Magic police バスジャック編
『新人魔導警官、国際テロ組織の犯罪を立て続けに阻止。犯人逮捕』
「凄いなあ……」
春の暖かいある日。新人魔導警官の楠木寧々(ねね)はニュースサイトに大々的に表示されている記事を見て感嘆の声を漏らしていた。
ニュースサイトの記事を飾っているのは寧々の警察学校時代の同期で、3日ほど前に起きた事件についての情報が掲載されていた。
「それに比べて私は……。はぁ」
寧々は自身の非力を嘆き、記事を飾る同期を羨み、何度目かも知れぬため息を吐いた。
楠木寧々は魔導の名門楠木家の次女だ。翡翠色の髪に同じ色の目を持ち、人形のようなかわいらしさの彼女を家の者は揃って可愛がった。寧々の魔導適性がDランクであると結論付けられるその瞬間まで。
魔導適性は魔導士のランクを表すもので、上からSABCDEと6段階に分かれている。寧々はその内のD。魔導の名門に生まれ、その血を引いていながら、寧々はDランクだったのだ。
「私もこんな風になれたらなぁ……」
寧々は子供の頃、魔導警官として活躍することが夢だった。なぜならそう在れと期待され育ってきて、いつしかそう在りたいと自ら夢想するようになったからだ。
年を重ね成長した今もそれは変わらない。楠木の名に恥じない活躍をし、人々の笑顔を守れたら、どれだけ誇らしいか。
だがそんな望みが叶うわけはない。華々しい活躍など、魔力で糸を編む程度しかできない寧々には縁のない話だ。
「はぁ……」
自身の胸の内を吐き捨てるようなため息を吐いたとき、警察署内の無線がけたたましく音を立てた。寧々は今、自身の所属している隊の部屋にいたのだ。
『警視庁より練馬署へ。練馬区内で魔導士によるバスジャック発生。現場付近のPC、管轄の魔導警官は現場へ向かってください』
その無線の内容に咄嗟に立ち上がると、同じように部屋の中にいた数名が立ち上がって顔を見合わせる。
次の瞬間には全員揃って部屋を駆け出し、パトカーに乗って現場へと急行した。
「──現在バスをジャックしているのはBランク魔導士で、11名の乗客が人質として捕らわれている。そして犯人の要求だが……。先日逮捕された国際テロ組織の魔導士の釈放、だそうだ」
現場へ向かう道すがら、現在入っている情報を隊長が事細かに説明した。無線機越しでもわかるくらいには重々しい声色だった。
「国際テロ組織……ってまさか⁉︎」
思わず寧々が声を上げると、無線越しの隊長がそうだと頷いた。
「先日逮捕されたあの組織の人間だ。犯人との関係性は不明だが、そいつを釈放しなければ人質に危害を加えると、そう言っているそうだ」
「ったく、時代錯誤なことを……」
隊長の言葉に対し、助手席の同僚が呆れた様子で呟いていた。
「で、状況に変化は」
現場に着くやいなや、隊長は先行していたPCの警官にそう聞いた。PCというのはパトカーのことで、警ら中の車両を指す。
「今のところは何も。要求は一貫して国際テロ組織のメンバーの釈放で、1時間に1人殺すと言ってます」
現在事件発生から10分が経過したところだ。1人目のタイムリミットまであと50分。警察として1人の犠牲も許容できないわけで、この50分間で事件を解決しなければならない。
「犯人の魔導士は防殻魔導の適性が高いらしく、バスのほとんどが魔力に閉ざされ干渉することができません。突入は難しいでしょう。それに……」
「防殻魔導を貫くレベルの攻撃では人質にも危害を加えてしまう、か」
警官が言い淀んだ言葉を隊長が引き継いだ。
防殻魔導は大気中に存在する魔力を固めて障壁にする魔導で、自身、対物無制限に作用する汎用性の高い魔導だ。
「防殻魔導を貫くのは危険だが、かと言って防殻魔導が展開されている状態では突入もままならない。……こういった攻めなら魔力切れを狙うのが吉だが、人質がいる以上論外か」
