CASE1:その5
翌日。
ムーアの遺体の調査結果を聞いたレムレスはルーナを連れて、とある酒場へとやってきていた。そこはレムレス達が昨日使った酒場と比べ随分と古い小汚い店で、店内にいたのは客らしき女性が1人だけだ。
店内は妙に薄暗く、天井も高いせいか、どんよりとした闇が支配していた。
そんな店内で、長い金髪、整った顔に蒼い瞳のその女性は目立っていた。それはこの国の主要民族であるアレリア人の特徴であり、その女性が、間違いなくダラスの残留思念にいたあの女性だとレムレスは確信した。
ギルドの調査部の、彼女がここ最近ずっとこの酒場に入り浸っているという情報はどうやら本当だったようだ。
「貴方は……?」
カウンターに座っていた女性――召喚士のサラが警戒するような目でレムレスとその後ろに立つルーナを見つめた。
「私はレムレスです。ギルドの保険調査員と言えば、分かるでしょう」
そう言って、レムレスが微笑んだ。その微笑みは異性を虜にしそうなほど魅力的だったが、サラは目を細めるだけだ。その右手が腰に差してある杖へと伸ばされているのを、ルーナは見逃さなかった。
「話せる事は全て話しましたけど」
拒絶するようなその言葉に、しかしレムレスは微笑むだけだ。
「二度手間ですみません。何点かお伺いしたい事がございまして」
「ねえ……それは今必要な事? 恋人が殺された女を放っておくことぐらいできないの?」
サラの言葉に、レムレスが飄々と応える。
「おや?……これはすみません。そうとは見えなかったもので」
「……どういう意味?」
「ダラスさんと貴方は……本当に恋人関係だったんですかね? いえ、ダラスさんは本気で貴方を愛していたようではありますが」
その言葉を言った途端、遺跡で視たあの残留思念が脳裏をよぎる。
「はあ? 何よそれ。疑うなら、ダラスの友人であるムーアに聞いてみなさいよ」
「そこなんですよね。貴方達が恋人関係だったと証言しているのが、ムーアさんしかいない。そしてサラさん――ムーアさんは亡くなられましたよ。おや? あまり驚いた様子がないですね」
「……残念だわ。彼もダラスの死に責任を感じていたから……いつかそうなると思っていただけよ」
サラがそう返すが、その言葉をレムレスは聞き逃さなかった。
ムーアの死体からは多量のアルコールと薬物反応が検知された。どうやら酒と薬を多量に摂取していたようだ。そして部屋には鍵が掛かっており、密室という状況だった。
そう、密室だったのだ。扉も窓も検査したが、魔力反応もなかった。唯一レムレス達の指紋や足跡が検出されたが、これは第1発見者であるから仕方がない。
その結果――ムーアは事故死、または自殺した……と今のところなっている。
多量のアルコールと薬物反応が死に至るほどかは微妙だったのだ。薬が効きすぎた結果、シャワーの途中で気絶し、頭部を強打したのか、たまたま足を滑らせたかは分からない。
だが……ムーアが事故死または自殺したという情報は――外部には一切流していない。
「サラさん。ムーアさんが亡くなられたとは言いましたが……自殺したとは一言も言っていませんよ」
「っ!! それは……そうかな、と思って言っただけよ!」
「風呂場で、倒れて亡くなられたそうです。密室で、状況からして事故死か自殺。ですが、不思議な点がありましてね。確かに多量のアルコールと薬は検出されましたが……自殺にしては妙でしてね」
そう言って、レムレスが煙草に火を付けた。
「換気扇と排水口に……何かが這いずった跡があったそうです。彼のアパートとてもボロいんですよね。外へと繋がる換気ダクトも、排水管も掃除なんて何年もしていないそうですが、なぜか、彼の部屋の浴室に繋がる部分だけ、まるで何かが通った跡かのように汚れが剥離していたそうです」
それはレムレスが忠告しなければ、おそらく見過ごされていた証拠だった。
「それで?」
サラの手が杖を握った。
「例えばの話で恐縮なんですがね。例えば……金に困っていた盗賊が、とある儲け話に乗っかったとしましょう。しかし臆病な彼は、その犯罪を犯したストレスに耐えられず酒と薬の多用に走ってしまった。しかし、それは当然死ぬほどの量ではない。そうして判断能力が鈍った彼は、シャワーを浴びている最中に何かに襲われた」
「何それ。そんなくだらない話をしに来たの?」
サラが目を細めるが、レムレスは気にせず紫煙を揺らす。
