第12話 改変の袋小路
「そうか、就寝まで無事に終えたのだな」
「大丈夫。特に問題はなかった」
やらかしたけれど事無きを得た、というのが正しいけどな。駿はそう頭の中で続けた。
「メイドに悪い噂など立てられなかったか?」
どきりとするも、結果として嘘ではないと駿は首肯した。
「うむ、さすがは駿だ」
騙しているようで罪悪感はあったが、カタリーナに助けられたという情けない状況を伝えたくなかった。これで良いのだと駿は自分に言い聞かせる。
「よくぞ1日で会得した。その調子で使用人への態度は一貫するのだ」
失敗はあっても自分なりに頑張ったことを認められて悪い気はしないが、言葉遣いなどは未だに不安だった。そして、貴族らしい振る舞いとは単に偉そうな態度を取るだけではないことを知ったことにより、目の前のジークフリートの振る舞いこそが貴族らしさなのだと改めて感心していた。
「そっちも洗濯機とか無事だった? 洗剤の量とか説明してなかったから泡だらけにならないか心配だったんだ」
「う、うむ。問題ない」
問題はあったが問題ないよう処理をした、というのが正しいのだが。ジークフリートも頭の中で続けた。
「良かった。買い物とかも清算せずに万引きしたりしたらどうしようかと思ったよ」
「ははは、まさかそんなことをするはずがない」
図星を突かれぎくりとするが平静を装うジークフリート。鷹峰嬢のおかげだとは、彼のプライドから言う事などできなかった。
「機械を初めて触ったのに、それだけ家事ができるならすごいよ。物覚えが良いんだね」
当然だと胸を張るジークフリートは、ハリボテを評価されているようで駿の褒め言葉が怖かった。使い方の分からない代表がスマホとかいう機械で、押すべきボタンが変わるうえに、呪われているかのように突然鳴動するのだ。壊してしまうかもと恐る恐る触っているところでそうなるのだから、いつもびくついてしまう。
愛想笑いの駿に得意顔のジークフリート。互いに反応の怪しい相手の答えが気にはなったが、これ以上は藪蛇になると納得することにした。
「ところでジーク。お嬢さんのロザリアとは仲は良いのか?」
「うむ。イザベラが連れて行ったとはいえ、普段から話はしていた」
「そっか。嫌われてないなら良いんだ」
「そういう駿はどうなのだ? 杏奈嬢とは話をしていたのか?」
「うん、俺も娘とは前日まで冗談を言い合ってたから」
次の一手。互いの世界に慣れたなら妻子の連れ戻しを進める。当初の約束だ。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ、か」
「うん、嫌われてない相手のほうが説得しやすいし、ロザリアお嬢さんからイザベラさんを説得してもらったほうが早いかもしれない」
「なるほど。こちらも条件は同じ。私もその戦略を真似てみよう」
本当はそのためじゃないんだけど。駿はまた言葉を飲み込んだ。
その後、ふたりは明日から始まるという仕事について互いに指示を出していく。前回の交信のように途中で終わってしまうとまずいので要点を絞っての説明となった。
駿はICカードをかざして電車に乗ること、会社での振る舞い、そして具体的な営業の仕事について話をした。そして「どうしても分からなかったら、鷹峰沙織という後輩がいるから彼女に聞いてみて」と最後の手段を教示する。その名前にジークフリートはひやりとした。
ジークフリートも領主としての決裁事項を軽く説明した後、現在進行中の街道建設、大森林近くの農地開拓事業、大商会への営業許可申請などの案件を話した。そして「家令は優秀だがあまり隙を見せぬほうが望ましい。困るようだったら隣地であるレーベン侯爵の令嬢カタリーナが懇意なので、彼女に協力を仰ぐと良い」と救済策を授ける。その名前に駿はびくりとした。
それぞれの相手について重ねての確認が必要なはずなのに、互いにどうしてか口数が少なくなったところで、また相手の姿が薄れていくことに気付いた。交信が終わるのだ。
「ジーク、とにかく出社して! 行けば何とかなる。鷹峰に聞けば教えてくれる。行かないほうが問題だから!」
「了解した。駿、そなたも急ぎの判断でなければ先延ばしにし、私に尋ねるか、カタリーナを頼るのだぞ!」
噓から出た実――予想外に相手から提示されたことにより、彼女と関わるための後付けの理由ができて良かったと安堵する駿とジークフリートだった。
『輝聖のアルマリア』――このゲームの舞台はソルア神聖学院。主人公である平民出身のエリスが学院の中で高貴な男性と恋愛し、やがて聖女としての力に目覚め、懇意になった相手との愛の力で闇を祓い国を救うという物語。イラストが華美で期待を裏切らない典型的な物語の乙女ゲームというのが世の総評だ。
典型的と強調されるのは、イベントや登場人物がどこかで見たことがある、と思わせるものが多いから。悪役令嬢ロザリアの存在はその代表格であり、事あるごとに主人公エリスの恋路を陰湿に邪魔をする。最終的に彼女は断罪されることで、プレーヤーのカタルシスを得るための道具となる運命にある――
「連れ戻したとしても、それはないよな……」
ぐにゃりと歪んだ闇の中。覚醒までの僅かな間に駿は悩んでいた。ゲームの物語通りだとしたら、ロザリアの運命はなんと残酷なことか。
まだ2回しか会話をしていないジークフリートに駿は親近感を抱いていた。自身が彼になっているという点を除いても、運命を交換した相手。他人とは思えないのだ。
物語の最後にジークフリートはルクスリア王国を裏切り玉砕する。自身がジークフリートとして散るのは論外だが、元に戻った彼が物語に沿って死んでしまうのも見過ごせない。こうして彼と知己になってしまったことにより、物語そのものが許容できなくなってしまっていた。彼の娘のロザリアについても、自分の娘、杏奈と重ねて思えばどうにかして助けてやりたい。
「これってストーリー改変ってやつだよな……大丈夫なのか?」
そもそもロザリアをどうこうする時点でストーリー改変だ。ロザリアが断罪されないためには主人公エリスへの悪さをさせない――悪役令嬢化させないようにするしかない。だが、ロザリアが悪役令嬢でないなら、物語で主人公エリスに起こるイベントが無くなってしまう。例えば最初にエリスが平民出身とロザリアに見下されるシーンでは、馬鹿にされたエリスを王太子アレクシスが庇う。このときロザリアがいじめないならアレクシスとの出会いもないことになる。
そうなればエリスは愛を育む相手がおらず聖女として成長しなくなり、結果として国自体の滅亡を招いてしまう可能性もある。ゲーム上のゲームオーバーは、実質『輝聖のアルマリア』世界のゲームオーバーだ。フロイエン一家を救済するには、少なくとも『輝聖のアルマリア』のハッピーエンドのための別解を作り出さねばならないことになる。
「うわぁ、こんなのどうすりゃ良いんだよ」
無理、と思わず投げ出しそうになるが、それはジークフリートを見捨てるのと同義だ。いつものように表立って動くのは嫌だ、他人任せにしてしまいたい、という衝動に駆られるが矢面に立つのは自分しかいない。
なら、何とかして答えを見つけるしかない。きっとジークの奴も同じように努力をしてくれているのだろうから。
袋小路に迷い込んだ駿の思索は微睡みの中に溶けていった――