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第3話 異世界に戻る方法

「……イザベラ?」


 倒れ込んだジークフリートは目線の先を疑った。


 質素で薄いシャツに仕事着のようなパンツ。艶のある黒髪が後ろで簡素に結ばれ、深みのある褐色の瞳がこちらを睨め付けている。庶民のようでいて、洗練された品も感じるその女性は、どう見ても妻イザベラではない。


 梨央――彼がその名を知る由もない女性――は、怒りに満ちた声で「誰よそれ!」と叫ぶと、乱暴に扉を閉めると出て行ってしまった。ママ待って、と女の子の声が扉の外へ追いかけて行った。


「……何が起こったのだ」


 平手打ちから目を開けた瞬間、イザベラが何かに化けたのかと思った。だが、この狭い部屋も、味気のない扉も、真っ白な壁や天井も、何かが明らかにおかしい。自分の知っているものとは違いすぎる。ジークフリートは周りを見渡し、頭を抱えた。


 起き上がると身体が軽い。見ればいつもの鎧姿ではなく、出て行った女性と似たような質素な格好をしていた。視界も低く、脚や腕に鍛えたはずの力強さもない。


「ぬ……? 私の身体ではない、のか……?」


 周囲にあるものすべてが異質で見たこともない。シンプルな部屋。壁や扉も簡素なようで、見たこともない技巧が組み込まれているようだ。見慣れた調度品などもなく、代わりに奇妙な機械があちこちに並んでいた。幻覚魔法をかけられたと言われた方がまだ納得する。


「これは……どういうことだ? ここはどこだ?」


 壁際の箱から香るハーブの匂いや、コチコチとなる時計の音が現実だと告げる。


 だから、まずは安全を確保する――戦士として身についた習慣が、混乱した彼を部屋の探索に導いた。


 奇妙な部屋だった。庶民の家にしては様々なものがある。ジークフリートはその一つ、白光りする台に目をつけ、近づいた。


「これは……何の作業台か?」


 彼が側面にあるスイッチを押すと、パチパチと火花が散ったと思うとボッと火が点いた。瞬間、ジークフリートは慌てて飛び退く。


「何だ!? 魔法か!? 罠……いや、違うな、これは……火……竈、か……? ここで鍛冶でもするというのか? ううむ、いったいどういう仕組みで……」


 ふたたびスイッチを押すと炎が止まる。その簡便な作りに感心する。貴族が持つ魔道具でも、このような簡便さで俊敏な動作をするものは珍しい。


 未知の空間。敵の気配はないがまだ油断はできない。ジークフリートは警戒しながら、扉の開け放してあった、天井から床まですべて白い部屋へ立ち入った。


「石でも鉄でもなく、このような箱を造れるものか……?」


 物珍しさでその手触りを調べているところで、身体が壁際のレバーに当たった。


「ぬおっ!? 冷たい!」


 反射的に空の箱へ飛び入るも、蜂の巣のようなものから飛び出す水を被ってしまう。レバーの位置を元通りにすると水は止まった。


「今度は水の魔法か……!?」


 びしょ濡れになった彼はますます混乱した。白い部屋から出ると正面に鏡がついた台があることに気付いた。彼はその鏡を凝視し、薄明かりの中で自分の姿を見た。そして立ち尽くした。


「これが……私か? この黒髪の、丸顔の、頼りなさそうな優男が……」


 当然に受け入れることなどできない。だが映る姿が彼の意思で動く以上、これが自分であると認識するしかなかった。


 彼はリビング――彼にとっては狭い応接間――に戻ると、机の上に無造作に置かれた細長くボタンの並んだ板に目をつけた。奇妙なものだと思いながらボタンを押すと、突然に離れた板に灯りがつき、映像が現れ、音声が流れ始めた。


「何者だっ!?」


 ジークフリートは驚きのあまり後退し、椅子につまずいて尻もちをついた。画面に現れた人間が次々と入れ替わる。人々が話しているのは日常的なことであり、買う物の値段であるだとか、美容品がどうであるとか、至って平和な内容だった。


「これは……どうやら魔法ではない」


 魔法を発動するのであれば魔素が動く。彼は魔法の素養もあったので魔素が動いていればそうと気付く。だからこの装置も魔法を使ってはいないと理解した。


 この空間にある装置は、どうやらスイッチを押せば稼働し、元に戻すかもう一度押せば停止することを学んだ彼は、板のボタンを押して映像を消す。


「ここは、私がいた世界ではない……」


 板に投影された映像を見て彼は気付いた。そこでは服装も文化も異なる者たちが、飢えや貧困もなく人生を謳歌しているように見えた。少なくとも彼が居たルクスリア王国があるセレスタリア大陸に、ここまで繫栄している都市は存在しない。異なる世界だとしか言いようがないのだ。


