62話
7月29日、朝──。
三浦半島の静かな山の中腹にある、結城家の別荘。
緑に包まれたその空間には、爽やかな朝の光が差し込んでいた。
「ごちそうさまでしたー!」
朝食の食堂に、柚子の元気な声が響く。
桜や百合、牡丹、芽衣たちは湯呑みを手に、それぞれまったりと朝のひとときを過ごしていた。
その時、玄関のチャイムが鳴る。
「ん? 誰か来た?」
芽衣が首をかしげると、すぐに使用人が玄関へと向かった。
数秒後、扉が開く音に続いて、やけに賑やかな声が響いてくる。
「ヘイ! 桜ちゃん! 牡丹ちゃん! 百合ちゃん! 俺が〜来た〜〜!!」
その軽快で、妙にテンションの高い声に、食堂の空気がざわついた。
「来たわね」
桜が立ち上がり、食堂を出る。
芽衣、柚子、百合、牡丹、福辺先生も後に続き、一行は玄関ホールへと向かった。
そこに立っていたのは、見知らぬ男女二人。
男性は茶髪にサングラスを頭にかけ、夏なのに長袖のシャツを腰に巻いた“陽キャ”全開の大学生。
隣には、まるで小学生のような小柄で童顔の少女が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「……お久しぶりです、先輩」
桜が微笑みながらそう言うと、男性はニカッと笑って手を振った。
「やっほー桜ちゃん! 元気そうでなにより!」
「お騒がせしてごめんなさい、突然押しかけちゃって」
少女が小さな声でぺこりと頭を下げる。
その礼儀正しさと外見のギャップに、芽衣は思わず戸惑う。
「えっと……」
芽衣が困ったように口を開くと、桜が前に出てふたりを紹介した。
「この人たちは、浜陽太さんと月宮海科さん。浜先輩は去年の将棋部の部長で、今は大学1年生。海科先輩はその一つ上で、一昨年の部長。今は大学2年生よ」
「どーもー! 浜陽太でーす! ヨロシクー!」
陽太が勢いよく手を振る。
柚子は「テンション高っ……」と小声でつぶやいて、一歩引き気味。
「月宮海科です。今日はよろしくお願いします」
海科が丁寧に挨拶すると、芽衣はまじまじとその顔を見てしまう。
(……え、この人、本当に大学生なの?)
小柄で細身、声も控えめで、まるで小学生のように見えた。
横にいた福辺先生も、思わず声を漏らす。
「……あなた、本当に大学二年生?」
「はい。少し前に二十歳になりました」
にこりと微笑む海科に、福辺は「うそぉ……」と信じられないものを見るような顔をした。
「そういえば、月宮さんって……牡丹先輩たちとは在学期間被らないですよね?」
芽衣が首を傾げると、牡丹が頷く。
「私たちが入学する前に卒業されてますけれど、去年の文化祭の時に一度、将棋部に顔を出してくださったことがありますの。その時、百合さんと一局指していらっしゃいましたわ」
「へえ……そうなんだ」
百合は「うん、見た目に騙されちゃいけないよ」と言って頷いた。
「あの幼い見た目に似合わず、いやらしい攻め方をされたから」
桜が話をまとめにかかる。
「今回、この二人を呼んだのは私。いろんな相手と対局する機会って、貴重だと思ったから」
「ま、俺たちはそんなに強くないけどな!」
「伊波芽衣さんです。一年生で、大会では副将を務めていらっしゃいますの」
牡丹の紹介に、海科は「一年生で副将はすごいね〜!」と感心したように言った。
「……おっと、虎門先生〜!」
陽太がふと奥に目を向け、大声で呼びかける。
「うわっ……うるせえな……」
ホールの柱にもたれていた虎門は、麦茶の入ったグラスを片手に、うんざりしたような笑みを浮かべた。
「久しぶりですねー先生! 元気してました?」
「まぁ、なんとか。お前見てると、気力を吸われてる気がするけどな……」
「それ、褒め言葉だと思っておくっす!」
陽太の陽気さに、虎門は肩をすくめるしかなかった。
「じゃあ、紹介も済んだところで……さっそくホールで対局しましょう」
桜の一言に、全員が頷く。
──
別荘の広いホールには、昨夜と同じように将棋盤がいくつも並べられていた。
皆がそれぞれの席につく中、陽太が一歩前に出て、柚子の前で屈み込むように声をかける。
「ねぇねぇ、柚子ちゃ〜ん! 俺と対局しようよ〜!」
「へっ!? あ、はい、いいですけど……」
柚子はあまりのノリに戸惑いながらも、盤の前に座った。
一方、海科は芽衣の前にすっと立ち、小さな声で問いかける。
「芽衣さん。よければ、私と一局どうですか?」
「……はい! お願いします」
芽衣もすぐに返事をし、座布団に座った。
──
陽太と柚子の方は、対局前からそのテンションが凄まじく、「本当に将棋するの?」と周囲が思ってしまうほど。
一方、芽衣と海科の間には、不思議な緊張感が漂っていた。
「……始めましょうか」
海科がそっと駒を並べ、芽衣もゆっくりと頭を下げる。
こうして、合宿二日目の練習対局が始まった。
新たな出会いと、新たな戦いの一日が、静かに幕を開ける。




