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76話

8月13日――全国大会の開会式を翌日に控えた東京は、激しい雨と風に包まれていた。

窓を叩きつける雨音と、時折ビルの間を抜ける強風が唸り声を上げている。


小手指原高校将棋部のメンバーの「ほとんど」は、すでに東京に入っていた。

「ほとんど」は、だ。


全国大会の会場は都内の大ホール。

各地から集まる学校の多くは、台風が接近するという予報を受け、予定を前倒しして東京に集結していた。


だが、小手指原高校の拠点には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。

メンバーの伊波芽衣が、まだ到着していないからだ。


――


東京都内の高級ホテル。

結城牡丹の家が手配した全国大会用の拠点として用意されたスイートルーム。

窓の外では豪雨と風が混じり合い、ガラスを激しく打ちつけている。


部屋の中央には、十六夜桜、結城牡丹、西条百合、七瀬柚子、虎門先生、福辺先生がテーブルを囲んでソファに座っていた。


百合はスマートフォンを操作し、画面を何度もスワイプしては小さく息を吐く。

テーブルの上にはコンビニで買ってきた菓子やルームサービスの飲み物などが並んでいるが、誰も手を伸ばそうとしなかった。


「やっぱり、今日と明日は新幹線も在来線も終日運休みたいだね。」


百合がぽつりと言うと、テーブルの空気がさらに重くなる。

柚子が座ったまま、クッションをぎゅっと抱きしめた。


「芽衣ちゃん、大丈夫かなぁ……」


牡丹は小さくため息をつき、扇子を閉じてテーブルに置くと、小さな声で口を開いた。


「うちのリムジンで迎えに行かせたいところですが……荒天の中、使用人に運転させるわけには参りませんわね」


言葉とは裏腹に、牡丹の表情にはわずかな焦りが滲んでいた。

虎門は椅子の背にもたれ、大きく息を吐いて頭をかく。


「自然相手じゃ、どうしようもないな……」


重い空気を打ち破ったのは、桜の明るい声だった。


「でもまあ、芽衣からは明後日の夕方の新幹線の予約が取れたって連絡があったし、何とかなるわよ」


桜は皆を見渡して、少し笑みを浮かべた。


「だから、一回戦は芽衣抜きで戦いましょう。芽衣抜きのオーダーを今日中に決めて、芽衣には二回戦から大暴れしてもらいましょうか」


桜の声に、柚子が小さく「うん……!」と頷き、百合もスマホをテーブルに置いて前を向いた。

牡丹も扇子を持ち直し、桜に微笑む。


「そうですわね。一回戦は私たちだけで十分に勝てますわ」


こうして、小手指原高校の作戦会議が静かに始まった。


――


一方その頃、常盤謙信のタワーマンションでは。


窓の外は昼間だというのにどんよりと暗く、激しい雨が視界を覆っている。

芽衣は窓際に座り、スマホの画面をじっと見つめていた。

何度も鉄道会社のホームページの最新のお知らせを見て、小さく息を吐く。


「新幹線も在来線も……明後日まで動かないのか……」


芽衣は窓の外を見つめ、ぼんやりとつぶやいた。


謙信は将棋盤の前に座り、駒を箱から取り出して並べ始める。

そして、芽衣に声をかけた。


「焦っても仕方ないですよ。台風はどうにもできません」


その声に、芽衣は小さく笑って、息を吐いた。


「……わかってるんですけど、じっとしてると落ち着かなくて」


謙信は苦笑し、指先で銀を軽くつつく。


「なら、できることをやりましょう。ここにいる間に、対局をして少しでも強くなる。それが一番です。」


芽衣は頷き、将棋盤の前に座り直すと、自然と駒を並べ始める。

謙信も静かに駒を置きながら、ふと言葉を続けた。


「明後日は、運転が再開したら最寄駅まで車で送りますよ。」


芽衣は短く「はい。ありがとうございます」とだけ返し、ゆっくりと駒を置く。


窓を叩く風と雨は一層強まっている。

だが将棋盤を挟んだ二人の空間には、嵐とは裏腹に静かな雰囲気が漂っていた。


「お願いします」


駒を並べ終えた芽衣が一礼すると、謙信も小さく息を吐いて頷いた。


「では、始めましょうか」


静かな駒音が、嵐の中に消えていった。

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