「おそらく換気ダクトを通ってきたそれは換気扇から浴室へと侵入、シャワーを浴びているムーアさんを頭上から襲うと、そのまま鼻と口から体内に入る。そして気道と肺をその身体で満たす事でムーアさんを溺死させ、結果ムーアさんは床へと倒れ、頭部を強打。ムーアさんを襲ったそれは再び口と鼻から外に出ると、そのまま排水口から下水道へと逃げた。こうするとあら不思議、他殺にも関わらず一見すると自殺か事故死に見えますね。なんせ溺死させた要因であるその液体はまるで意思を持っているかのように一切遺体には痕跡を残さずに逃げましたからね」
「……貴方、何が言いたいの?」
サラの声に苛立ちが含まれている。
「いやなに、例えば……使役されたスライムならそれが可能だな、とそう言いたいだけですよ、召喚士のサラさん」
「……あはは。なにそれ。私が、やったとでも言いたいの?」
くだらないとばかりに笑い声を上げるサラ。
「ええ。そうすると話が全て繋がってくるんですよ。なぜムーアさんが殺されたのか。それは別の犯罪の真実を知っていたからです。そのストレスは想像を絶する物でしょうね。一生背負っていくものだ。しかも……実行犯からは脅されていた」
ムーアの残留思念をレムレスは思い出していた。
彼は、追い詰められていた。
嘘を突き通す事を、強いられていた。
それが多大なるストレスとなって彼の精神を病ませていた。
何より、もしその嘘をバラせば……殺すと脅されていたのだ。そして心のよりどころとなる酒や薬の元手となる金は一向に支払われなかった。それはそうだろう。なんせ実行犯はすぐに手に入るはずだったとある金が入ってこなかったからだ。
「実行犯は、金が入ってこない事に苛立ち、ムーアさんが真実を話してしまった、もしくは話してしまうかもしれないと考えた。だから口を封じた。一見すると自殺か事故死という形でね。だけど、前の手口と比べると粗が少々目立つ。今回は慌てたせいで、換気ダクトや排水管に証拠を残してしまった」
「話が見えないのだけど。それにこの街にはスライムを使役している召喚士なんて星の数ほどいるわ」
「ええ。実際のところ、貴方がやったと証明できる物はありません」
「……話は終わり?」
サラが髪の毛を払うのを見て、レムレスが首を横に振ってにやりと笑った。
「まさか。ここからが本番ですよ」
「はあ?」
「サラさん。ダラスさんの保険金……まだおりていないのはなぜだと思います」
「……あんたらがぐだぐだ何かを調べているからでしょ。何回事情聴取されたと思っているのよ」
レムレスがゆっくりと煙を吐いた。
「ええ。ダラスさんは、ゴブリンに殺された。確かにそうとしか思えない状況でした。だけど、不審な点もいくつもありました。例えば……ゴブリンに襲われたのにも関わらず、頭部以外に一切傷がなかった……とか。薬物毒物魔力の反応が一切なかった……とか」
「……なかったら何なの。ゴブリンに殺された。それだけよ」
「なぜ、頭部以外に傷がなかったのか。それは、それ以外の部分を殴る必要がゴブリンにはなかったからですよ。それがどういう状態か教えてあげましょう。それは――彼が倒れている状態です。では、なぜダラスさんは倒れていたのでしょうか」
「知らないわよ。私が見た時は、彼は勝手に……」
サラの言葉にレムレスが頷く。その通り、その通りなのだ。
「そう。勝手に倒れた。つまり、自ら倒れたのです。ではなぜ自ら倒れたのか。それは、彼もまたムーアさん同様にスライムによって溺死させられたからですよ。気道と肺をスライムで満たされたせいで彼は息が出来ず――水気のない遺跡の床の上で、スライムに溺れたんですよ。そして彼は溺死して床に倒れ、そのままをゴブリンに頭部を殴られた」
「遺跡に換気扇はないわよ? どうやってダラスの身体の中にスライムが侵入したのよ。天井にへばりついていたのが落ちてきた? もし私が召喚魔術を使っていたら魔力反応が現場に残っているはずよ」
もちろん、そんな反応は残っていなかった。通路にも天井にも魔力反応はなかった。つまりあの場にスライムは召喚されていなかった。
普通に考えればそう見えるだろう。
「でしょうね。だけど例えば――予め召喚しておいたスライムを胃の中に収めておき……それを口移しでダラスさんへと移動させれば……現場に魔力反応を残す事なく、スライムをダラスさんの体内へと侵入させる事ができる。あの場で口移し……つまりキスが出来るのは――恋人であるサラさん、貴方だけなんですよ。なぜ、ダラスさんは事件当時にヘルムを被っていなかったか……それは貴方とキスする為でしょう」
