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56話

「お願いします」


そう一礼して、芽衣が初手を指す。

羽鳥探偵事務所の一室には、駒音だけが静かに響いていた。


先手は芽衣、後手は羽鳥。

お互いに飛車先の歩を突き、角換わりの形に進んでいく。


芽衣は落ち着いた表情で、自分の駒組みに意識を集中させた。

先手として攻めにも守りにもバランスの取れた陣形を整え、じわじわと盤面を支配していく。


対する羽鳥は、居飛車のまま玉を右側へ移動させていった。


(なるほど……右玉か)

(でも、この人、そんなに強くないかも)


どこか緩やかに感じられる羽鳥の指し手。今のところ、芽衣が主導権を握っていた。


だが、その油断は唐突に崩れる。


「すぅ……すぅ……」


「えっ?」


盤面から顔を上げると、羽鳥が首を傾け、目を閉じていた。

浅い呼吸。どう見ても――眠っている。


「寝てる……?」


横で見ていたレフトも、慣れた様子でため息をつく。


「じいちゃん、また対局中に居眠りしちゃったか」


そのまま対局が止まるかと思いきや――


羽鳥は目を閉じたまま、指を盤上に伸ばし、正確な手を指してきた。


(……居眠りしながら指してる!?)


芽衣の目が見開かれる。


まるで夢遊病者のように――だが、その手は鋭く的確だった。

さっきまでのどこか緩い指し手とは別人のようだ。


(何これ……)


静かな緊張感が、芽衣の内側にじわじわと広がっていく。

気がつけば、彼女の優勢は次第に覆されつつあった。


(さっきまでリードしてたのに……)


ふと脳裏をよぎる。


(これが、“眠れる獅子”ってやつ……?)


眠っているかのような状態で、羽鳥大五郎の異様な集中力が解き放たれている。

だが――それでも、負けるわけにはいかない。


芽衣は、盤上の駒にあらためて目を凝らす。

残り時間は、どちらも2分を切っていた。


(どこかに勝機はある……!)


そして――


(……あった)


ある筋を見つける。大胆すぎるが、狙いが通れば逆転できる勝負手だ。


芽衣はためらうことなく、その一手を盤に打ち込んだ。


レフトは思わず声を上げそうになるのを、手で口元を覆って堪える。


羽鳥の指が止まる。


「……」


眠っていたはずの羽鳥の手が、駒の上でぴたりと静止した。


(読んでる……でも、気付ける?)


静寂の中、時計の針が1分を刻む。


羽鳥は目を閉じたまま、ようやく手を伸ばし――駒を置いた。


その手を見た芽衣は、わずかに目を細めた。


(……来た)


芽衣の想定通りの応手だった。

もし違う手が指されていれば、形勢は一気に逆転されていただろう。

だが、羽鳥はそこに気づかなかった。


あとは、一直線に詰めるのみ。


芽衣は鮮やかな寄せで羽鳥の玉を追い詰め――最後の一手を放つ。


その瞬間、羽鳥がゆっくりと目を開けた。


「負けました」


静かで穏やかな声だった。

それを聞いた芽衣は椅子を引いて立ち上がり、一礼する。


「ありがとうございました」


「お見事だった」


羽鳥が、微笑むように頷いた。


「じいちゃーん!」


レフトが駆け寄ってくる。


「さっきの芽衣さんの勝負手、別の駒で受けてたら、お姉さんの攻め止まってたと思うよ!」


羽鳥が目を丸くし、それからふっと笑った。


「……そうか、その手があったな」


勝負は紙一重――それを思い知らされる対局だった。



対局が終わった後、羽鳥が冷蔵庫からケーキの箱を取り出してくる。


「ケーキだ。若い子は甘いものが好きだろ?」


「ありがとうございます!」


芽衣が笑顔でイチゴのショートケーキを頬張ると、レフトがゲーム機を差し出した。


「レースゲーム、やろうよ!」


「うん、いいよ!」


「ぼく、これめっちゃ強いから!」


「……受けて立とうかな!」


その後の小一時間は、将棋ではなく、白熱したレースゲームが事務所内で繰り広げられた。



「じゃあ、そろそろ帰ります」


事務所の玄関で靴を履きながら、芽衣が二人に振り返る。


「全国大会、頑張れよ」


羽鳥が短く言った。


「また遊ぼうね、お姉さん!」


レフトが手をぶんぶん振る。


「うん、ありがとう。ゲーム、楽しかったよ!」


「羽鳥さんも、対局ありがとうございました」


そう言って、芽衣は事務所を後にした。



夜。自宅の自室。


芽衣はベッドの上でスマホを手に取り、祖父の名前をタップする。


『おう、どうだった?』


「羽鳥さんに勝ったよ」


『ガハハハッ! そうか、やったな!』


電話越しに豪快な笑いが響く。


『次の勝負は、合宿の後だな』


「うん、分かった」


『おう! じゃあな』


短い通話が終わり、芽衣はスマホを伏せて、天井を見上げた。


勝負の余韻が、まだ脳裏に残っている。


(もっと強くならなきゃ)


目を閉じ、芽衣は静かに心の中で誓いを立てた。

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