CASE2:その3
アレリア王国南部――〝砂宮魔殿〟近郊、ラクレス。
「あっついですねえ! それに思ったよりも乾燥してない!」
夕日となってなおギラギラと照りつける陽光が、建物や地面の砂色と、街に生い茂る木々の緑色をより一層鮮やかにしていた。
ルーナが眩しそうに空を見つめ、レムレスは目を細め道を進んでいく。
歩いているのは冒険者ばかりだが、住み着いて住人と化した商人やその家族達もいて大変賑わっている。街角で、かつてここに住んでいたと言われる砂漠の民の弦楽器が奏でられ、異国特有の雰囲気を醸し出していた。
「なんか、同じアレリア国内って感じがしないですね」
ルーナの言葉にレムレスが頷く。
「元々、この大陸には小国がひしめき合っていたからな。何度も何度も戦争をしているうちに統合していき、最後は、北のアレイアル連合と南のリアール連邦の二つの超国家群の間で大戦争が起きた」
「【覇竜戦争】ですね。それぐらいは知っていますよ。その戦争はお互いの陣営と土地に多大な被害を与え続け……気付けば人類の生存圏は大陸中央部のごく僅かな土地だけになった……でしたっけ」
「その通り。そうなってようやく両陣営は和解し、唯一の生存圏となった永世中立国の小国を元に、このアレリア王国を樹立した。その後の技術の発展によって我々人類は環境適応能力を得て、こうしてかつての土地に足を伸ばす事ができている。だから、王都から少しでも離れたら、それだけでそこはもう異国なんだよ。実は、距離は離れているがこの砂漠はあの堕落都市ブクレシュと他国を結ぶ重要な交易路になっていてな。ブクレシュの文化も受け継いでいる。あの楽器も元はブクレシュの物だし、この街の地酒なんかもブクレシュの影響を受けている」
「なるほど~。それ、飲んでみたいですね!」
「夜になればどこでも飲めるさ」
二人は話しているうちに、中央広場へと辿り着いた。そばにはオアシスがあり、透明な水面が風で揺れていた。このオアシスのおかげで、砂漠の真ん中にありながらこの街の空気は湿度を保っているのだ。
中央広場では今日のナイトバザールに向けて、商人達が露店や屋台の準備を始めていた。レムレスが時計を確認すると、時刻はぴったり夕方の16時だった。
王都を出たのが午前11時半過ぎと考えると、やはり転移にそれなりの時間が掛かっていることが分かる。
「なんか未だに慣れないんですよね。体感時間は一瞬なのに、数時間も経っているなんて。損した気分です」
「仕方ない。転移技術も完全に復古できたわけではないからな。科学者達は、転移に掛かる時間も近い将来、体感時間と同じ程度まで縮める事は可能、と言っているが……どうだろうな」
そんな事を言いつつ、レムレスが広場の中央に佇む塔を見上げた。
「これが〝陽神の塔〟か」
「こうして見ると、高いですね」
「ああ。高さは32mらしい。その高さから落下すれば即死だろうな」
その塔は円筒状であり、岩から削り出して作られたと言われている。そのためか、外壁には継ぎ目が一切なく、窓すらもない。
中見が空洞の一本の筒。そんな印象をレムレスは受けた。
「さて、まずは残留思念を視てみるか」
「現場は、資料によると……こっちですね」
ルーナが、塔の東側に回った。
「ここのはずです」
「……本当か?」
確かに、そこには血の跡なのか黒く汚れていて、落下の衝撃によって僅かに地面が凹んでいる場所があった。
その周囲だけ、露店がない。不吉とでも思われているのかもしれない。
だが、レムレスはそこが現場とは思えなかった。
「確かにここですね。資料の地図にもここと記されていますし血の跡も落下の跡もありますし」
「……おかしい」
「へ?」
「ちょっと貸してくれ」
レムレスがルーナから地図を受け取り、自身で確認する。だが、やはりルーナの言う通りここが現場で間違いない。彼は地図をルーナに返すと、少し離れた位置にいた露天商へと声を掛けた。
「準備中失礼。少し聞きたい事があるんだが」
「なんだ?」
この街の住人といった風体の、黒く日焼けした男が訝しそうにレムレスを見つめた。
「五日前に、ここで冒険者の飛び降り事件があったと思うが――」
