかしたらとても楽しいのだろう。そう想像することくらい、許されてもいいと思う。

 でも、少し期待したとはいえ、それほどショックではなかった。

 どちらかと言うと、「まあ、そりゃそうだよね」という気持ちの方が大きかった。

 こんなにいい人にお相手がいないなんてことは考え辛い。たまにすごく強い言葉を使うことくらいしか欠点がないのに、そこらの男が放っておくはずがない。


「まあ女の子と出会いたいですから。みんな」


 みんなではなく、自分のことだった。


『まあそんなもんか』


 彼女と通話を終了し、僕はヘッドホンを外す。

 誰もいない部屋で一人、僕は思った。


「そっか」


 僕は、幸せではなかった。

 母さんが出ていったあの日から、僕はついに今まで、胸の穴にできた大穴を埋めることができなかった。

 幸せとは、ただ楽しいことだけじゃなかったのだ。サッカーもアニメも楽器もゲームも仕事も、楽しかったり、充足感があったりしたけれど、それだけだ。

 じゃあどうしたら僕は幸せになれるのか。

 僕は小一時間考えた。

 テレビもつけず、スマホも触らず、音楽も流さず、ただ僕は考えた。

 今まで、何をするにも周りには人がいた。

 友達だったり、部の仲間だったり、先輩だったり、ゲーム仲間だったり。

 みんなといるとき、僕はとても楽しかった。今でもそうだ。それは変わらない。なのに、幸せではない。

 でも、時間をともにしている間、僕は楽しいと感じている。好きだからだ。ゲームやアニメや友達や仲間が。

 僕は好きなことをしているとき、確かに楽しい。その瞬間、幸せと言ってもいい。

 じゃあ、一番好きなものは?

 なんだろう。僕は何が好きなんだろう。これと言って頭に思い浮かぶものが無い。

 熱中したゲーム? しまむらさん? プロを目指したゲーム仲間? よし先輩? サッカー? アニメ? ケンちゃん? 母さんか?

 母さん。母さんか。もう顔も思い出せない。写真を見ても、誰だかわからないくらいだ。でもわかることもある。たぶん、母さんと別れてから、僕の中の何かが欠落したんだ。

 普通、母から与えられるもの。

 それは、


「愛か」


 僕は。

 愛されたいのだろうか。誰かの一番になりたいのだろうか。一番に? そんなことが可能なのだろうか。

 僕は自分の中の一番すら見つけられていない。そんな奴が誰かの一番になろうだなんて、不条理だ。間違いだ。

 それを正すために、僕は何をするべきだろう。

 お金も、見た目も、トーク力も、人当たりの良さも、善良な精神も、何一つ持たない人間として間違っている僕ができること。

 それはきっと一番を見つけることだ。自分の中で芯となる物を見つけることだ。自分を認めてあげることだ。自分を好きになることだ。


 自分を愛してあげられることだ。


 たぶん、そんなことでいいのだ。

 幸せになるためには。

 まあ、そんなことは簡単に出来たら苦労しないけれどね。

これは小説ではないのでしょう。ただ自分の中のどうにもならない感情を誰かに伝えたいのです。誰にも言えない醜い感情をどこかに吐き出したいのです。そうすれば自分の中の何かが変わるかもしれない。そう願って。

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