冷静な口調で状況を整理していた隊長は一分ほど切れ長の目を伏せて考え込んでいた。
この時点で犯人の説得という選択肢がないことにツッコミを入れる人物は、ここにはいない。
(どういう展開になっても私の出番はなさそうかな……)
「……よし」
その言葉と共に目が開かれた時、その瞳が見ていたのは寧々だった。
「楠木。お前に頼みたいことがある」
「──へっ?」
突然の声かけに間抜けな返事を返したが、咄嗟に直立不動の姿勢を取って話を聞く気があることを示す。
「さっきの話の通り、今バス全体が防殻魔導に覆われていてバスへの干渉が難しい。だが防殻魔導も全面に、一切の隙間無しに展開されているという訳ではない」
隊長の言葉に寧々は静かに頷いた。
「酸素を確保するため、ですね」
防殻魔導はその性質上ありとあらゆる物質を通さない。魔力も、銃弾も、炎も、水も、そして酸素も。ゆえに全方位にそれを展開し密閉してしまうと防殻内の酸素が尽き、内部の人間は死んでしまう。
隊長の言っている隙間とは、そのことだ。
「やはりその隙間から仕掛けることになりますよね。ですが催涙ガスや魔導ガスは人質への健康被害を考慮すれば最後の手段です。魔弾も同様、Sランカーでもない限り乗客に擦り傷一つつけずに犯人を仕留めるのはかなり難しいはずです。……一体どうしたら……」
などと早口に語る寧々に対し、何やら隊長は呆れたような表情を浮かべている。
──何かおかしなことを言っちゃった?
と直前の自分の言葉を頭の中で読み上げていると、隊長は寧々の肩にポン、と手を置き口を開いた。
「どうもこうも、お前の力が必要なんだ」
一瞬意味が分からなかったが、言葉の意味を理解すると同時に寧々は目を見開いた。
「いやっ……いやいやいや! どうして私なんです⁉︎」
「どうしてって……。やはり隙間からって自分で言ったじゃないか」
「それは……そう、ですけど。なぜそれに私の力が……?」
「そんなのお前の『糸継』が最適だからに決まっているだろう。隙間と通せて、伸ばした先で自由に使えて、束ねれば武器にもなる。お前の『糸継』が」
糸継。魔導で糸を編む術で、適性のある人間が少ない希少魔導だ。
もっともそんな中御半端な魔導は誰からも必要とされず、寧々の非力の証明でしかない。少なくとも寧々はそう思って生きてきた。
「そんなの……私には、無理ですよ。隊長も私の実力は知っているはずです」
「……そうか。なら言い方を変えよう。……楠木巡査。糸継を使ってバス内部へ干渉し、犯人を拘束しろ」
「それ、は……!」
頼みではなく、命令。隊長であり、寧々より2つ階級が上の人物からの、拒否しようのない指示だ。寧々が怖気付いて思わず身を退くと、隊長はそんな寧々を真っ直ぐ見つめた。
「命令である以上否はない。それはこの仕事に就く上で分かっていたはずだ。……分かっていてなお、自分に自身がなくてもなお、お前がこの仕事を選んだ理由を思いだせ」
それは寧々の心の全てを見透かすような、そんな言葉だった。
「わ、たしは……」
思い出せ。何故魔導警官を志したのか。家柄、血筋。だけじゃない。一人でも多くの人の安寧を願ったはずだ。なら、今は。胸を張るべきなのではないか。
「──分かり、ました。やります……やってみせます」
寧々は決意を帯びた視線と共にそう言い、準備に取り掛かった。
「それじゃあ始めます」
緊張した表情で寧々は言い、頭につけたヘルメットのバイザーを下ろした。ブラインドで見えづらいバスの内部を見透かすための補助具だ。
「はぁー……」
深々と息を吐き出し、次の酸素を肺に吸い込むと同時に魔導を発動した。直後に寧々の指先から魔力で編まれた糸が飛び出し、犯人の死角を縫ってバスへと伸びていく。
