CASE1:その3
北部荒原の遺跡――遺跡名〝ナダラスの溺愛〟
そこは何とも砂っぽい遺跡だった。周囲が荒れ地に囲まれており、山から吹く風には砂が混じっている。
「報告書によると――ここだな」
そんな遺跡の内部。壁際に松明が並ぶ、暗い石造りの通路の中にレムレスの声が響く。その手には地図があり、現在地を確認した。
通路は大人が3人並んで歩ける程度の幅もあり、天井までは2mほどあった。狭すぎて動きにくいという印象はなかった。床は凹凸もなく、つまずくような何かがあるようには見えない。
何の理由もなく、ましてや熟練の剣士が、この場所で転ぶ事はまずないだろう。
「あ、見て下さい。そこ……」
ルーナが通路の壁際を見ると、そこの床には赤黒い沁みが出来ている。その周囲にもいくつか沁みがあるが、そこが1番目立った。
「そこだな。ああ、分かるよ。とても嫌な感じだ」
レムレスは少し震える手で煙草を取り出すと、火を付けた。落ち着け……ただ視るだけだ。
「先輩……?」
その様子を見てルーナが声を掛けるも、レムレスがそれを聞いているようには見えなかった。
「……ふう。ちと、力を使う。悪いが、万が一魔物が襲って来た場合は……守ってくれ」
その弱々しい声に、ルーナは最初それが自分へと向けられた言葉だと気付かなかった。
「へ? あ、はい! お任せを!!」
ルーナは笑みを浮かべてそう言うと、腰の剣を抜いた。
「良い剣だな。それに構えも良い。ま、俺は近接戦闘はさっぱりなんで、てきとうだが」
「むー、最後の言葉が余計です」
だがレムレスが見るに、ルーナとその手にある剣は、まるで一体となったかのような雰囲気を出している。自然体と言ってもいい。かなりの腕前である事がすぐに分かった。
「ローズハルト……と言えば【無形斬り】の大家だったな」
「ええ。幽霊だろうが、風だろうが水だろうが、何でもぶった切りますよ!」
「俺は斬らないでくれよ」
「善処します!」
「そこは確約しといてくれ」
ルーナと話していると、自然と肩の力が抜けている事に、レムレスは気付いていなかった。
「うっし。じゃあ始めるか」
そう言って、レムレスが咥えていた煙草をピンっと指で弾いた。その瞬間、レムレスは眼に魔力を集中させた。
その視線は――赤黒い沁みへと向けられていた。レムレスには既に見えていた。ここで、無残な死を遂げた――ダラスの残留思念が。
その思念が――レムレスの脳内に飛び込んで来る。
***
ザザザ……ノイズが視界に走る。白黒の世界はまるで砂嵐の最中かのように不鮮明だ。
自身とダラスの記憶が混濁する。ここは……あの通路の壁際だ。
「ダラス……***し辛いわ」
雑音混じりの甘い声が脳に響く。
これは……サラの声だ。いや……サラって誰だ。ああそうか……あの召喚士の娘の名だ。
俺の――恋人。愛すべき人。守るべき存在。
彼女は、孤児出身の俺を差別せず接してくれた。俺を好きだと言ってくれた。嬉しかった。
本当にクソみたいな人生だった。孤児院出身の俺達に、まともな道はなかった。ムーアのように落ちぶれて犯罪者まがいになるか、俺みたいに命を天秤に掛けて日銭を稼ぐ冒険者になるぐらいしか選択肢はなかった。
冒険者の才能があった俺は何とか、明日の食事を心配しなくていい暮らしを手に入れた。
だが、幸せに何ごともなく生きてきた奴らは、そんな俺を見下したような目で常に見つめているような気がした。
それがただのコンプレックスだと気付いたのは最近だった。そう気付かせてくれたのはサラだった。
全部、サラのおかげだった。
俺の人生はサラと出会ってようやく始まるのだ。
「キ*す*ならヘルムを脱が*いとな」
俺はヘルムを脱いだ。もっとサラを近くで感じていたかったからだ。
「どうせここはゴブリンしか出な**でしょ?」
「おい、イチャ**のは良いが、向こうからゴブリンが来てるぜ」
