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7話

今日は、百合先輩と牡丹先輩の一局を、私は見届ける側に回っていた。


振り駒の結果、牡丹先輩が先手、百合先輩が後手になった。


「「よろしくお願いします」」


互いにお辞儀をしながら挨拶を交わし、駒を並べる音が静かに部室に響く。

見慣れたはずの対局風景。けれど、空気の密度が違った。

この一局には、予選メンバーの一枠がかかっている。


先手の牡丹先輩は迷いなく右四間飛車を選択。

飛車を四筋に回すその手順は、美しいほどに淀みがなかった。

鋭い攻撃が持ち味の戦法。それはまさに、牡丹先輩の将棋そのものだった。


対する百合先輩は、向かい飛車から自陣をじっくり固めていく。

最終的には、王を9九の位置に据えてガッチリと穴熊に囲った。

守りを固めてからの反撃を狙う構えだ。


(牡丹先輩の右四間……まさに攻撃型って感じ)


(百合先輩の穴熊は、簡単には崩れない……)


観戦しながら私は、ふたりの個性がそのまま盤上に表れていることに、思わず引き込まれていた。


序盤は静かだった。互いの思惑を探るように、慎重に駒組みが進んでいく。

だが、中盤に入った瞬間、盤上の空気が変わった。


牡丹先輩が銀を繰り出し、桂馬を跳ね、敵陣へ一直線に攻め込んでいく。

まるで、「守るより攻める方が好き」と言わんばかりの豪快な手順。


(この勢い……でも、穴熊は固い)


百合先輩は落ち着いていた。相手の攻めを真正面から受け止め、囲いの堅さを活かして反撃の隙をうかがっている。

けれど、牡丹先輩の攻めには、止まる気配がなかった。


銀が成りこみ、角の打ち込み、香車の突破。

そのたびに百合先輩の攻め駒がひとつ、またひとつと盤上から消えていく。


(あ……穴熊が……)


百合先輩の陣形が、見る見るうちに崩れていく。

どこにも逃げ場がない。穴熊以外の駒が一気に焼き払われる——穴熊の姿焼き。


こうなってしまえば、反撃の術はもうなかった。


「……参りました」


百合先輩は、昨日と同じように静かに頭を下げた。


「お見事です、牡丹先輩……」


私は思わず口にしていた。すぐ隣で見ていたからこそわかる。

この勝利が、ただの強さではなく、研ぎ澄まされた意志によるものだということが。


「ふふ。あなたとも、すぐに対局することになるわよ」


牡丹先輩は余裕の笑みを浮かべながら、私をまっすぐに見た。


***


「というわけで、予選の出場者はこれで確定ね」


部長が黒板にチョークで名前を書き出す。


先鋒:牡丹or芽衣 中堅:牡丹or芽衣 大将:桜


「百合、ごめんね。三人の中で今回は……」


「ううん、全然。ボクが弱かっただけ。二人とも強かったよ。三人とも頑張ってよ!決勝トーナメントでボクを活躍させてね」


百合先輩は明るく笑ってみせた。

だけど、私は気づいていた。その瞳の奥に、ほんの少しだけ悔しさがにじんでいることに。


(百合先輩……本当は、予選で戦いたかったんだろうな)


でも、それを言わないのが百合先輩だった。


「先鋒と中堅は……残った一局で決めましょう。芽依と牡丹で。どうする牡丹?対局は明日にする?」


「わたくし、連戦でも構わないわよ? 予選では一日で三戦するんだもの」


そう言って、牡丹先輩は腕まくりをして微笑む。

その顔には、疲れよりもむしろ、充実感がにじんでいた。


***


少しの休憩を挟み、芽依 vs 牡丹の一局が始まった。


先手は牡丹先輩。戦型は右四間飛車。

その鋭い構えに、私は何度も息を整え直す。


後手は私。いつも通り、棒銀で迎え撃つ。


(昨日と違って、今日は私が後手……でも、構わない)


駒組みの途中で、牡丹先輩がちらりとこちらを見た。

その目に宿る真剣な光。私はそれに応えるように、背筋を伸ばす。


序盤は互いに丁寧な駒組みが続く。

右四間 vs 棒銀——攻撃型同士の戦型だ。


(相手の意図はわかる……けど、それは向こうも同じ)


中盤、互いの陣形が完成し、ついに攻め合いが始まる。

銀がぶつかり、角がにらみ合い、歩が一枚ずつ進んでいく。


(焦らないでいこう。攻め急がない。タイミングを見極めて……)


牡丹先輩の攻めは、やはり強い。手のひとつひとつが、深く読まれている。

だけど私も一歩も躊躇せずに指していく。


——そして、終盤の入り口。


私の手が、自然と盤上の一枚の金に伸びていた。


(ここしかない)


攻め合いに持ち込む、勝負手。リスクもある。

けれど、この一手を打たなければ、流れは完全に相手へ傾いてしまう。


一瞬、牡丹先輩の指が止まった。


(牡丹先輩……この手を読めなかった?)


そのわずかな間を逃さず、私はさらに一歩、踏み込んだ。

一手、また一手。呼吸をするように自然に指が動く。

気づけば、私は迷いなく、一直線に詰み筋へ向かっていた。


そして——最後の一手。


「……参りました」


牡丹先輩は、静かに言った。

それは、悔しさを滲ませながらも、潔さを感じさせる声だった。


「……ありがとうございました!」


私は深く頭を下げた。

心臓がまだドクドクと音を立てている。けれど、私は確かに、勝ったのだ。


牡丹先輩は、悔しそうに——けれど、どこか清々しい顔で、私にうなずいてくれた。


***


「ということで、決定です!」


部長が黒板にメンバーを改めて書き出す。


先鋒:牡丹 中堅:芽依 大将:桜


「二人ともお疲れ様。いい勝負だったわね。それにしても一年生で中堅なんて凄いじゃない」


百合先輩が肩を軽く叩いてくれる。

柚子も「すごかったよー!」と無邪気に笑っていた。


私は、二人のその顔を見て、思わず笑みをこぼした。


その後は、いつものようにみんなでお茶を飲み、お菓子をつまんだ。

ほんの少し前まで、あんなに張り詰めていた空気が嘘のように、部室には穏やかな時間が流れている。


けれど、私はその甘さの中に、少しだけ苦みを感じていた。


——負けられない。

最初は幽霊部員で、真面目に通うつもりなんてなかった。

でも、いつの間にか私は、この空気が好きになっていた。

この時間を守るために、そして——

予選の枠に入れなかった百合先輩の想いも背負って、私は勝ち進みたい。


決勝トーナメントに、進みたい。

強く、心の奥でそう思った。

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