顕現
黒太子への飽和攻撃は熾烈を極めた。
「波状攻撃の手を緩めるな。交代は迅速に。奴に息をつく間を与えるな!」
間断なく降り注ぐ矢や投石による射撃攻撃は、すべて氷の盾で防がれたが、黒太子本人ではなく周囲の地面に狙いを定めた魔法攻撃までは防がれず、黒太子の機動力を削ぐことに成功した。
黒太子はそれでも鬼神のように戦ったが、左右に大きく離れた両翼の軍が、回り込んで城に迫ることを、黒太子が同時に阻止しに行くことは不可能だった。
大盾を構えて密集陣形を取った歩兵部隊に守られた巨大な攻城兵器が、工兵の敷いた丸太の道を渡って泥濘を渡り、泥兵を轢き潰しながらラインを越えた。
切ったり突いたりしても、黒太子の鎧に傷一つ付けられないことに業を煮やした討伐軍は、太い鎖を持った兵士で周囲を囲ませ、天幕の支柱2本の間に張った鎖を黒太子に向かって四方八方から投げかけるという作戦で、黒太子の馬に鎖をかけることに成功した。
「火炎弾構え。撃て!」
鎖を切り払おうとした黒太子の足元に油が撒かれ、そこに炸裂する火種の壷が投げつけられた。
たちまち黒太子は猛火に包まれた。
「対防御結界魔法、あと200で詠唱完了です」
「射撃攻撃3班、次、2班と同時攻撃」
「魔導部隊の魔法発動と同時に騎士団前へ。着弾に合わせて一気に攻め落とせ」
「少しばかり強いだけの魔物一匹、我々人間の総力にはかなうわけがないのだ!殺れ!!人間の力を見せつけてやれ」
討伐軍後方で大きく複雑な魔法陣と長時間の呪文詠唱によって成立した対防御結界魔法が発動する。
ひどい耳鳴りのような音にならないキーンという音が奥歯と耳の奥を震わせ、禍々しくそびえ立つ魔王の城の周囲が陽炎のようにゆらりと歪んだ。
「討てーっ!」
号令一下、投石機から巨大な石塊が一斉に投擲され、城の周囲の空間がたわんで割れた。
鬨の声とともに両翼から一斉に城に迫る兵士と破城槌を背後に、鎖で身動きの取れなくなった黒太子は、炎の中から中央軍の中央に向かって叫んだ。
「止めよ!我を滅ぼし、魔を治るものの守りを侵せば、魔王が顕現するぞ」
「ははははは!命乞いか。見苦しい」
総大将である大国の王子は、勝利と自分の栄光を確信した。
討伐軍を募るにあたって魔王の驚異を散々宣伝し、教皇庁まで動かしたが、そんなものがとうに滅ぼされていることは調査済みである。魔王のいた城には厄介な魔女が住み着いているという話だが、しょせんは女一人。軍勢の前には無力だろう。
事実、魔女の偵察に向かわせた隣国の第一王子は単身で攻略し、帰ってきたという。
有能な男で最強の将であったので、そのまま英雄として存在し続けられては困るため、妹の輿入れに乗じて隣国中枢に配しておいた部下に命じて、汚名を着せて監禁させた。王位継承に邪魔な兄を戦争で殺してくれた男ではあるが、このまま表舞台からは消えてもらう。隣国は覇権を争った相手だが、あの第一王子がおらず、嫁に骨抜きにされた腑抜けの王太子が王位を継げば、実質的には属国と化すだろう。
あとは城の魔女を退治して、この戦争とも言えない戦争で勝利して帰還すれば、自分は世界を救った英雄となり、世界最強の大国の王となる。
予想外の化け物のせいで、思いの外、苦戦したが、英雄譚には丁度いいだろう。どうせ消耗したのは招集した小国の出稼ぎ兵や傭兵部隊ばかりなので、問題はない。
彼は、銀色に輝く聖剣を横に払って命じた。
「殺せ」
射撃攻撃と魔法攻撃の集中砲火が黒太子を襲った。黒太子が馬上で真っ直ぐに背を伸ばし、長柄武器の石突で燃える大地を突くと、大地を割るように一抱えほどの氷柱が幾本も出現し、黒太子の周囲を囲ってその姿を隠す。
しかし、それでもすべての攻撃が一斉に命中すると、氷柱とてもひとたまりもなく、爆炎とともに粉々に砕け散った氷片が飛散した。
「やったか」
煙が晴れたあとを見れば、そこに黒太子の姿は跡形もなく、爆風で吹き散らされた炎の名残がくすぶる黒い地面があるばかりであった。
「いや、あれはなんだ?」
黒太子がいた地点に、真っ黒いしみのような穴があった。そこだけがこの世と隔絶し、地獄にでもつながっているような黒々とした奈落は、ジワリとその径を拡げた。
「な、なんだ?拡がるぞ」
「下がれ、下がれ!巻き込まれるぞ」
黒い穴はみるみる大きくなり、その中心から巨大な何かが迫り上がってきた。
さんを乱して逃げる兵や騎士達の背後で、漆黒のそれは徐々にその全容を現した。
「……あれが魔王」
それは人の形をしていた。引き締まった真っ黒な身体は屈強な戦士のようだ。しかしその大きさはまったく人ではあり得なかった。腕組みをした状態で迫り上がってきた巨体は天をつくように大きかった。
空には黒雲が渦巻き、生暖かい風が巨人の出現にかしづくように、爆煙の名残と砂塵を巻き上げた。
足元まで完全に出現した黒い巨人の姿は禍々しく、見上げた討伐軍の誰もが、それが紛れもなく呪われた存在であることを確信した。
巨人は目も口も何もないつるりとした不気味な顔で地上の兵達を見下ろした。
恐怖に固まった兵達が見上げる前で、ふいに巨人の肩がボコボコと沸き立つように盛り上がり、そこから翼のように黒い触手が無数に伸びた。背に長く伸びたおぞましい触手は、すぐに一枚の布のように一体化していて、巨大なマントとなって無貌の巨人の背で緩やかにはためいた。
巨人が腕組みをほどき、ゆっくりと片手を上げると、渦巻く黒雲の中に雷光が光った。
「神よ……」
天幕を出て天を仰いでいた教皇庁特使の口から呟きが漏れた。
神は答えなかったが、人ならざる者の怒りを現すがごとき激しさで雷鳴が轟いた。
無貌の巨人が掲げた手の指を鉤爪のように曲げると同時に、幾筋もの雷槌が地上に降りそそぎ、攻城兵器があるいは砕かれ、あるいは裂けて、炎上した。
口のない巨人は低く轟く怖ろしい声で、この世のものではない呪文を一声唱え、腕を薙ぐように振り降ろした。
その大きな手からは、まるで天の雷を掴んで投げたかのように青白い雷光が放たれ、討伐軍の後方陣地に並んだ輜重を薙ぎ払った。兵の食料や消耗品を積んだ荷車はひとたまりもなく吹き飛び、次の瞬間、虚空に呑まれたかのように跡形もなく消え失せた。
あまりの恐怖に、教皇庁特使は膝を追って座り込んだ。
無貌の巨人は、漆黒の巨体をあたかも愉悦に浸るがごとくに震わせながら、絶望する地上の兵達を睥睨して、高らかに笑った。しかし、その声にはなんの感情も含まれていなかった。