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27話

芽依の家の前に、いつもの黒塗りのリムジンが停まった。

まるでいつも通りの朝――けれど、芽依の心はほんの少しだけ、いつもより早く波打っていた。


「おはようございますわ、皆様」


後部座席のドアが開き、淡く微笑む結城牡丹が優雅に手を振る。制服のリボンはきっちりと整えられ、髪にはいつものリボンが結ばれていた。

その仕草に、芽依は自然と表情をほころばせる。


「おっはよー!」


「おはようございます〜」


「……おはよう」


車は滑らかに発進し、ゆったりとした朝のひとときが始まった。

車内には、紙箱に美しく詰められたサンドイッチやカットフルーツが並び、手の込んだ軽食がみんなの緊張を少しほぐしてくれる。


「今日は高級リンゴジュースか〜。うれしっ」


柚子がジュースを口にしながら、小さくガッツポーズをする。


「昨日より緊張してる感じですわね、芽依さん?」


牡丹がちらりと芽依の方を見る。


「は、はい。やっぱり準決勝だと思うと……」


芽依はジュースのカップを両手で持ったまま、照れくさそうにうなずいた。

そのやりとりに、小さな笑い声がこぼれる。


車内には、どこか穏やかで落ち着いた空気が流れていたが、その奥には確かな緊張感が漂っていた。

そんな中、部長の桜がスッと背筋を伸ばして口を開く。


「じゃあ、今日の相手――新座台高校の情報を共有するわね」


みんなの視線が自然と彼女に集まる。


「新座台は、中規模な将棋部で、埼玉では“古豪”と呼ばれる高校。10年以上前、一度だけ県大会で優勝して、全国に出場したことがあるの」


「へぇ〜!すごいじゃん!」


柚子が目を丸くする。その反応に、桜は軽くうなずいた。


「確かにね。でもそれ以降は、ずっとベスト4かベスト8止まり。強いことに変わりはないけど、最近は突出しているわけじゃない。ただ――」


ここで桜は少し声のトーンを落とし、全員の目を見渡す。


「今まで戦ってきた中では、一番強い相手かもしれない。油断は禁物よ」


リムジンの中に、一瞬緊張が走った。


「一回戦のオーダーは『先鋒、中堅、次鋒、大将、副将』っていう変則型。戦型もバラバラ。部員それぞれに個性があるってことね」


「ふむ……変則的な布陣、ですのね」


牡丹が静かに頷く。


しばらくして、話は一段落し、再び皆は軽食に手を伸ばした。

甘酸っぱい果物の香りと、高級ジュースのやさしい味が、少しだけ気持ちをほぐしてくれる。


---


リムジンがさいたま市文化センターに滑り込むように到着する頃には、制服姿の生徒たちがバスや電車で集まり、ざわざわとした熱気が建物の外まであふれていた。


小手指原高校の一行も静かに車を降り、足取りしっかりと建物内へと向かう。


控室へ続く廊下を歩いていると、百合がぽつりとつぶやいた。


「……いよいよ準決勝なんだね。ほんと、あっという間だったなあ」


「そうね。でもここからが本当の勝負。相手はどんどん強くなってくるわ」


桜がきっぱりと答えると、誰もがうなずき、表情を引き締めた。


---


控室に入ると、昨日と同じソファーに腰を下ろす。

全員が席に着いたのを見計らって、桜が静かに立ち上がった。


「さて――今日は準決勝。ここまで来たこと、まずはそれを誇っていいと思う。だけど、目指すのはここじゃない。だから、いつも通り、自分の将棋を全力で指してきてほしい」


彼女の言葉は、いつものように落ち着いていて、それでいて確かな芯があった。


「でもね――柚子」


「えっ、あ、う、うん?」


急に名前を呼ばれて、柚子は少し驚いたように背筋を伸ばす。


「あなたが将棋を始めたのは、ほんの数ヶ月前。それでここまで勝ち上がってきたのは、本当にすごいことなの。だから、今日の結果なんて、気にしなくていい。私たちがちゃんとカバーするし、あなたはあなたらしく、自分の将棋を楽しんできて」


「でも……準決勝って、やっぱり責任感じちゃうし――」


「気持ちはわかる。でも、少なくとも私は、あなたに迷惑なんて一ミリも感じてないわ。昨日の飯能北の先鋒や次鋒より、あなたの方がずっと強い。新座台が強いのは事実だけど、それは経験の差。だから気にしないで、堂々と行ってきて」


「……うん!わかった!」


柚子は力強くうなずいた。その笑顔には、まだ少しの不安も混じっていたけれど、それ以上に前へ進む決意が込められていた。


「オーダーは昨日と同じで、先鋒から大将まで順番。状況によっては入れ替えも考えるから」


「わかりましたわ」


「了解」


「はーい」


みんなが声をそろえて応える。

準決勝という言葉が、背中を押してくれるようだった。


---


やがて、試合開始の時間が近づく。

控室の空気は一段と引き締まり、少しの緊張が漂い始める。


その中で、柚子が立ち上がる。彼女の目には、不思議な輝きが宿っていた。


「七瀬、行ってこい」


虎門が、珍しく真面目な口調で言った。


「行ってきます!」


柚子は胸を張って答えた。


「楽しんでおいで、柚子ちゃん」


福辺のやさしい声に、柚子は笑顔で手を振って控室を出ていった。


その背中を、みんなが見送る。

彼女の一歩一歩が、将棋部の未来を形作っていく。


「……あの子、絶対に強くなるわよ」


桜の小さなつぶやきに、誰もが静かにうなずいた。


扉の向こうにあるのは、新しい戦い。

今日という日が、きっと、明日へとつながっていく――。

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