52話
数日前の放課後、桜のスマホに一通のDMが届いた。
送り主の名前は、御影ひなた。どこかで聞いたことのある名前だった。先日の埼玉県大会・個人戦で優勝した、浦和女学院の大将だ。
その文面は妙に丁寧で——正直、少しだけ笑ってしまった。
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はじめまして。
突然のご連絡、失礼いたします。
浦和女学院将棋部の御影ひなたと申します。
先日の団体戦では対戦頂きありがとうございました。
実は、個人戦全国大会を前に、練習対局の相手を探しておりまして……
よろしければ、一局お付き合いいただけませんでしょうか?
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(本当に、お嬢様校って感じ……)
思わずつぶやきながら、桜は返信を打った。
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こんにちは。連絡ありがとうございます。
練習対局、もちろんOKです。
土曜の午後なら空いてますが、場所はどうしましょうか?
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すぐに返ってきた返信には、こんな提案が添えられていた。
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よろしければ、祖父が営んでいる喫茶店があります。
とても静かで、将棋にも適した場所かと思います。
駅前でお待ち合わせして、ご案内いたしますね。
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個人戦の県代表と指せるなんて、なかなか良い練習になりそうだなと、そのときは思っていた。
* * *
そして迎えた土曜日。桜は駅の改札前で御影と待ち合わせた。
「ごきげんよう。来ていただきありがとうございます」
改札を出たところで、彼女は丁寧に微笑んだ。黒髪が風に揺れ、制服の襟元はぴしっと整っている。なるほど、噂どおりの“お嬢様”学校だ。
「ええ。桜でいいわ。あなたが、御影ひなたさん?」
「御影で構いません。では、こちらへどうぞ」
彼女が案内してくれたのは、駅から数分歩いた先にある、静かな通りの純喫茶だった。
柔らかな陽光が差し込む店内は、アンティークの家具に囲まれ、落ち着いた空気が漂っていた。
「いいお店ね。落ち着くわ」
「ふふ、ありがとうございます。祖父が昔から経営していて。私、よくここで棋譜の研究なんかもしているんです」
カウンターの奥では、白髪の店主が新聞を読んでいた。御影の挨拶に、静かに目を上げて、こちらに小さく会釈をしてくれる。
「どうぞ、ごゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
御影は奥に入ったかと思うと、将棋盤と駒箱を抱えて戻ってきた。
桜たちは窓際の席に座り、それぞれ飲み物を注文する。御影はレモンティー、桜はブラックコーヒーを選んだ。
「じゃあ、さっそく……始めましょうか」
「ええ。私、あなたと一度指してみたかったの。団体戦では当たれなかったから、残念に思ってたのよ」
駒を並べながら、御影は静かに言った。
駒が整い、盤の前に向き合う。言葉少なに、第一局が始まった。
* * *
夕暮れが近づく頃、桜たちは五局を指し終えていた。
結果は、桜の四勝一敗。御影が勝ったのは、三局目だった。
「……強いわ、あなた」
「ありがとう。あなたの攻めも鋭かった。三局目は、本当に読み負けたと思う」
「ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら?」
御影はレモンティーのカップを置き、真っすぐこちらを見つめてきた。
「どうして、個人戦に出なかったの?あなたなら、個人戦でも県代表になっていたかもしれないのに」
「うーん……私は、団体戦の方が好きなのよ。仲間と一緒に勝ちにいく、あの感じが、私には合ってる」
「……なるほど。素敵な考え方ね」
御影は微笑んで、静かにうなずいた。
そのタイミングで、店主がオムライスと季節のフルーツパフェを運んできた。
「お腹、空いてるでしょう?」
「え、こんなに……!」
「孫の友達に、もてなしくらいさせてくれ」
「……ありがとうございます」
ありがたくその好意を受け取り、私たちは遅めの昼食をとった。
食事をしながら交わしたのは、将棋の話だけではなかった。
浦和女学院のこと、私の将棋部のにぎやかな日常、好きな作家や、受験勉強の相談。
一手一手を超えたやり取りの中で、自然と距離が縮まっていくのを感じていた。
* * *
気づけば、外はすっかり夕焼け色に染まっていた。
「そろそろ、帰らないと……」
「駅まで送るわ」
桜が財布を出そうとすると、御影がすぐに止めた。
「おじいさま、たぶん断ると思うわ」
「え?」
カウンターの奥から、店主が静かに首を横に振っていた。
「……では、お言葉に甘えさせて頂きます、ご馳走様でした。今日は本当に、お世話になりました」
「また来てね。ひなたの友達なら、いつでも歓迎だよ」
その言葉が、少し胸に沁みた。
駅までの帰り道、御影が少しだけ小さな声で言った。
「今日は、すごく楽しかった。これからも連絡してもいいかしら?」
「もちろん。また指しましょう。次は、もう少しお手柔らかにね」
二人で笑い合い、改札前で別れの挨拶を交わす。
その夜から——桜のスマホには、御影ひなたからのメッセージがぽつぽつと届くようになった。
将棋の話も、そうじゃない話も。
静かな喫茶店で芽生えた友情は、これから少しずつ、深まっていくのかもしれない。




