4話
「そろそろ、夏の大会の話をしとこうか」
放課後の部室。お菓子と紅茶の甘い香りが漂うなか、いつものように笑っていた十六夜桜部長の声が、ふいに静けさを連れてきた。
その一言で、空気がぴんと張り詰める。私は、持っていたティーカップをそっとソーサーに戻した。
「大会、もうすぐなんですか?」
無意識にそう口にしていた。春の匂いがまだ残る四月の終わり。
だけど、部長は落ち着いた顔で頷いた。
「予選は五月の中旬。あと三週間ちょっとってとこね」
「えっ、早くない!? もうメンバーとか決めなきゃな感じ!?」
柚子がクッションから跳ねるように驚いた。
「まあ、焦らなくても大丈夫。でもその前に、大会のルールをちゃんと理解しておくことが大事だからね」
そう言って部長は、カバンからプリントの束を取り出した。淡いクリーム色の紙には、見慣れない図表と文字がずらりと並んでいた。
一枚ずつ配られたその資料を手に取りながら、私たちはじっと耳を傾ける。
「まず、大会は二段階に分かれてるわ。“予選”と“決勝トーナメント”。
予選は、各校の代表三人——先鋒・中堅・大将が、それぞれ対局して、勝ち数が多い方が勝ち抜けになる。つまり、2勝すればOKってこと」
「そっか、個人戦じゃなくて団体戦なんですね……!」
「うん。予選は団体戦。で、これを勝ち抜いた上位8校だけが、決勝トーナメントに進出できるのよ」
「えっ、8校……!?」
柚子が目を見開く。
「そう。県内から参加する学校は結構多いから、ここを突破するだけでも一苦労ね」
私は息を飲んだ。春のゆるやかな空気の中に、突然冷たい現実が差し込んできた気がした。
「で、ここからが重要。決勝トーナメントでは、予選に出場した3人が、自動的にポジションをスライドして登録されるの。
具体的には、先鋒→中堅、 中堅→副将、 大将→大将って感じ」
「うわ……ってことは、予選の時点で“誰をどこに出すか”が、決勝にも影響してくるんだ……!」
「その通り。予選で活躍したメンバーが、自然と決勝でも上のポジションになる仕組みね。だから、先を見据えたオーダーを組む必要があるの」
「なるほど……ってことは、勝ち進む前提で考えなきゃいけないってことか……」
柚子がうなる。
「そう。そして、決勝トーナメントのルールはもっと複雑。5人のポイント制になるわ」
部長は黒板に歩み寄り、チョークを手に取った。さらさらと、いつもながらの達筆で数字を書き出す。
---
決勝トーナメント 役職別ポイント
・先鋒 → 1pt
・次鋒 → 2pt
・中堅 → 3pt
・副将 → 4pt
・大将 → 5pt
---
「このポイントが、対局ごとにかかってくる。で、勝った方が“自分と相手の合計ポイント”を丸ごと総取りするルールになってるの」
「総取りって……どういうこと?」
部長は続けて黒板に例を書いた。
---
【例】
1局目:A校 次鋒(2pt) vs B校 中堅(3pt)
→ B校の中堅が勝利 → B校に5pt入る
→ 逆に、A校の次鋒が勝利すれば、A校が5ptを獲得
---
「つまり、誰と誰が戦うかで、その一局がどれだけ重いかが全然違ってくるってわけ」
「うわー、これ運もあるけど、めちゃくちゃ戦略いるやつ……!」
柚子が肩を抱えて震えるフリをする。
「そうね。1ptしか取れない先鋒でも、大将と当たって勝てば6pt取れる可能性もある。
逆に、下位のポジションに主力を当てられてしまったら、大量失点のリスクもあるわ」
「じゃあ、オーダーが超重要ってことですよね!?」
「うん。しかもね、1局目〜5局目までのオーダーは、各校で自由に決められるの。
たとえば、1局目にいきなり大将戦を持ってきてもいいし、あえて隠して最後にすることも可能」
「はわっ……!! つまり、心理戦まであるってことか……!」
「そう。だから、その学校の戦力だけじゃなくて、“どう配置するか”で勝負が変わってくる。
5局合わせて30ptが最大値で、16pt以上取った方の勝利になる」
「でも、15pt対15ptだったら……?」
「延長戦になるわ。そのときは、両校の中から1人を選んで、一局だけの決戦。
その勝敗で、どちらが勝ち進むかが決まる」
「それ、めっちゃ緊張するやつ……!」
柚子が抱き枕を抱きしめた。私も思わず息を呑む。たった一局で、全てが決まる重み。
想像するだけで手が汗ばむようだった。
「でも、そういう緊張感の中で戦うのが、将棋の醍醐味でもあると思うわ」
部長の目が、いつもより少しだけ鋭く光った。普段は穏やかな姉御肌の彼女が、部長としての顔を見せる瞬間だった。
「今からちゃんと準備して、しっかり戦力を見極めて、オーダーも考えましょう。
私たちも——本気で、県大会優勝を狙うよ」
その言葉に、空気が震えた。
柚子がぐっと拳を握る。私も自然と、背筋が伸びていた。