第七章 夏の保養地イスファハンでの安らぎ
侍従長が来るまで今日の朝を思い出す。
何事もなかったようにルードヴィヒは起きエリザベートの額にキスをして抱きしめた後寝室を出た。
食事の時も普段と変わらず笑っていたし、逆に自分の方がどうしたらいいか戸惑ったくらいだ。
ルードヴィヒほど美しい人が思い悩んでるなど悲しくてしかたなかった。
あれこれ考えているうちに侍女の声ではっとする。
「侍従長がお越しです」
「こちらへご案内して」
侍従長は皇后の居間に通された。
「まずはおかけください」
ソファーに座るように促すが、侍従長は恐れ多いと座らない。
皇后は咳ばらいをして、何度も促した。
「長くなるので皇后の命令です」
と言って強制的に座らせた。
ここは下手に出るより威厳を示すために毅然といた態度で言った。
「陛下の異変についてご存じならば助言をください。大切です。
昨夜陛下はひどく取り乱されうわ言をおいいなり失神されました。事が事だけに内密にいたしましたが、あなたはご存知でしょう
事は迅速かつ丁寧に対処しなければなりません」
侍従長はふいをつかれはっとした後、いうかいわぬか悩んだ様子でだったが、観念したかのように重たい口を開いた。
「陛下におかれましてはおさない頃より心に傷を負っておられ、なにかの折に発作を起こされるのでございます。
心の傷がいえない限り昨夜の様に発作を起こされるでしょう。」
「原因は?」
侍従長は沈黙して声を押し殺す様に言った。
「私の口から申し上げられません。
しかしいずれ皇后陛下には知って頂かないといけないと考えております。
しばらく猶予頂きたい」
また信頼が完全にされてはいないのだ。
ここは侍従長の言葉を信じ理解するほうがよいと判断した。
「最近の心身の疲労は強く感じます。
もう夏の保養シーズンです。
イスファハンへでゆっくり過ごされるのがよいでしょう。
出来るだけお二人でくつろげるように手配いたしまします」
「それはよい」
そう言って侍従長は皇后の居間を出た。
エリザベートは悩みの原因も重要だが、ルードヴィヒの心身の健康が一番だと気を取り直し旅の支度
を指示した。
侍従長も間をおかず皇帝に進言し夏の保養地への出立の準備が整えられた。
十日後には出発し、一路イスファハンを目指し二人は馬車に乗り込んだ。
イスファハンまでの道のりは馬車で1週間後だ。街道の町々を宿泊しながらの旅路だが、沿道の国民の歓迎と各町のもてなしは感銘を受けるほど素晴らしいものだった。これもルードヴィヒの統治の賜物と皇帝としても素晴らしいだけに抱える重責を思うと心が思いがそんな素振りは見せない。
無事にイスファハンに到着し皇室の離宮に到入った。
のどかな田園風景に建つ白亜の宮殿のそばには山々と湖が点在して風光明媚な場所にある。
きっと素晴らしい滞在になるだろうと予感させた。
執事長に案内されて滞在する部屋に入る。
円柱のが並ぶ壁の少ない部屋に窓はなく薄い絹のカーテンがかけられている。そこから入る風は涼しく夏の盛りとは思えない。
「ここは帝都より気温が低いだ。過ごしやすいと思うよ」
ルードヴィヒはエリザベートの肩を抱いて言った。
「えぇ。とても素敵な所ゆっくり過ごせそう。
あっの私の部屋は?」
ルードヴィヒは少し笑い言った。
「ここでは夫婦共用で過ごすんだ。
居間も寝室も食堂もすべてね」
勿論余暇を休息出来るように侍従長の気配りだった。
エリザベートは侍女や執事長、侍従長を手で下がらせてその両手をルードヴィヒの背中につけていたずらっぽく笑う。
「では陛下を独り占め うふっ」
ルードヴィヒの胸に顔をうずめる。
「今日の奥様は積極的ですね」
エリザベートの顎を手であげてみる。
「うふっ。 だって宮殿ではありませんよね。
私だけの陛下」
そう言って口づける。
二人の影が重なりルードヴィヒはエリザベートをお姫様だっこして寝台へ運んだ。
後はお決まりな夫婦の時間だ。
寝室で抱き合う二人時間に縛られない解放感から何時もより大胆になる。いや本来の姿かもしれない。
「お腹がすいたな」
ルードヴィヒは時計を見て昼食にエリザベートを起こした。
「ではまいりましょう」
二人食堂に入り食卓を共にする。
いつもの風景だが二人で時間を気にせず好きな話をして楽しく食事をする事はなかった。ここでは全てが叶えられる気がした。
食事を終えたら初めての離宮で、ルードヴィヒの案内で部屋を見て回った。エリザベートの希望で調理場や洗濯場までも見て回る。新鮮で楽しかった。
一日中二人は一緒で衣食住を共にする。
ルードヴィヒの表情は一日一日と明るいものになり、顔色も普段より数段よかったのでエリザベートはほっとしている。
点在する湖の中で最も美しい青の湖でティータイムを楽しむことにする。
湖畔にテーブルとイズがセッティングされていてテーブルにはお茶とお菓子の用意がしてある。
湖から吹く風は心地よく、湖の水音が音楽の様に奏でている。
水鳥が鳴き羽音がして自然の中を満喫できた。
リラックスした雰囲気のルードヴィヒの様子が嬉しすぎてずっと眺めている。
「奥様 そんなに見つめられたら穴が開いてしまいます」
ルードヴィヒははにかみながら笑う。
恥ずかしくてエリザベートは下を向いてしまう。
「奥様 皇命ですよ。見つめなさい」
エリザベートはしぶしぶ前を向いてルードヴィヒを見つめた。顔も耳も真っ赤だ。
ルードヴィヒは満足そうに声を出して笑う初めての表情だった。
エリザベートはほっとしてイスファハンに来てよかったと思うのだった。
この後も山のハイキング、緑の湖の湖畔でのピクニック、村に出て露店で買い物をしたり、村人とおしゃべりしたり、森で散策し木の実や果実を収穫したりと夜になるまで遊び、夜は夜で夫婦の営みに専念した。
充実した一か月はあっという間に過ぎていく。
夏も過ぎさろうとした頃、名残惜しそうに帝都へ帰った。
ルードヴィヒの発作はこの後六か月間は起こさずこれは近頃では珍しい事だった。
このまま落ち着いてくれたら、皆そう思っていたころそれは突然訪れる。