野太い男の声。友人のムーアだ。最近再会したのだが、昔の面影はあまりない。だが、臆病なのはあの頃と同じだ。だけど、時々サラと何かを話しているが気に食わない。
……俺に隠れて何を話しているのだろうか。
そんな事を思っていると、通路の先からゴブリンがこちらに向かってきていた。
「じゃあ、予定通*、俺が戦闘を引き*るから2人は無茶するなよ」
「私、スライムし*喚べないけど……」
「構わ*いよ。傷を癒*してくれる*けであ**たい」
サラはスライムしか召喚できない。だけどそれで良いのだ。これから少しずつ腕を磨いていけばいい。
「好*よ、ダラス」
記憶が混濁し、サラと初めて出会った時の事が蘇る。パーティメンバーを亡くし意気消沈していた俺を慰めてくれたサラ。
愛しいサラ。俺は彼女を一生守り抜くと誓った。
なのに――
「ア……ガッ!!」
「*うし*の? ゴ*リンが来*るよ」
サラの声が届く。しかしそれどころじゃない。
まるで、喉と肺に何か液体が満ちているような感覚。
ゴボゴボと液体が沸き立つような音が頭に響く。
苦しい。息が――出来ない。
目の前が真っ赤に染まっている。苦しい。苦しい。苦しい!! 咳をしようにも何かが喉を塞いでいる。思わず喉をかきむしろうと手から剣を離した。
「ダ*ス!」
ムーアの声が遠い。立っていられず、地面へと膝がついた。
「が……ぼ……あア……」
立たないと。ゴブリンの足音が迫っている。早く……立って……サラを守らな……
そこで――意識が途絶えた。
***
煙草が地面に落ちて火花を散らすと同時に、レムレスの視界が戻った。
「っ!! ハア!! ハア!!」
「レムレスさん!」
思わず膝を付き、喉をかきむしるレムレスを見て、ルーナが駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「はあ……はあ……大丈……夫だ……クソ……」
床に手をついたレムレスは、滝のような汗をかいており、それがポタポタと床に落ちて黒い沁みになっていく。
「クソ……やっぱり……【死視】の副作用が前よりも強くなってやがる」
悪態をつきながら、レムレスが立ち上がった。
レムレスは死霊術士の中でも特異体質の者のみが使える【死視】という技能を身に付けていた。
それは簡単に言えば、残留思念の追体験だ。人がその死に強い未練を持っていると残るとされる残留思念。それを見て、その持ち主の死に際を体験出来るのだ。ただし、その残留思念は時間が経つほどに不鮮明になっていく。レムレスが先ほど体験した物はまだマシな方だろう。
だがその【死視】には副作用があった。そのあまりにリアル過ぎる追体験は、使用者をそちら側へと引っ張ってしまう力がある。レムレスが知っている限り、この【死視】を使い続けた者達のほとんどが最後には死に魅入られてしまい――そして廃人となった。
「何が……視えたんですか」
「……ありえん」
「え?」
「ありえん。どういうことだ」
レムレスは自分が体験した事が信じられなかった。レムレスは、ないと分かりつつも周囲の壁や天井を入念に調べていく。持ってきた検査機を使うも、この通路に魔術を行使した際に必ず残るはずの魔力反応がなかった。つまり、この場で何が起こったにせよ、それは魔術によるものではないと断言できる。
「どうしたんですか!?」
「ない……ないに決まっている。だからそもそもおかしいんだ」
「何がないんですか!」
ルーナの声に、レムレスがようやく答えた。
「死因が何となくだが予想がついた。確かにダラスはゴブリンにやられる前に攻撃を受けていた。何がないかって?……水だよ。水がないんだよ」
「水!?」
レムレスが煙草をもう1本取り出すと、それに火を付けた。
紫煙が揺れ、一息つくとレムレスがこう言ったのだった。
「まだ確定ではないが……おそらくダラスはこの乾ききった遺跡の、カラカラに干上がったこの通路の上で――溺死した」