 そして彼はこの場に自分を害する者はいないと結論付けた。警戒を解き、自身の置かれた状況を整理して思い出す。


「……そうだ、ロザリアの件で」


 娘のロザリアが学園に通うにあたり、どこから通うかという話でイザベラと口論になっていたのだ。いつも柔らかい微笑みを浮かべ、自分の言う事に従っていたイザベラが、珍しくもジークフリートに意見したのだ。


 「私の言うことに間違いはない」と突っぱねたが、イザベラは「ロザリアの気持ちも汲んであげてください」と珍しくも眉根を寄せて譲らなかった。いつもであればすぐに折れるはずのイザベラが、その主張を変えず。最後は「いつも私たちの気持ちを汲んでくださいませんね! もうあなたと一緒に暮らせません!」と啖呵を切り、侯爵である自分に平手打ちをしたのだ。それにかっと頭に血が上ったところまでは覚えているが、その瞬間にはもうこの部屋にいたのだ。


「まさか、イザベラは……!」


 侯爵に手を挙げたのだ。いくら妻でも無礼にあたり、ジークフリートの意ひとつで処刑することだってできる暴挙。それほどまでの覚悟をさせるほど彼女を怒らせてしまっていた。


 戦で死を覚悟するのはあらゆる手を尽くしほかに手段の取れぬとき。それほどまでに彼女を追い詰めていたのだ。いったい、どういう想いで彼女はそこまで至ったのか。あの笑顔は、期待して裏切られたものだというのか。


「私の……何が悪かったのだ」


 彼女の尽くした期待を、私は見逃していたというのか。あのロザリアの家庭教師を選ぶときの話も、デビュタントのときの話も。思えばいつもロザリアの件のとき、彼女はあの微笑を浮かべていた。そうか、あの微笑は……!


 ジークフリートは、対鏡の無限回廊で迷う妻の姿を夢想した。そしてついに彼女がその出口を見つけてしまったということに戦慄した。彼女はもう、フロイエンを見限るということに。


「イザベラ……!」


 いや、まだだ。イザベラに謝り、彼女の意見を採用すると言えば戻ってくれるに違いない。離縁をするにも手続きがある。諦めるには早い、まだ時間はあるのだ。


 家を出ると言っても王都までは距離がある。すぐに行けば追いつける。ならばこんな場所でぐずぐずしている場合ではない。すぐに戻るのだ。戻って、イザベラを連れ戻すのだ。


「……戻る?」


 だが、どうやって? ここに来た理由もわからない。その方法も。


 ここに来たときは一瞬だった。魔法が使われたわけでもない。もしも該当する出来事があるとするならばひとつだけ。そう、あの平手打ちだ。


「……衝撃……あの平手打ちの衝撃が何か関係しているのか?」


 彼は必死に思案を巡らせる。そして、同じような衝撃が再び起これば、元の世界に戻れるかもしれないと考えた。


「そうだ……自分に強い衝撃を与えるのだ」


 彼は辺りを見回し、ちょうど棚に置いてあった時計――陶器製の置時計が目に入った。奇しくも自身の部屋に置いてあったものと似通った、アーチ状の形をしていた。


「これで……頭を打てば……!」


 覚悟を決めたジークフリートは、置時計を思い切り自分の頭に振り下ろした。


ゴチィィンッ!


 鍛えていた自身の身体で受けるつもりで振り下ろしたそれは、想像以上の衝撃をもって彼の側頭部を殴打した。視界が真っ白になり、ジークフリートの身体が揺らぐ。彼は耐え切れず膝から崩れ、ぼふんとソファーの上に倒れた。


 激しい痛みが思考力を奪っていく。その苦痛のぶんだけ贖罪になればと願いそうになるくらいに。


「戻……れた……か……」


 イザベラの顔が浮かんだ。だが、思い浮かんだ彼女の顔は能面のように無表情だった。以前は笑顔で食卓を囲んでいたはずなのに。いったい、いつから最愛の妻の笑顔を見ていないのか――


 彼女の笑顔を奪ってしまった自分。どれほどまでに、彼女に理不尽な我慢をさせてしまっていたのか。彼女の、家族のためと思ってしてきたことが正しくなかったということに、ジークフリートは積み上げてきた自負にひびが入っていくのを感じた。


 ジークフリートの意識は闇に沈んでいく。どうすればイザベラが笑いかけてくれるのか、彼にはついぞ、わからなかった。





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