レムレスはそう結論づけたのだった。
なぜ痕跡もなくダラスは溺死したのか。それは肺と気道を不定形であるスライムで満たされたからだ。
そして、ダラスに疑われないようにスライムを気道まで移動させるには――口移ししかない。不意打ちでスライムを貼り付けても良いが、酒と薬で判断能力が鈍っていたムーアならともかく、熟練の剣士であるダラスに対しては失敗する可能性が高い。
サラを愛していたダラスは、サラからのキスの要求を拒まなかっただろう。サラのキスと共にスライムが口内に侵入したら最後、ダラスは自力でそれを排除できない。
そうして気道と肺をスライムによって満たされたダラスは溺死し、倒れ、そしてゴブリンに殴られた。その後スライムを再び体内にでも回収すれば、現場には証拠は一切残らない。
当然、ムーアもこの計画を知っていたのだろう。でないと、証言がおかしくなってしまう。キスした直後に苦しみだして倒れたと証言されると手口がバレてしまう可能性があった。
「まるで、その場にいたかのように貴方は話すのね。妄想が過ぎるわ」
「妄想……ねえ。死霊術士にとって、死とそれにまつわる物は専門分野でね。どんな巧妙な手口で殺そうとも、死者は語るんですよ。だから、死霊術士は欺けない。死者に口なしと言うが、間違っている。死者は――真実しか話さない」
レムレスが煙草を吸いながら、笑った。
「サラさん。実行犯は貴方で間違いないのでしょう。ですが我々は刑事でも、警察士でもありません。貴方を断罪する為にここに来たのではないのですよ」
それは、レムレスが口酸っぱくルーナへと説いた言葉だった。犯罪を暴き、裁くのは保険調査員の仕事ではないと。例え、相手が犯罪者だと分かっていたとしても……警察に報告は当然入れるにしろ逮捕も断罪も業務外だと。
「……なら何をしに来たのよ」
その言葉をレムレスが笑った。
「言ったでしょう? 私はギルドの保険調査員だと。つまりですね、こう言いたいだけですよ。残念ながらここまで不審点があると――当然保険金をお渡しすることは難しい、とね」
「そう……残念ね」
「話は以上です。自首する事をオススメしますよ。今ならまだ間に合います」
レムレスは吸いきった煙草をカウンターの上にあった灰皿へと押しつけた。話は終わりだが……これで終わらないのもまた……ギルドの保険調査員という仕事の嫌なところだ。
「馬鹿ね……貴方達。人を平気で殺すような相手を前に――油断しすぎよ!」
サラが杖を素早く抜いて、それをレムレスへと向けた。
「ルーナ! 上だ!」
レムレスが上からの気配に鋭い声を出す。暗く見えない高い天井から――無数のスライムが降ってきていた。
「っ!! 先輩!!」
サラの杖の先から魔法陣が出現し、まるで弾丸のようにスライムがレムレスへと射出された。その動きは洗練されており、とても駆けだし冒険者には見えなかった。
「俺は非戦闘員でな! 任せたぞルーナ! 全部――ぶった斬れ」
レムレスがそう言って迫るスライムを躱しつつ、テーブルの上へと飛んだ。床にはどこから現れたのかスライムが何匹も蠢いていた。
この酒場自体が既にサラによって支配されていたのだ。
しかし怯まずルーナが一閃。
「馬鹿め! 不定形のスライムに斬撃も打撃も効かない!」
サラの声と同時に、ルーナから放たれた銀閃が頭上に迫る無数のスライムを――切り裂いた。
「なぜスライムが」
「〝無形斬〟参式……【逆流れ】」
更にルーナは銀色の髪をなびかせながら剣を翻し、サラがレムレスへと放ったスライムを斬り伏せた。その剣圧はスライムの存在ごと斬り、消滅させる。
「馬鹿な!!」
「ローズハルトの剣は無形にこそ真価を発揮する。相手が悪かったな」
レムレスの言葉と共に、ルーナが疾走。サラが杖を突き出すが――遅すぎた。
「終わりです!」
ルーナがサラの杖を斬り飛ばすと、そのまま剣の柄をサラの細い身体へと叩き込んだ。
「かはっ!!」
サラがそのまま身体をくの字に曲げ、床へと倒れた。主が気絶したせいか、召喚されていたスライム達が散っていく。
「……どうするつもりです?」
ルーナが剣を収めながらそうレムレスへと言葉を投げた。
「こうなると警察士に突き出すしかないだろう。なんせ襲われたんだからな」
「ですね」
その後すぐに警察士を呼び、サラは逮捕された。
こうして、A級案件であったダラスの保険金殺人事件は幕を閉じたのであった。