外伝 【愛と革命に生きるヴィルヘルム大公物語】結婚三年目の二人 ヴィルヘルムの苦悩Ⅱ
「きゃっ」
バシャ!!
跳ねる水音が太陽の光にキラキラと空に飛ぶ。
ようやくリライディナが小さく叫ぶとまた泉の中に身体を沈めた。
夏草の匂いと湿気を含んだ風が2人の頰を撫でる。
ヴィルヘルムはここでようやく思い出したかの様に身体を動かして後ろを向いて叫びながら言った。
「ごめんなさい。
わざとじゃないんです。
散歩をしようとしたら水音がして。
まさかリライディナ殿下だとは…。
ごめんなさい」
リライディナ殿下か……。
リライディナはそのヴィルヘルムの言葉に言い知れない寂しさを感じてしまう。
あんなに愛や優しさをくれたヴィルが自分に酷く他人行儀になったからだった。
いつも笑顔でいつも優しくいつも気にかけてくれたヴィルが…。
今は違う。
でもそれでも彼なんだ。
そう今の彼を受け入れなきゃと自分に言い聞かせる。
「ううん。
気にしないぞ。
私も着替えてそっちに行く」
リライディナはそう言って岸に上がって持参していたドレスに着替え、ヴィルヘルムのいる場所に近づいてきた。
なんだかどぎまぎするヴィルヘルムを他所に今のリライディナは驚くほど冷静だった。
それはそうだろう。
夫婦だからか?
実感はないもののヴィルヘルムは自分にそう納得させて答えた。
「うん…殿下」
二人は泉に足をつけながら、丁度リライディナが大きな布を持参していたのでそれを敷き座る。
足元が冷たくて今日のような暑い日には十分に清涼な気分になれた。
いつもと違うそんな環境は二人に新鮮だったのかもしれない。
自然に会話が進んでいく。
「ここでも生活はなれた?」
「ええ。まだ記憶はもどりません。
すみません。
でも皆が良くしてくれます」
少し固い言葉にリライディナは悲しくはなるがそれも仕方ない。
「よかった。
記憶はあせらなくていいよ。
思い出してくれたら嬉しいけど。
こればかりはね」
「すみません」
ちらりと彼女の顔を覗き見る。
僕の妻だというリナイディア殿下は口は悪いけど悪意のない純粋で優しい人だ。
正直にそう思う。
キラキラした瞳は善意に満ちて正義心が強くて人を疑うという事を知らない様に映って実は眩しいくらいだ。
年齢は多分17.8歳くらいだろうか?
見た目にはそれよりも幼く見える。
可愛らしい外見とは裏腹に口の悪さがアンバランスで、でもそれでいて嫌な気持ちはしない。
むしろ親しみやすささえ感じる。
嫌じゃない。
逆に僕の記憶喪失で彼女の事を忘れている事に罪悪感さえ感じている。
「違うんだ。
待つよ。
その日まで。
そしてその日が来たらきっと……」
リライディナは全否定するように、思わず大きな声を出して主張する。
今までヴィルヘルムが自分の気持ちを尊重してくれた。
だからまだ本当の夫婦じゃない。
彼は自分を大切にしてくれて、尊重してくれた。
だから私も彼がそう思えた時に今の気持ちを伝えよう。
そう心に決めたのだ。
彼は自分になくてはならない存在で唯一の人で、失ってはいけない人だからと。
「ありがとう殿下」
「んン。その時にきちんと言うよ必ずね。
今言っても混乱するだけだから」
リライディナは太陽が最後に見せる黄昏時の僅かに悲しみの光を瞳に宿し小さな自分へ言い聞かせるように呟いた。
仕方ない悲しいけれど今はただ待とう。
彼がそうしてくれたように。
「すみません」
「…ゆっくりでいいんだ。
それよりヴォルがね……」
ヴィルヘルムは楽しそうに笑いながら話し始めるリライディナにすっかりペースを奪われる。
例え記憶がなくてもリライディナの持つ人を惹きつける独独の放つオーラに圧倒させられて蟠りもどこかにいってしまう。
記憶は無くても自分達を知ってもらいたいとリライディナは今のヴィルヘルムを受け入れると心に決めていた。
少しは寂しいが覚悟を決めて向き合うと自分に誓っていたその意思はたじろぎもしない。
「それとねアンリエットと婚約者のルシファルのラブラブが凄いんだ……。
この前なんて知らずにアンリエットの部屋に入ったらお互いの口にチョコを食べさせ合いっこしてて……キャ!……」
リライディナは裏切られ殺されそうになったのも記憶からなくなっているかのように大笑いしながら嬉しそうに話を続けた。
「それとね。ディアナが凄く働き者でね。
監獄に閉じ込められていた皆をお世話しているん
だ。
凄いよね。あんなに小さいのに…………
それからね……」
リライディナの話は全然終わらない。
この後何気ない日常の話は主にリライディナがほぼ一方的に喋っていたものの時を忘れるほど話に夢中になる。
ヴィルヘルムも聞いているだけでもなんだか楽しく、不思議と自分も彼らをすっかり知っている様な感覚がしていた。
話を聞こうと熱中する度に2人の距離は近くなる。
ヴィルヘルムも楽しげに話リライディナを可愛らしいと思い始めていた。
お互いをお互いに無意識の中の接近で、肩が触れ合った瞬間に。
ビリッ!
電気なような感覚が身体に感じ2人は恥ずかしそうに顔をチラリと見る。
微笑ましい光景が太陽の光に反射してキラキラ光る泉が2人の愛らしい姿に微笑んでいるかのようだ。
「あの~一度聞きたい事があるんですが。」
おもむろに以前から質問したいと思っていた事を二人きりの機会に聞いてみる事にした。
「なに?」
「……どうして皇位奪還っていういわば茨の道を選んだんですか?」
「ん~そうだな。
しいていうなら私の血がそうさせるんだ。
私は異民族の母を持つ特に皇国では忌み嫌われた卑しい民族って言われていたんだ。
母の記憶はないけれど。
離宮にいた時にはあからさまに自分の侍女達に軽蔑され無視された事もあるんだ。
離宮に住む他の父皇王の愛人達にも私だけでなく私の使用人にも沢山の嫌がらせをされた。
そんな時貧しい召使に皇都の市民の話を聞いて、なんとか私に出来る事はないかと考えていた。
まだ幼い私に気持ちだけで何も出来なかった。
そんな私に教育と知識と経験は大切だと乳母が教えてくれて。
離宮で勉強したんだ。
お祖父様が私を助けてくれた後は剣術や帝王学を読み漁った。
そして国民の生活を知り助けたいと思ったんだ。
勿論リスクは承知だよ。
だけど賭けてみる。
皆のため。私の血の責任だ。」
ヴィルヘルムはじっと黙って聞いていた。
というよりもあまりの重い話に何も考えられず、何も言えなかった。
「………そっ…かあ………」
ただの可愛らしい世間知らずなお姫様という印象は粉々に崩れていく。
それはそうだ。
彼女の周りの人達は彼女を敬い、常に近くで大切に守られていた。
彼女のこの人を引きつける天性の素質はまさに君主が持つ物かもしれないと納得した。
この日を境にヴィルヘルムの心の中で何かが動いた。
それは霧の中で無我夢中をオドオドしながらキョロキョロしながら慎重になりながら過ごしていた自分の殻が音を立てて壊れる音が聞こえた瞬間でもあった。
夫婦のそれとはかけ離れてはいたが、ヴィルヘルムの置かれた立場を思えば、十分すぎるほどの二人の新たな関係の始まりだ。