「――その話はよしてくれ。おかげで客は減って、こっちは迷惑しているんだ。露店の場所は決められているからな。あの場所の近くだった俺らは良い迷惑だよ」
露天商がしかめっ面で手を払った。
「では、やはりあそこが現場だったのか?」
「そうだよ。俺も見たからな。……人が死ぬ光景なんざ二度と見たくない。ほら、何も買う気がないなら、邪魔するな」
「ありがとう。あとで何か買わせてもらおう」
レムレスが礼を言って、露店を後にした。
「どうしたんですか、先輩」
「ルーナの勘、まんざら馬鹿にできないかもな……よし、塔を登るぞ」
「え? あ、はい!」
大股で塔の裏口がある北側へとレムレスが進む。その顔には複雑な感情が浮かんでいた。
「どうしたんですか先輩。なんか変ですよ」
「あとで説明する」
裏口の扉は閉ざされており、鍵が掛かっていた。しかしレムレスは予め許可を得て、鍵を受け取っていた。
素早く鍵を開けて、扉を開く。
「……涼しいですね」
塔の中には何もなかった。壁沿いに螺旋階段があるだけで、明かりも何もなく暗い。見上げれば上から光が差し込んでいるが、それもレムレス達がいる場所には届かない。
ルーナが持ってきたランタンに魔力を込めると、淡い光が周囲を照らした。
「昇ろう」
レムレスが周囲をざっと見渡したあとそう言って、階段を昇りはじめた。
「先輩、見てください」
ルーナが階段の横にある壁をランタンで照らした。
そこには階段と並行するように、謎の太い線がずっと上まで続いていた。
「これはおそらくアダムがここを昇る際に、手を付けた跡だろうと資料には書いてああったな。これだけ暗いとなると、壁に手を付けないと昇れなかったのかもしれない」
ルーナもそう言われてみれば、確かに手を壁に付けたまま昇れば、丁度そのような跡が付きそうだな、と思った。
「じゃあ、アダムさんは灯りを持っていなかったって事ですかね」
「だろうな。さあ昇るぞ」
それから二人は無言で昇り続けた。
しばらくすると、螺旋階段はやがて塔の頂上へと到達した。
「うわあ……綺麗」
塔の頂上から周囲を見渡したルーナが、思わず感嘆した声を出してしまう。
そこからはラクレスの街が一望でき、オアシスとその周囲に広がる砂色の大地のコントラストが、何とも言えない光景になっていた。
だがその光景以外に、頂上には何も無かった。
「あの場所に飛び降りようとすると……ここでしょうか」
ルーナが立っていたのは、螺旋階段から上がってすぐの場所だった。下を見下ろせば、さっきまで立っていたあの場所が見えた。
「気を付けろよ」
「大丈夫ですって。私は特に高所恐怖症でもないですが……この高さから飛び降りるのはやっぱり躊躇いそうですね」
その言葉にレムレスも頷く。調査によると、アダムは一切の躊躇なく飛び降りたらしい。まるで、そこに足場がまだあるかのように、空へと足を踏み出したようだ。
レムレスは周囲を観察するが、怪しい物は見当たらない。警察士と保険調査員の捜査があったのだ、あればとっくに見つかっているだろう。
「やっぱりか」
「何かありました?」
レムレスの確信めいた言葉にルーナが首を傾げた。何もかもが資料通りで、新たな発見はなさそうだと思ったからだ。
「いや……何もない」
「ですよねえ。昇ってはみたものの、やはり収穫はなさそうですね」
「いや、そうでもないさ。何もないことが分かった……それが大きな一歩だ」
「へ?」
砂混じりの風が吹く。それは塔にぶつかって、もの悲しい音を奏でていた。
「ルーナ。その資料はほぼ、間違いない。だからこその資料では知り得ない物を探しにきたのだが……それもなかった」
「だったらやっぱり、報告書通りで間違いないのでは?」
「そう。だけどな、おかしいんだ。その資料が正しければ、絶対にあるはずの物がなかった」
「あるはずの物?」
「おいおい、ルーナ。俺達は何をしにこの現場に来た?」
「へ? それは……あっ」
ルーナがようやく気付いたのか小さく声を上げた。それを見て、レムレスが空を見上げた。オレンジ色に染まる雲が流れていく。
「そう。この現場には……残留思念がないんだ」