バスの側面まで難なく伸びた糸をさらに伸ばし、バス全体を覆うようにして展開されている防殻魔導の合間を縫い、換気用の隙間から糸を潜り込ませる。
ここまでは予定通り。だが問題はここからだ。寧々の糸は束ねて武器がわりにすることはできるが、それは糸を握る使い手あってこそで、この状況では意味がない。
「動かないでよ……」
寧々は呟きながらも指先から糸を伸ばし続け、十分な長さに至ったところで止めた。刃渡り15センチほどの包丁の刀身全てを包める程度の長さだ。
「よし……」
そしてそれとは別の糸も用意する。今度は左手から糸を伸ばし、同じようにバスの内部へ潜り込ませた。指先から伸びた五本の糸が複雑に絡み合い、そこで新たな手を作り出す。
これで準備は整った。
「──糸よ!」
叫びの直後、右手から伸びた糸が犯人の持つ包丁目がけて蛇のように伸び、刃全てを一瞬にして包み込んだ。
「レフト!」
さらなる叫びの後に左手が動き、包丁に目を向けていた犯人の首元を掴み、勢いよく窓へ打ち付けた。
犯人は首を絞めにかかる左手を斬ろうと包丁を振るうが、即席の鞘に収められた包丁では斬れるはずがない。
となれば必然的に、魔導を行使して対抗するしかない。
そうすれば、防殻魔導に綻びが生まれる。衣服の縫い目がほどけるように。
「今ですッ!」
精一杯の大声を出してすぐ、バスから10メートルの位置で待機していた隊長たちが一斉に動き、バスへと取り付いた。
そこからは文字通り一瞬だった。寧々の糸で首を押さえられ、獲物も封じられた犯人に対抗する術はない。
犯人を拘束した隊長がバスの外へ顔を出したのは、寧々の合図からわずか15秒後のことだった。
「はぁ──……」
無事バスの外へと出てくる乗客たちを眺めて詰めていた息を吐き出していると、背後から大きな気配がした。
「よくやったな、楠木」
振り向くと、そこにいたのは拘束した犯人を移送車に放り込んで戻ってきた隊長の姿があった。
「あ、ありがとうございます」
「乗客は全員無事だそうだ。お前の『糸継』がなければこう上手くはいかなっただろうな」
「いやいや、そんな。きっと隊長たちなら私がいなくてもなんとかしましたよ。……『糸継』も、私以外の人でもきっと……」
目を伏せながらそう言うと、隊長がその大きな掌で寧々の肩を叩いた。
「……同じことは、確かに他の奴にもできるだろうな」
静かに口にする隊長の言葉に、寧々は頷いた。
「でもそいつを連れてくるまでに乗客に被害が出てたかもしれない。乗客を1人も傷つけずに犯人を拘束できたのは、誰でもないお前だけだ」
また頷こうとして、途中で止めた。
「同じことをできる奴がいても、あの状況であれができたのは地球上でお前1人なんだ。……それで解決して、お前のおかげじゃないなら誰のおかげなんだ」
そう言って微笑む隊長の顔を見て、寧々の心に今まで感じたことのない感情が押し寄せてきた。賞賛への否定ではない。強いていうのなら、達成感。そして気恥ずかしさ。
Dランクと評されて以来誰からも必要とされず、誰からも期待されず、気がつけば自己嫌悪と他者への羨望だけが全てだった寧々には縁のなかった感情が、今まさに押し寄せてきたのだ。
「隊長として礼を言うよ。ありがとう楠木。この事件を解決できたのはお前のおかげだ」
「……ありがとう、ございます!」
今まで否定ばかりしてきた寧々だが、初めて誰かからの感謝に素直な気持ちを答えることができたのだった。
どうもお久しぶりです。作者の結剣です。お読みいただきありがとうございます。
本作も前回、前々回に投稿した「Magic police」と同じシリーズ、世界観の作品となっています。
作者の事情で今後もこういった短編を小出ししていくことになると思いますが、今後もよろしくお願い致します。