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74話

タワーマンションの地下駐車場は、真昼の熱気を閉じ込めたまま、ひんやりとした空気が漂っていた。

芽衣は祖父と並んで軽トラックを降りると、すぐそばで背の高い男がこちらに気づいて歩み寄ってくるのが見えた。


男は黒い半袖のTシャツにジーンズというラフな格好だが、どこか人を寄せつけない雰囲気をまとっていた。

その男が祖父の前で足を止める。


「お久しぶりです、師匠」


低く落ち着いた声だった。祖父の繁蔵は口元を緩める。


「おう、謙信。相変わらず痩せてんな、ちゃんと飯食ってんのか」


「師匠こそ。相変わらず酒も煙草もやめてないでしょう?」


二人のやり取りを見ていた芽衣は、少し緊張しながら男を見上げた。

男は芽衣に目を向け、ふっと目尻を和らげて軽く頭を下げた。


「初めまして。常盤謙信ときわ けんしんです。君のおじいさんの弟子です」


「伊波芽衣です……よろしくお願いします」


芽衣も慌てて頭を下げると、謙信は「こちらです」と言って地下駐車場の奥にあるエレベーターへと歩き出した。

祖父と芽衣もその後に続く。


無機質なエレベーターの扉が開くと、三人は乗り込み、謙信が最上階のボタンを押した。


「最上階……すごいですね」


思わず芽衣がつぶやくと、祖父が隣で鼻を鳴らして口を挟む。


「こいつはな、霊感商法でボロ儲けしてんだ」


「やめてくださいよ、師匠」


謙信が苦笑いを浮かべて首を振った。


「霊感商法なんてやってません。ただの除霊師です……まあ、普通の人よりは見えるんで」


芽衣は小さく「へえ」と声を漏らした。

幽霊と将棋を指したという噂が、まったくの作り話ではないのだと改めて思い知らされた。


「困った人から依頼料を頂いて、ぼちぼち稼いでますね。芽衣さんからの依頼なら初回無料にしておきますよ」


「通常の依頼料って、いくら位なんですか?」


芽衣が尋ねると、謙信は軽く笑って答えた。


「そうですね、案件にもよりますが五百万から三億くらいの間ですね」


「な、芽衣、ボロ儲けしてるだろ」


祖父が目を細めて言った。


エレベーターが静かに止まり、扉が開いた。

廊下には柔らかい絨毯が敷かれ、蒸し暑い外とは別世界のように、ひんやりとした空気が満ちていた。


謙信は奥の扉の前で立ち止まり、ポケットからキーを取り出してドアを開けた。


「どうぞ、遠慮なくお入りください」


玄関を入ると、芽衣は思わず小さく息を呑んだ。

白と黒を基調にした室内は広々としていて、窓からは街を一望できる。

無駄なものがほとんどなく、床に置かれた将棋盤だけが、この部屋の持ち主を物語っていた。


「おい、謙信。なんか冷たいもんくれ」


祖父が靴を脱ぐなり遠慮のかけらもなく声をあげると、謙信は「はいはい」と笑いながらキッチンへ向かった。


芽衣は苦笑しながら、靴を揃えて脱いだ。


「すみません、うちのおじいちゃん、いつもこんな感じで……」


「いいんです。君が生まれる前から、ずっとこんな調子ですから」


謙信は笑いながら冷蔵庫を開け、冷たいコーヒーのペットボトルを取り出すと、氷をたっぷり入れたグラスに注いで祖父に渡した。


「おう、わかってんじゃねえか」


祖父はコーヒーを受け取ると、嬉しそうに一口飲んでソファに腰を下ろした。


「君も座ってください。移動で疲れたでしょう」


謙信に勧められ、芽衣も祖父の隣に腰を下ろす。

窓の外には、真夏の陽炎がビルの輪郭をゆらゆらと揺らしていた。


少しの間、三人でコーヒーや冷たい麦茶を口にしながら、取り留めのない話をした。

芽衣は祖父と謙信の昔話を聞きながら、これから始まる勝負のことを考えていた。


「そろそろやるか」


祖父がコーヒーを飲み干し、空になったグラスをテーブルに置く。


「謙信、芽衣。いいか」


祖父は二人の顔を見比べて、ゆっくりと口を開いた。


「今からお前らで一局指す。この勝負の結果で、芽衣のお前の修行場所を決める」


芽衣は目を瞬かせた。


「修行場所……?」


「そうだ」


祖父は頷いて言葉を続けた。


「謙信に勝てたら、大会までの数日間は俺の家で俺と将棋漬けだ。謙信に負けたら、このまま謙信の部屋に泊まり込みだ。どっちにしても地獄みてえなもんだがな、ガハハハッ」


謙信が肩をすくめて笑う。


「どっちにしても、芽衣さんに逃げ場はないですね」


芽衣は少しだけ緊張した面持ちで、小さく頷いた。


「……わかりました」


謙信と芽衣は目を合わせる。

謙信が立ち上がり、部屋の奥に置かれた将棋盤の前へ歩み寄った。


芽衣も立ち上がり、そっと盤の前に座った。


祖父がソファに深く腰を下ろし、二人を見守る。


「さあ、芽衣。謙信にどこまで食らいつけるか、見せてみろ」


謙信が微笑んだ。


「では、始めましょうか」


芽衣は小さく深呼吸をして、駒箱の蓋を開けた。

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