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(俺が)(あんたが)主人公のこの世界で(私が)(お前が)

乙女が死んだ日



「―――俺、来月結婚するんだ」



 ひどい、と思った。





□■□■□



 父の転勤で引っ越ししてきたわたしには当然友達なんていなくて、新しい家なんか大嫌いだった。

 母の地元らしいが、わたしの地元ではない。

 わたしの地元はあの場所であり、ここではない。みんなと離れたくなかった。離れたくなかったが、わたし一人が「嫌だ」と駄々をこねたところで意見が通るわけもなく、母と父に説得されたフリをしてトイレで毎晩泣いた。なにが一軒家だ。知らねぇよ。

 それから引っ越しをしたわたしは、行きたくもないあいさつ回りに連れてかれ、わたしの機嫌は地面を這って移動する蛇のようであった。

 隣人の家の前。

 スカートの裾を掴んで、自分の足を見る。

 ――……はやく終われ。

 意気揚々とインターフォンを押す母は、わたしのことなんて見えていないかのようだ。

「はい、どちらさまですか?」

「突然すみません。わたしたち隣に引っ越してきたものです」

 そんなよくある言葉から始まった挨拶を聞いた相手は「わざわざ丁寧にありがとうございます。少しお待ちくださいね」と言うものだから、どうして居留守とか使わないんだ! とわたしの機嫌はもぐらのように土の中へと潜っていく。

 扉が出てきたのは女性に母は、さっきと同じ言葉を繰り返す。それから引越しの挨拶だと言って、ちょっと高いお菓子を渡す。型にはまったような挨拶をしていれば、母が少しだけ気まずそうに女性に問いかけた。

「もし違ったら申し訳ないんですけど、もしかしてリサ先輩ですか?」

 母の問いかけに女性の空気が変わったのがわかった。必死に思い出そうとしているようであったが、母がしびれを切らせて言葉を続けた。

「私ですよ、先輩! 一緒の中学だったじゃないですか、後輩の沢渡です!!」

「あっ! もしかして、サワーちゃん?!」

「そうですっ!」

「うわぁ! マジで久しぶりじゃん!」

「お久しぶりでぇす!」

 いよいよわたしの存在は地球の中心でうずくまる。

別の生き物になってしまったかのように、昔話に花を咲かす二人にわたしは何故だか涙があふれてたまらなかった。けれども、泣いているなんてバレたくなかった。ただただ自分の二つの足を見つめ、息を潜める。握りしめていたスカートの裾は、目も当てられない。少しでも気分が上がるようにと、前向きになれるようにと、お気に入りのスカートで武装したって言うのに、酷く惨めだ。

「ほら、挨拶しなさい」

 突然会話にぶち込まれたわたしは当然言葉なんて出るわけなく、小さく頭を上下に動かした。

「もう! ちゃんと挨拶しなさい!」

「可愛いね~、緊張しちゃったのかな~~?」

 怒る母と宥める女性を、わたしは無視をする。

 返事をしないわたしへの興味なんて、すぐさま消え失せて二人の世界へと戻っていく。

 もう大嫌いな家に帰ってしまいたかった。きっと、ここに立っているよりかはマシだろう。

「あれ? 母さん、その人たち誰?」

 世界の外からやってきた男の子の声に、体がびくりと反応する。

「あれ? もう帰りの時間になった? つーか、言い方が失礼」

「もう帰りの時間だから帰ってきた。はい、すみませんでした。そちらのお二人はどなたですか?」

「新しいお隣さん。あっ! あんた、同じ小学校なんだから面倒みてあげな」

 女性の言葉に、男の子の視線がわたしへ突き刺さる。

 真っ直ぐ近づいてくる気配に、わたしはどうすることもできなくて、もう握ることなんてできないスカートの裾に縋りつく。

 わたしの足しか存在しなかった世界に、男の子のつま先がそっと触れる。

 どうしたらいいのかもわからないわたしは、二つある瞼をぎゅっと閉じた。嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。



