第五章 二十年前のオルファン帝国の因縁
皇帝と皇太后の関係性を解説する回になります。
エリザベートはどう皇帝と向き合うでしょうか?
そもそもオルファン帝国は建国百年の新興国の一つだった。
他に類を見ない気候のお陰で他国にない農作物や植物が育ち、それを輸出して軍事力を蓄えて一代帝国までに乗り上がった。
初めは各地方の有力者が議会制度政治を初めたものの、すぐに頭角現したオルファン家が初代皇帝となり統治した。皇帝には二人の息子がおり、長男が皇太子に、次男が大公家を名乗った。
本流三代目の時にクーデターが起こる。
時の皇帝は凡庸なタイプだったが、次男は野心家だった。こともあろうか、他の貴族達を唆し皇帝を拉致して監禁し自分が即位してしまったのだ。
前皇帝は獄死、当時の大公家は皇帝にしたら皇位継承権を主張する危険な存在だった。
皇帝は大公家を警戒し、事あるごとに牽制した。
ある時皇帝主催の舞踏会が開かれ多くの王侯貴族達が招かれた。
その中には大公殿下夫妻も含まれていた。当時大公妃は二十一歳の女盛りしかも帝国一の美貌の誉高かった。
社交界は苦手で、あまり出席していなかった。
しかひ大公妃ともなると逃れられない。
しかも既婚者であると安心感が警戒心が緩む。
帝国では姦通は犯罪であった。
大公妃は舞踏会に請われて皇帝と踊った。
この時自分が皇帝から横恋慕されたとは思ってもみなかった。
大公は危険を察知して領地の中で田舎に隠棲しようとしたが時すでに遅かった。
まさに邸宅を去ろうとした日に国家反逆罪の汚名をきせられ逮捕され、生まれたばかりの男の子も乳母と共に連行された。
大公は裁判にかけられる事なく拷問をかけられ獄死し、生まれたばかりの男の子は乳母と引き離され獄中で餓死させられた。
大公と子供の生死がわからない中大公妃は一人生家に戻され、皇帝の私室に呼び出される。
死を覚悟した大公妃に皇帝が放った一言は一年後の
皇后の立后だった。
皇帝は拒否した場合大公と息子、生家の一族諸共処刑すると告げた。
合意の証として皇帝は大公妃の身体を暴きその肢体を一晩堪能した。
大公妃は早朝に宮殿を出て半年間寝込む事になるが、心労と妊娠が重なっての疲労のせいだった。
父親はどちらかわからなかった。
ほぼ同時期に関係があったからだ。
大公妃は死ぬほうがどんなにか楽かしれないと思ったが両親が処刑されるのは避けなくてはいけなかった。
更に半年後大きなお腹を抱えて入宮する。
子供が生まれるまで皇帝と閨を共にする事がないのがせめてもの慰めと思い過ごした。
二か月後に皇后に゙なった。
そしていよいよ出産の時を迎える。
難産の末誕生したのが、ルードヴィヒⅢ世だった。
大公妃にそっくりだったので父親はどちらか判別出来なかった。
この曖昧な子供を大公妃はどうしたらいいか?
また亡くなった息子を思い出して涙に暮れた。
この時の難産で以降皇后は妊娠する事はなかった。皇帝には他に皇子がいなかったので、必然的に皇太子に内定したのだった。
その後産後のひ立ちが悪く皇后は離宮に゙住む事になり、皇帝は勿論皇太子にも会う機会は極めて少なかった。
そして精神を病み長らく離宮隠棲生活が続いたのだった。
まだまだ進展ありご愛読宜しくお願いします