71話
7月31日、神奈川県・三浦半島にある牡丹の別荘。
合宿4日目――。
朝食を終えた将棋部の五人は、いつもの対局部屋に集まっていた。
土門龍弥六段は、お昼から東京で仕事があるため、朝食を食べると帰っていった。
中央のテーブルには、冷えたお茶のピッチャーとノートが並んでいる。
「さあ、今日は一回戦から準決勝までのオーダーを本格的に決めるわよ」
桜が軽く手を叩き、作戦会議の始まりを告げる。
部屋の空気は、さっきまでの和やかさから、ほんの少しだけ張り詰めたものに変わった。
「改めてルールを確認しておきましょうか」
桜がそう言って、ルールを書き留めたスケッチブックをめくる。
《一回戦から準々決勝までのルール》
先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の五人の中から、毎局三人を選出する。
ただし、二戦連続で選ばれた者は、その後二戦は選出できない。
序盤に強い布陣を組めば組むほど、後半での戦力が不足する――。
このシンプルで厄介なルールが、全国大会の勝敗を左右する。
「つまり……例えば一回戦や二回戦で芽衣と部長を多く使うと、後が厳しくなるってことだよね?」
柚子が確認するように言うと、桜はすぐに頷いた。
「そういうこと。力の配分を間違えたら即アウト。ただ、学校によっては一回戦突破だけを狙って最初から全力でぶつかってくるところもあるでしょうね」
「そうだよねー」と柚子が腕を組んで唸った。
「だからこそ、相手が全力で来ても崩れないように、一人一人の棋力を底上げしておかないと」と百合が言った。
「そうなのよ」と桜が肩をすくめた。
窓の外では、遠くでウミネコが鳴いている。
「つまり、ウチと百合先輩と牡丹先輩でなんとか勝てれば、最高ってことだよね!」
柚子が勢いよく言うと、思わず場が和んだ。
「そういうことね」と桜が笑う。
「私たち三人でしっかり勝てれば、芽衣さんと部長は後に温存できますし」と牡丹が穏やかに続ける。
「でも……相手次第よね」と百合がコップを指で軽く叩く。
「一回戦の相手が前評判の高い高校だったら、さすがに出し惜しみはできませんわ」
「そうね……だからオーダーは相手が分かってから臨機応変に決めましょう」と桜が言った。
「じゃあ、組み合わせのパターンだけでも、今のうちにいくつか作っておこうか」
「さんせーい!」
柚子が元気に手を挙げ、全員が思わず笑った。
こうして、五人はスケッチブックを囲み、役職の並べ替えを何度も試しては、真剣に頭を悩ませた。
「こうすると……あ、ダメだ、準々決勝で詰むな」
「じゃあ逆にこうして……」
静かな室内に、鉛筆の走る音と、ぽつぽつと交わされる声が続いた。
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昼前、作戦会議はひとまずの結論を迎えた。
「じゃあ、このパターンをベースにして、抽選の相手を見て決めましょう。いいわね?」
桜の問いに、全員が頷いた。
「よーし! 頭使ったらお腹空いたー!」
柚子の元気な声に、部屋に漂っていた緊張がふっとほどけた。
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昼食後――。
作戦会議のあとは、久しぶりに部内戦をすることになった。
広間のテーブルが片付けられ、将棋盤が二面並べられる。
「前の部内戦では、私は不参加だったけど……今日は私も入るわ」
桜が腕を組んで宣言すると、柚子が「おおー!」と声を上げた。
今回は、桜、牡丹、芽衣、百合、柚子の五人で、一人につき先手と後手を一度ずつ持つ総当たり戦だ。
「合計8局……今日はとことん指すわよ」
桜の瞳がきらりと光った。
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午後、盤の上には、夏の熱気とは別の熱が立ち込めていた。
先手と後手を交代しながら、黙々と指し続ける五人。
柚子は序盤から果敢に攻めるが、百合にしっかりと受け止められる。
「ぐぬぬ……」
隣の盤では、牡丹と芽衣が鋭い視線を交わす。
牡丹の居飛車穴熊を、芽衣が崩しにかかる――。
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そして、事件が起こった。
「……負けました」
桜が小さく頭を下げた瞬間、柚子が思わず声を上げた。
「えっ!? 部長が負けた!?」
桜の相手は芽衣だった。
部内で無敗を誇ってきた桜が、ついに芽衣に土をつけられたのだ。
「すごい……芽衣、すごいよ……!」
百合も思わずつぶやく。
桜はすぐに顔を上げ、芽衣に向かって微笑んだ。
「芽衣、強くなったわね。本当にお見事」
「い、いえ……偶々です……」
芽衣が顔を赤らめて俯くと、柚子が「謙遜しなくていいのに!」と笑った。
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夕方、全8局の結果がまとまった。
【結果】
柚子:2勝6敗(百合、牡丹に各1勝)
百合:2勝6敗(柚子、牡丹に各1勝)
牡丹:2勝6敗(柚子、百合に各1勝)
芽衣:7勝1敗(桜に1勝、他全勝)
桜:7勝1敗(芽衣に1敗、他全勝)
部内戦は、芽衣の金星を生んで幕を閉じた。
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「明日は、いよいよ合宿最終日ね」
夕焼けが差し込む窓辺で、桜が静かに言った。