「はじめまして。―――かわいいスカートだね」



 思わず顔を上げてしまった。

 だって、今日初めて気づいてくれたんだもん。

 誰にも褒められなかった、わたしのかわいいスカート。



 きらり。



 そう、彼の瞳はきらりと星が瞬いていた。



「母さん」

「どうした?」

「この子連れて、その辺案内してくるわ」

「えっ! いいの? 迷惑じゃない?」

 彼の提案に困惑している母であったが、どこか嬉しそうであった。

「いいですよ。この子も知っていた方がいいと思いますし」

「なになに、あんたにしては珍しいじゃん」

 茶化す彼の母親に「うるさい」と一言で返した彼は、恥ずかしそうとかではなく、ただただ迷惑そうであった。

「それじゃあ、行こうか」

 そうして差し伸べられた彼の手に、手をゆっくりと伸ばす。

 彼の指先に、わたしの指先が近づくほどに心臓が震える。もう少しで触れるところで、わたしは怖気づいてしまう。止まってしまったわたしの指先に気づいた彼は、少しだけおかしそうに笑って、自らわたしの手を掴んだ。

 強引に、でも綿菓子に触るようにわたしの手を握りしめた彼は、ニカリと笑って前を向く。



 その刹那に溢れ出た涙は、はらりとわたしの頬をすべり落ちた。








 そう。

 そうだ。

 わたしはこの瞬間、彼に恋をしたのだ。

 彼に捕まれた指先と同じように、彼に“こころ”を絡め捕られてしまったのだ。

 少しだけ年上の彼は、引っ越してきたばかりのわたしに甘ったるいほど優しかった。どんどん深みにはまって、はまる分だけ好きが増えて、好きが増えた分だけ、息ができなくなった。

 この苦しさが、心地よかった。

 親同士が知り合いで、子どもが同じ小学校のおかげで、家族ぐるみの付き合いになっていった。

 父の転勤でここに引っ越してきた。



でも、本当は彼に会うためだったんだ! ―――そんな妄想を、本気で信じていたんだ。




 素敵な彼に釣り合うように、わたしは自分磨きをはじめた。父と母の「そんな早いよ」「なにをそんな」「子どもには、まだ不要です」の言葉の群れに、心をズタズタに切りつけられても、大人な彼の隣に立つために耐えることができた。

 恋する乙女は繊細で、無敵だった。

 動画サイトで人気な運動不足解消ダンスや、いつでも手を繋いでもらえるようにハンドクリームを塗り、メロメロボディになるために全身にもボディクリームを塗る。朝と夜には、彼と頬を寄せる未来を夢見て化粧水をつけた。

 好きで、大好きで堪らなかった。

 溢れ出る思いは、日に日に増して減ることなんてなかった。

 視界に入るものすべてを彼に繋げてしまう、それだけで世界は明るくて、楽しくて、きらきらしていた。

 彼と結婚して、仕事から帰ってきた彼のために「ご飯にする? お風呂にする? それとも、」なんて恥ずかしいことだってするため、料理を始めて、いままで手伝ったことがなかったのに、家事もやるようになった。

 問題の彼との関係も良好で、彼のお母さんは家事を手伝うわたしを見て「娘にほしいわ~」「こんないい子いないよ~」「どう? うちの息子」なんて、よく言ってくれた。

 嬉しさで息ができないわたしが、不快な気持ちにならないように「母さん」と少しだけ声を低くして注意する姿に、また溺れていく。

「ごめんな。流してくれていいからな」

「ううん、大丈夫だよ」

「嫌気持ちになったら、すぐに言えよ」

「本当に大丈夫だよ」

 優しい。優しい。優しい。その優しさが毒のようにわたしの中に溜まって、いつか致死量に達して彼に殺されるんだ。



 少しだけ年上の彼との年齢差は埋まることはない。それが少しだけ悲しいけれど、差があったからこそ出会えたのだと思えば悪いことなんて何一つなかった。



 それなのに。



「―――俺、来月結婚するんだ」



 社会人になった彼が言った。

 とても嬉しそうで、楽しそうで、幸せそうで、最初は何を言われているのか理解できなかった。

 だって、わたしはずっと彼のことが好きで、

  どうして?

 だって、わたしは毎年欠かさずバレンタインデーに気持ちを伝えて、

  なんで?

 だって、わたしはずっと自分を磨いてきて、

  おかしいよ。

 だって、わたしは彼を愛していて、

  ひどい。

 だって、わたしは、

 ――――――……だって、



 いろんな思いが頭の中を、ぐるぐると巡る。いろんな感情が心を突き刺していく。

 ごうごう、ごうごうと風が軋み、ぼうぼう、ぼうぼうと火が歪む。荒れ狂うわたしなんて知りもしない貴方は“好きな女性”の話をわたしにする。




「……結婚、おめでとう」

「おう、ありがとな。血は繋がってなくても、お前は“妹”みたいなもんだからさ、直接伝えたかったんだよな」



そう言って笑った貴方の横顔は、憎らしいほど素敵だった。







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