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32話

対局室には、独特の静寂が漂っていた。

音を立てるのがはばかられるような張り詰めた空気の中、無数のカメラと照明が選手たちを見守る。会場の熱気とは裏腹に、将棋盤を挟んだこの場所だけは、凛とした緊張感に包まれていた。


「お願いします!」


「お願いします」


元気な声と落ち着いた声が、静寂を破るように響く。

先に一礼したのは、小手指原高校の先鋒・七瀬柚子。そして対面には、浦和女学院の大将・御影ひなた。

そう、相手は例年通り、全国屈指の実力を誇る御影を一戦目に配置してきたのだった。


振り駒の結果、先手は浦和女学院。柚子は後手番となる。


「うわ~、先手取られちゃったかぁ……」

苦笑しながらも、柚子は自分らしく明るく駒を並べていく。


御影の初手は堂々たる▲2六歩。対する柚子は△3四歩と応じ、中飛車を選択した。

序盤は、互いに呼吸を確かめ合うように、静かに盤上の駒が進んでいく。


柚子は片美濃囲いを選び、相手は美しい手順で船囲いに組んだ。指し慣れた形。無駄がない。


---


カメラが切り替わる。舞台裏に設けられた特設の解説室。

ここでは解説者たちが対局の様子を見守っていた。


「さて、本日は決勝戦ということで、急遽この方にも来ていただきました。土門六段、よろしくお願いします」

甲斐田七段が落ち着いた声でマイクに向かって語りかける。


横に座る土門六段は、少し照れくさそうに頭を下げた。


「どうも、土門です。もともとは観戦だけの予定だったんですが、スタッフさんから『ぜひお願いします』と強く頼まれまして……まあ、僭越ながら務めさせていただくことになりました」


「ありがとうございます。さて、まずは注目の選手についてですが……浦和女学院の一戦目に配置され御影さんはチームの大将ですね」


「はい。私も何度か彼女の対局を観ていますが、実に完成された棋風です。無駄がなく、状況判断にも優れている。全国大会常連校の大将というのも頷けます」


「そして対するは、小手指原高校。こちらは今年初出場ですが……先生、確かそちらの選手にも面識があるとか?」


「ええ、小手指原の七瀬柚子さんには、指導対局をしたことがあります。将棋を始めたのは、なんと今年の4月から。まだまだ経験は浅いですが、物怖じせず堂々と盤に向かう姿が印象的でした。何より、将棋を心から楽しんでいるように見えましたよ」


「それは素敵ですね。今後が楽しみな選手、というわけですね」


土門は静かに頷き、画面はふたたび対局室の様子へと切り替わる。


---


盤上では、すでに局面が中盤へと差し掛かっていた。

そしてその形勢は、はっきりと浦和女学院――御影ひなたのペースだった。


(ぐぬぬ……やっぱり強い……!)


柚子は奥歯を噛み締める。攻めても攻めても、どこかで一手足りない。

桂を跳ねれば、銀で受けられ、飛車を振れば角で睨まれる。

そのすべてが「読み切っている」と言わんばかりの応手だった。


対する御影は、一切の感情を表に出さず、淡々と指し続けている。まるで冷徹な機械のように、正確な手を積み上げていく。


(……でも、楽しいなぁ……)


その最中、柚子はふと口元を緩めた。


自分の力ではどうにもならない強敵が、確かに目の前にいる。

思い切り挑んで、跳ね返されて――それでも、自分なりの一手を指せている。

それが、なにより嬉しかった。


やがて柚子の王将は、四方の逃げ道をすべて塞がれ、最後は金の一手で詰まされた。


静かに、しかしはっきりと声を発する。


「……負けました」


「ありがとうございました」


御影は小さく一礼し、盤から離れた。


---


この結果、小手指原高校は0ポイント。対する浦和女学院は、一戦目で6ポイントを獲得。


控室へと戻る柚子の足取りは軽くはなかったが、表情に暗さはなかった。


---


「おかえり、柚子!」


「すっごく頑張ってたよ!」


控室に入った途端、仲間たちが柚子を迎えた。

芽依、桜、牡丹たちが駆け寄ってくる。


「いや~、もうね、強すぎるって! 全然歯が立たなかった~!」

柚子は苦笑いを浮かべながら、頭をポリポリと掻いた。


「でも、最後に桂馬跳ねたの、あれちょっと自信あったんだけどなぁ~。読まれてたか~……残念~!」


「柚子が楽しそうなら、それで十分ですわ」

牡丹が微笑む。柚子は少し照れたように、頬を赤らめた。


その後ろから、虎門と福辺も現れた。


「よくやったな、大将相手にここまで指せたのは立派だ」


「お疲れさま、柚子ちゃん。今のあなたの笑顔で、みんなもリラックスできたと思うわ」


福辺が優しく声をかけると、柚子は素直に「ありがとー」と返した。


そんな中、静かに椅子を立つ人物がいた。


「じゃあ、次はボクの番だね」


それは、小手指原高校・次鋒の西条百合。

スカートをすっと整えると、凛とした表情で控室のドアの前に立った。


「じゃあ、行ってくるよ」


静かに深呼吸を一つ。

その声には、これから戦場へ赴く覚悟と、仲間から託された想いが込められていた。


――いよいよ、次鋒戦が始まる。


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