81話
膠着した盤面を破ったのは、百合だった。
百合はじっと盤面全体を見つめ、呼吸を整える。
(……今だ)
百合は持ち駒の角を持ち上げる。
先ほど交換し、手元に残していた持ち駒だ。
そのまま、相手の陣地へと突き刺すように打ち込んだ。
金と飛車の両取り――鋭い一手だ。
相手の横浜海浜高校の生徒が、ほんの一瞬動きを止めた。眉がわずかに寄る。
結局、横浜海浜高校の生徒は飛車を逃がせず、百合の角と交換する形を選んだ。
そこから盤面は一気に動き出した。
飛車を手に入れた百合が、反撃に転じる。
これまで受けに回っていた駒が、次々と前へ押し出される。攻めの速度が、まるで水門が開いたように加速した。
しかし、相手も引かない。
駒が将棋盤に力強く打ちつけられる音が、対局室に響いている。
百合は受けにも無駄がなかった。
攻められても必要最低限の受けだけでいなし、それ以外の手をすべて反撃に回す。
相手の攻め筋を、必要最小限の手でかわす冷静さ――じわじわと形勢が百合有利に傾いていく。
やがて形勢は百合の勝利が濃厚になっていった。
――
小手指原高校の控室。
モニターに映る盤面を、桜が腕を組んで見つめていた。
「これなら……私の出番はなさそうね」
その隣で柚子が首をかしげる。
「その場合って部長の出場制限はどうなるの?」
「オーダーを出した時点で出場扱いになるわ。コールド勝ちでも関係ないの」
「へぇ〜、そうなんだ〜」
柚子は納得したように頷き、再び画面へ視線を戻す。
画面の中で百合は、またひとつ相手の攻めを受け切っていた。
――
対局室。
横浜海浜高校の生徒の玉が、盤の隅へ追い詰められていく。
(ここまでか……)
横浜海浜高校の生徒は小さく息を吐いた。
玉の逃げ道が完全に塞がれている。
「……負けました」
横浜海浜高校の生徒が深々と頭を下げる。
百合も「ありがとうございました」と礼を返した。
――この瞬間、小手指原高校の二回戦進出が決まった。
席を立つ百合の足取りは、自然と軽くなる。
胸の奥で高鳴る鼓動が、勝利を実感させた。
百合は軽やかな足取りで控室へと向かった。
――
遠く離れたロンドン。
カーテンを閉め切った部屋の中、ジョン・マッケニー――ゲーム仲間からは“ランガ”と呼ばれる青年が、タブレットに映る配信画面を見つめていた。
百合の勝利の瞬間、彼は口角を上げる。
(ナイスだ、ユーリ)
彼はスマホを手に取り、チャットアプリを開く。
短く、しかし確かな意味を込めて送信する。
『gg』
――good game。
彼らがオンラインゲームで何度も交わしてきた言葉だ。
――
横浜海浜高校の控室。
赤い登山靴の生徒が戻ると、仲間たちが振り返る。
「……ごめん、負けた」
俯く彼に、黄色い登山靴の生徒が笑った。
「何言ってんの、ワンダーフォーゲル部なのに全国大会まで来れただけで十分だろ」
「そうそう。これで部の予算も増えるし」
青い登山靴の生徒も肩を叩く。
そこへ緑の登山靴の生徒が、ぽつりと呟いた。
「……明日、やけ登山行くか」
笑い声が広がる。
彼らの夏は、ここで一つの区切りを迎えた。
――
小手指原高校の控室。
戻ってきた百合を、桜、牡丹、柚子、虎門潤也、福辺舞が迎える。
「お疲れさま、百合!」
「やったね!」
喜びの声が飛び交う中、百合のスマホが震えた。
表示された名前は――芽衣。
百合はスピーカーにして通話に出る。
『百合先輩、勝利おめでとうございます!』
「ありがとう、芽衣」
短い言葉のやりとりだが、スマホの向こう側の芽衣の笑顔が透けて見えるようだった。
桜が一歩前に出て、皆を見渡す。
「じゃあ――二回戦に向けて、改めて気合い入れていきましょう!」
「おーっ!」
声が一つに重なり、控室の空気が熱を帯びた。
全国の舞台での戦いは、まだ始まったばかりだ。




