お帰りいただくために
エドワードは、王太子の異母兄だ。
彼の母は今は亡き王国の王家の出身で、伝説の勇者の血を引いている。その縁で勇者の聖剣は現在は彼の国の国宝になっている。……実際のところは、伝統だけが取り柄の古い王国に攻め入って滅ぼし、王女とお宝をぶんどって来たというのが正しいが、どこの国もそんなものなので特に責められることでもなかった。
ただ世論はどうでも、当事者の心中はまた別だったようで、エドワードの母は彼が幼いうちに世を儚んで亡くなった。正妻である現王太子の母親が手を回したという話も密かに噂されたが、誰もそれを問い糾そうとはしなかったので、噂の範疇を出なかった。
後ろ盾の弱いエドワードは、長子でありながら王太子になることはない者として育てられた。
彼は、血筋を残せば争いの種にはなるが、スペアとしては有能という微妙な立場だったため、年頃になっても婚約者も定められず、戯れでも女性には近づくなと厳しく言われて育った。
「成人前から軍属で前線を転戦していた。王子と言っても知っているのは戦のことばかりだ」
「俺も男子校にいたので人のことは言えませんが、そこまで女っ気がない育ちだったとは」
「さすがに弟の妻である王太子妃とは話ぐらいはしたが、彼女の兄は俺の軍との戦で戦死しているので、蛇蝎のように嫌われていたからな。まともな会話とは言い難かった」
「攻め滅ぼした国から嫁とる習わしでもあるのか。あんたの国は」
「滅ぼしてはいない。痛み分けだった。隣国のあちらも大国で和平は重要だったからこその政略結婚だ。実際、王太子妃と一緒に来た官僚共はかなりうまいこと権力に食い込んだ。今の王太子が国王になったら、うちは実質的にあの国の属国になるだろうよ」
「シビアな話だな」
「そうなれば、あちらに恨まれている俺は、ろくな立場にならないであろうことは目に見えていたから、よってくる女もいなかった。だから、ダンスもまともにしたことがない」
「それでうちの師匠は劇薬過ぎだなぁ……女性不信になっちゃ駄目ですよ。アレは例外というか、アレを基準に女性を判断しちゃいけないというか」
「貴様、そういうのは本人がいないところで言え!」
ヴァレリアは部屋の入口からまっすぐ3歩入って、弟子の後頭部を引っ叩いた。
「あ、師匠。お疲れさまです。晩御飯はカブのそぼろあんかけと、ユリ根モドキの卵とじと、なんちゃって湯豆腐でいいですか。エドさん、断食明けなので」
ヴァレリアは不機嫌そうな顔で弟子の隣に立つエドワードを見上げた。風呂上がりなのか無精髭もなくこざっぱりはしているが、明らかにやつれているし、青あざや赤く引き攣れた傷跡もあり痛々しい。
「阿呆が。ちょっと見んうちにまたボロボロになりおって」
「す、すまない」
彼女は上から下まで一通り眺めたあとで、エドワードの顔をじっと見つめた。
なにか言いかけた赤い唇がキュッと結ばれた。
エドワードはそんなヴァレリアの緑色の目をまっすぐ見つめ返した。
「貴女を守るために来た」
ヴァレリアはくしゃりと顔を歪めた。彼女は、その泣きそうにも見える顔を伏せて、エドワードの胸に手をあてた。
「馬鹿め。……ここに来たのなら働いてもらうぞ」
ヴァレリアの手が触れたところから魔力が注ぎ込まれて、エドワードは身体が内から熱を帯びるのを感じた。
「治した。夕食に肉を出してやれ」
「もうちょっとわかりやすく優しくしてあげればいいのに」
「やかましいっ」
ヴァレリアは弟子の向こう脛を蹴り上げた。
「敵は数国からなる混成部隊だ」
エドワードは大きなテーブルの上に映し出された軍勢を見ながら、壁の地図を指した。地図は、国境や国名はかなり古かったが、非常に詳細なものだった。エドワードは奇妙なペンで地図上に新しい国名を書き込みながら、大まかな世界情勢を説明した。
魔女の魔術で卓上に浮かんだ映像は本物さながらで、小さな人影は動いてさえいた。エドワードが各部隊の旗を指差しながら国名を言うと、卓上の部隊の頭上に光る文字で名前が記された。
「この構成なら宗主は教皇軍特使、まとめ役は隣国か……弟が聖剣を持って来ていればうちの国だろう」
「お前の弔い合戦とか仇討ちとかアジ演説してたぞ」
俺は公にはもう殺されたことになっているのかと、エドワードは眉根を寄せた。
「あれがお前の弟ならあまり似ていないな。ヒョロヒョロした青二才だった」
「む、それは別人かもしれん。弟はスマートな美男だと有名だ」
ヴァレリアは首を傾げた。
「なら別人だろう。美男と言うならお前のほうがよほど美丈夫だ」
ヴァレリアの言葉に固まったエドワードの背中を、魔女の弟子が叩いた。
「はいはい。続きを説明して」
「お前、どんどん口調がぞんざいになってきていないか?」
「いや、なんかもうエドさんは王子様扱いしなくてもいいかなって」
「ぐ……確かに俺はもはや王族とは言い難い身だが」
「構うな。そやつが無礼なのは元々だ。身内認定されるとひどいぞ。私を師匠扱いするのも気が向いたときだけだからな」
「ヴァレさんがたまに女言葉になるのも気が向いたときだけでしょう。日頃の言葉遣いは概ねおっさんですよ」
「……作戦会議を続けよう」
「目標は殲滅戦ではなく、泣いてお帰りいただくことでいいですか」
「あまり甘くしすぎて落とし所を間違えると、舐められて何度も責められることになる。ある程度のインパクトは必要だ」
「どこをどう叩くかが問題か」
エドワードは卓上の軍勢を検分した。
「このあたりの部隊は嫌々連れてこられた農民兵が中心だ。指揮系統が乱れて、帰還できそうな隙があればたやすく戦線を放棄する」
「なるほど。こっちは?」
「傭兵と職業軍人は逃亡の可能性は低いが、士気が下がれば、このあたりの部隊は、戦略的撤退を選択するだろう。要するに”立て直す”と言って後方や本国まで下がるというやつだな」
「逃亡とどう違うんだ」
「かろうじて統制が取れている。傭兵や一部のならず者兵は指揮系統を崩壊させてバラバラに逃がすと、そのまま野盗になって近隣の農村を襲うから、気をつける必要がある。……こことか、こいつらあたりは怪しい」
「面倒な」
「中央の本隊はさすがにやすやすとは引けんだろうが、教皇軍の近衛は教皇特使を守るために早めに撤退する可能性はある」
「ただ、そいつが無事すぎると教皇庁が諦めないということか」
「向こうがふっかけた戦争だ。不殺で全員無事に帰すなどという落とし所はありえない」
嫌そうな顔をした弟子を見て、ヴァレリアは苦笑した。
「ここはそういう世界だ。大丈夫、お前にやれとは言わん」
「でも、全部をエドさんに押し付けるのは……」
「それならお前、魔王をやれ」
「は?」
適役だろうと笑われて、弟子は自棄気味に引き受けた。