始まり(1)
マリナ・サラ・アシュトン。
それが私の名である。
美貌の両親の血を受け継ぎ、私は容姿に恵まれていた。さらに英才教育を受けることで、完璧な公爵令嬢として成長することになる。
デセダリア帝国の美しき薔薇、美と叡智の女神、帝国一の令嬢――など賞賛の名を欲しいままにし、十二歳の時に、この帝国の第二皇子ベネディクト・ジョージ・デセダリアの婚約者に選ばれた。
ベネディクトは、生真面目な皇太子と違い、ダークブラウンの柔らかい髪に翡翠色の瞳で、人懐っこい性格をしている。その容姿と性格と身分により、彼は幼い頃よりモテていた。
アシュトン公爵家の力をもって調べると、ベネディクトからは沢山の埃が出てくる。要するに彼は表向き品行方正な第二皇子であるが、水面下で泣かせた女の数は知れず、だったのだ。王宮から急に姿を消した使用人の女性は、彼に弄ばれた結果という噂は絶えなかった。それでも皇族の一員である。皇帝陛下から「ベネディクトの婚約者に、アシュトン公爵令嬢を考えている」と相談されたら、両親は「ノー」とは言えない。
アシュトン公爵家は、デセダリア帝国で最も格式が高く、由緒も正しい公爵家の一つ。王家とのつながりも深かった。それでもプレイボーイと陰でささやかれるベネディクトとの婚約は拒めず、私は彼と婚約することになったのだ。
私と婚約したベネディクトは丸くなった。それまで遊びでいろいろな女性に手を出していたのだろうが、公爵令嬢と婚約したのだ。もし公爵家から、彼の浮気を理由にした有責の婚約破棄ともなれば、王家としては痛手であるし、外聞が悪い。よって皇帝陛下からも強く注意を受け、プレイボーイの名を返上したようだったのだけど……。
「マリナ。君と僕はやがて結婚するんだ。それは絶対そうなる。だから……いいだろう?」
女遊びを禁じられたベネディクトの欲求は、婚約者である私に向けられるようになった。
最初は腕や肩に触れる、手をつなぐなどのスキンシップ。でも次第にそれがエスカレートしていく。キスを求められ、胸やお尻に触れようとするので、私は大いに驚くことになる。
帝国だけではなく、この大陸の多くの国々において、未婚の男女の必要以上のスキンシップも、キスもそれ以上も。一切が禁じられているからだ。
「マリナ。結婚するまで、決してベネディクト第二皇子に身を許していけないよ。公爵令嬢としての誇りにかけ、そこは死守するんだ。マリナの名誉にも関わることでもある。分かったね?」
父親からもこう言われていた私は、ベネディクトの誘惑をことごとく拒んでいた。
それはデセダリア帝国学院へ訪問した時のことだった。
皇族であるベネディクトとその婚約者である私は、学院へ通うことなく、皇宮で専属の家庭教師による教育を受けていた。それでも同年代の貴族の令嬢や令息と交流の場を持とうということで、ベネディクトと二人で、デセダリア帝国学院主催のお茶会へ参加したのだ。
そのお茶会にいたのがシェリー・マチルダン男爵令嬢だった。
マチルダン男爵は平民出身で爵位をお金で手に入れたと言われているが、成功した銀行家で、とにかくお金持ちだった。本来、デセダリア帝国学院に男爵令嬢は入学できないのだけど、お金の力で入学を許可されていた。そしてマチルダン男爵令嬢とベネディクトは、お茶会の席で隣同士となり、会話が生まれる。
でもベネディクトは女遊びを禁じられていた。それに皇宮の女性の使用人に手を出していたが、それでも相手は行儀見習いに来ていた伯爵令嬢や子爵令嬢。貴族社会では最底辺となる男爵令嬢には、さすがに手出しをしないと思っていたら……。
厳しい貞操観念を持つのは王侯貴族で、平民は違う。そしてマチルダン男爵令嬢は平民出身だったからか。しかも噂では、子どもができないマチルダン男爵夫人が孤児として彷徨っていた少女を保護し、娘として迎えたのが、マチルダン男爵令嬢だと言われている。そんな出自もあり、マチルダン男爵令嬢はかなり緩い貞操観念の持ち主だったようだ。というのも二人は出会って早々に、超えていはいけない一線も、あっさり超えてしまう。
ベネディクトとしては、女遊びは禁じられているし、皇家の一員として平民出身の男爵令嬢に手を出すつもりはなかったと思う。だがこれまで自由にやってきて、婚約したら禁欲を強いれられた。そちらの欲は溜まる一方。そこに一線を簡単に越えさせてくれる男爵令嬢が現れたら……。
しかもマチルダン男爵は成金の大金持ち。由緒正しく、歴史もあるが、没落寸前の貴族に比べたら、金で買った爵位だろうと、関係ない。世の中、結局はお金だった。
こうしてベネディクトとマチルダン男爵令嬢はあっという間に深い仲となり、二人して画策を始めた。なんとかしてアシュトン公爵家有責で婚約破棄にできないかを。
そんな子ども二人が画策してもどうにもならないかと思ったが、違う。マチルダン男爵も、娘が第二皇子の婚約者になることは、願ったり叶ったりだった。そこで大金を動かし、お父様……アシュトン公爵の黒い噂を流し始める。
それは裏帳簿を使った脱税。さらには帝国で許されている奴隷制ではあるが、そのルールを無視した人攫いまがいのことを私の父親が行っているという、黒い噂を流したのだ。
それだけではない。
父親であるアシュトン公爵も母親であるアシュトン公爵夫人も、生粋の貴族であり、どこかおっとりしていた。これまで筆頭公爵家として、なんら問題ない歴史を重ねて来たことで、気が緩んでいた……というのもあるだろう。屋敷に使用人のふりをして入り込んだマチルダン男爵の手の者がいたことに、気付かなかった。
その結果、屋敷の中で脱税の証拠とされる裏帳簿が発見される。もう何十年も使っていないはずの屋敷の地下室で、攫われたという女子どもが発見されてしまったのだ。父親がしたことではない。マチルダン男爵の息のかかった使用人が行ったことだったが、世間と皇家は……父親を罪人だと認めてしまう。
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