皇宮へ(11)
私の「ノー」の気持ちを伝える前に。
まずはつけていたペンダントを外し、ソファに身を乗り出す。
「アトラス王太子殿下。あの秘密の通路を一人で進み、不安になった時に、このペンダントを握りしめていました。濁流に呑まれても失くさず、こうやって手元にあります。これは間違いなく、幸運のアイテムのように思えました。これは殿下の身分を示し、殿下を守るものだと思います。よってお返ししますね」
彼が手を出してくれると思い、腕を伸ばすと。その手の平はペンダントトップを受け止めたのと思ったら、そのまま私の手までぎゅっと包み込んでいた。
(私の手が小さいの? それともアトラス王太子の手が、私なんかよりうんと大きいのかしら?)
すっぽり包まれた手から感じる彼の温もりに、胸がときめきそうになる。
(ダメ。ときめいては……)
「これはこのままアシュトン嬢に持っていてほしい」
「えっ!? これは王太子の身分を示すものですよ!?」
「王太子の身分を示すものが三つもある必要はない。一つはわたし自身が持ち続けるもの。もう一つは伴侶となる王太子妃に贈るもの。最後の一つは産まれてくる世継ぎへ授けるものなのだから」
これには「……!」と言葉に詰まる。
だがすぐに私は彼の手から自分の手を引き抜く。同時にペンダントから手を離すことになり、それは……断腸の想いだ。
「アトラス王太子殿下。その件ですが、撤回してください」
「……撤回?」
私はこくりと頷く。
「アシュトン一族の今の状態は、皇家の裏切りもそうですが、婚約者がいる私から、第二皇子を奪ったマチルダン男爵令嬢のせいでもあります。私は……マチルダン男爵令嬢のようにはなりたくありません。私とベネディクト第二皇子は政略結婚で、そこに愛なんてありませんでした。よって彼との婚約破棄は、最終的に正解としか思えません」
アトラス王太子はその端正な顔をわたしに向け、真剣な表情で話を聞いてくれていた。彼のその真摯な姿勢はやはり好ましく、想いは千々に乱れてしまう。だがその心の揺れを断ち切るように、私は話を続ける。
「ですがアトラス王太子殿下とレイラ姫は違います。傍から見ていてもお似合いのお二人。お互いを想い合っている様子が分かります。そんな二人を引き裂くことなんて、私にはできません!」
アトラス王太子は自身の手の中に残ったペンダントをぎゅっと握りしめ、聡明さをたたえたブルートパーズのような瞳で私を見る。
「アシュトン嬢は果敢で冷静で、それでいて細やかな気遣いもできる賢い方なのに。恋愛についてはどうやら疎いようだ」
これには「なんですと!?」と言いたくなるのを我慢することになる。
「それは一体……どういうことでしょうか?」
するとアトラス王太子の口元に、あの艶やかな笑みが浮かぶ。
「君から見たわたしとレイラ姫。相思相愛に見えていたのか?」
「はい。間違いなく」
「そこは残念だが節穴だと言うしかない」
これには「???」だった。
(あんなにお互いに優しい眼差しで視線を交わして、そこに愛がないと言うんですかー!)
そう問い詰めたい気持ちになる。
「レイラ姫とわたしには婚約が決まった時から、お互いに好きな相手が別にいたんだ」
「えっ……」
「だが国益とそれぞれの想いを維持することを考えた時、レイラ姫もわたしも、今回の婚約を呑むことが最善だと気づけた。なぜならレイラ姫とは、婚約を経て結婚しても、友人でいようと約束したからだ」
「友人……?」と首を傾げる私に、アトラス王太子は「そう、友人。子を成すようなことはしないと約束した」と答える。
(そ、それはつまり……白い結婚前提の婚約だったということ!? でもそんなこと、王太子である彼に許されるはずがないわ!)
すると私の胸の内を見透かしたかのように、アトラス王太子が口を開く。
「王位継承は男子直系と決まっている。もしわたしと王太子妃との間で子宝に恵まれることがないまま、父上が退位した場合。わたしは即位し、父上の弟である公爵が王太子という扱いになる。さらに公爵には既に嫡男がいるから、もしもの時はその嫡男が王太子となるだろう。よってレイラ姫とたとえ結婚しても、無理に子を成す関係を持たなくてもよかった。それは彼女にとっても願ったり叶ったりだ。好きな相手とは結ばれるのが難しい。いずれかの相手と結婚するが、その身と心は、結ばれない彼に捧げたいと思っているのだから」
捧げるといっても実際に関係を持つわけではない。ようは一生相手を想い、乙女であることを誓うということ。政略結婚をしながら、そんなことを許されるなんて……。間違いなく、レイラ姫にとって、アトラス王太子との婚約は、一途な気持ちを持ち続けるには最適なものだった。
「政略結婚というのは、家門や国益が優先され、当人の気持ちは置いてきぼりになりがちだ。だがレイラ姫とわたしの場合は違う。国同士としても、当事者同士としても、完全に利害が一致した政略結婚だった。だからこそ、ギスギスすることもなく、穏やかな関係を維持できたと思う。そんなわたしとレイラ姫を見て、相思相愛と思えたのなら……それはそれで悪いことではない。わたしとレイラ姫だけが知る密約はバレずに済むのだから」
(それならば私が二人がてっきり上手くいっていると思っても、仕方なかったということね)
いろいろ腹落ちした私に、アトラス王太子はとんでもないことを言い出す。
「あり得ない方法で王宮にまでやってきて、あの美声を響かせた君が、わたしとレイラ姫程度の演技に騙されるわけがない。たとえ多くを騙せても、君なら見破っているはずだ」
これには驚き、「そんな、買い被り過ぎです!」と否定した。するとアトラス王太子は、口元にあのゾクリとする微笑を浮かべる。
「そんなことはないだろう。わたしが心から好きになったレディなら、それぐらい看破できる」
「なっ、それは……ズルいです!」
というか、レイラ姫には意中の人がいて、アトラス王太子にも……想い人がいる。だがしかし、二人が婚約したのは、半年ほど前。
その当時、私はアトラス王太子とは出会っていない。そうなると私以外の好きな人が、半年前にいたわけだ。そしてその気持ちは、レイラ姫と白い結婚で構わないと決断させるぐらい強烈なもの。
(えっ、そんなに深い想いなのに、どうなってしまったのかしら!? 私にプロポーズしている場合?)
そこを確認したいと思ったら、扉がノックされた。
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