CASE1:その2
安置所の入口で手続きを済ませると、レムレスとルーナは入る前に清浄魔術を念入りに掛けられた。
「うへえ……髪の毛がベトベト……なんで清浄魔術掛けた上でさらに消毒スプレーぶっかけてくるんですか……」
ルーナがブツブツ文句言いながら、銀髪の先から滴り落ちる消毒液を恨みがましい目で見つめていた。
「我慢しろ……あとほれ、これ着ておけ」
そう言って、レムレスが肩にかけていたコートをルーナへと投げる。
「へ? なんで?」
キャッチしたルーナがキョトンとした表情を浮かべるがレムレスは答えず乳白色の廊下を突き進む。
「すぐに分かる」
【第12解剖室】と書かれたプレート――なぜかドクロマークのシールが無数に貼ってある――が上に掲げてあった扉をレムレスが開けた。ルーナは、微かなアンモニア臭とアルコールの匂い、そして確かな死臭を感じた。
その解剖室の中はまだ春先だというのに、冷房が掛かっていた。部屋の中央には解剖台があり、頭を布で覆われた男の死体が安置されていた。
四方の壁には、ホワイトボードや埋め込み式の死体保管庫、冷蔵庫などが置いてある。
そしてホワイトボードの前には、白衣を着た妙齢の美女が立っていた。腰まで届く黒髪を後頭部でアップしており、小さな顔には眼鏡を掛けていて、知的な印象を見る者に与えた。細身のわりに白衣の胸の部分が大きく盛り上がっていて、タイトスカートからは黒いタイツを履いた長い脚が伸びていた。
「ユリカ、案件〝26A〟についてだ」
レムレスの言葉に、白衣の美女――ユリカが顔をしかめた。
「嘘でも良いから少しは愛想を振りまいたらどうだレムレス。相変わらず死体みたいな綺麗な顔をしやがって。もはや死体同然だろうし、そろそろ解剖させろ。大丈夫、私は腕が良いから、痛くはあんまりないよ? 死ぬけど」
「それこそ死んでも嫌だね。遺書に、間違ってもユリカに解剖させるなと書いておかないとな」
そんな2人の軽口の応酬を見て、ルーナが震えながら白い吐息を吐きながら声を上げた。
「いや、寒すぎですって!! なんでこんなに冷やしているんですかこの部屋!」
レムレスのコートを羽織って、ルーナはようやくなぜ彼がコートを貸してくれたかを知った。
「なんだこの美味そ……じゃない若そうな女は」
ユリカが目を細めてルーナを見つめる。
「若そうじゃなくて、若いんです! 私は今日付で保険調査部に配属されましたルーナ・メリ――」
「生者に興味はないが、君、外見よりは中身のが綺麗そうだな。どう? 解剖されてみない? 今なら体験コースあるよ。ちょっと腎臓を取り出すだけだから。痛くしないよ……ほらメスの先っぽだけだから、ね?」
ルーナは言葉の途中で、突如目の前にやってきたユリカに腹部を撫でられた。彼女は悲鳴を上げながらレムレスの背後へと隠れる。
「ぎゃああ!! なんなんですかこの人!!」
背中に隠れて顔だけ出しながら叫ぶルーナに、メスを片手に這い寄るユリカを見て、レムレスが溜息をついた。
「ユリカ、うちの新人を虐めるのはほどほどにしとけ。ルーナ、こいつは変人で中身も最悪だが、検死官としての腕は超一流だ。我慢して付き合え」
「無理です!」
「ふふふ……ルーナちゃん私には見えるよ……君のプリプリの小腸ちゃんと大腸ちゃんが……」
よだれを垂らすユリカの頭をレムレスはファイルではたいた。
「さっさと案件26Aについて説明しろ。お前だろ、A級認定したのは」
「うむ。まあ説明した方が早いな」
ユリカが真顔に戻ると、中央の解剖台に歩み寄った。
「検体0034726――名前はダラス・バーグ、身長182cm、体重85キロ、享年27歳。典型的な冒険者で、主な役割は前衛で使用武器は魔導大剣、つまりは剣士だな。冒険者のランクはB。熟練者といったところか。家族はおらず、同じパーティ内の召喚士と恋仲だったようだ。ちなみに死亡時のパーティメンバーは彼と、彼の恋人でありFランクの召喚士の娘、それにEランク盗賊の3人だ」
ユリカが説明しながら、レムレスが頷く。
ファイルに書いてあったパーティメンバーのデータを思い出す。
まず、Fランクの召喚士。保険金の受取人であり、ダラスの恋人だ。ギルドの記録によると、最近冒険者を始めたばかりの駆け出しであり、実力はほぼないに等しい。召喚できる魔物はせいぜいスライム程度だろう。恋人が死んだということで、ここ最近は酒場に入り浸って現実逃避しているらしい。
次に、Eランクの盗賊。こいつはダラスと同じ孤児院出身で、友人同士のようだ。ランクの低さを見るに、戦力というよりは斥候、そして罠解除要員の可能性が高い。ギルドの調査に対し非協力的で、なぜか怒っているような態度だったという。
ここまでは良い。よくある話だ。
問題があるとすれば――
レムレスが口を開いた。
「それで……死因は?」
「パーティメンバーによる報告だと、北部荒原の遺跡内でゴブリンに襲われて、ダラスは頭部に一撃を受けて死亡。撲殺されたってところか」
「北部荒原の遺跡? あんなところはとっくに廃棄されているはずだぞ」
レムレスの記憶によれば、あの遺跡は発見されてからもうかなりの年数が経っている。中には、もう魔物以外何も残っていないだろう。
「私の予想だが、駆け出し冒険者である召喚士の娘の練習の為……って感じだろう。あの遺跡なら、弱い魔物しかいないし、何より他の冒険者もいない。いらぬトラブルを避けるため、と言ったところか」
「……それでゴブリンにやられていたら世話がないな」
「そうとも。そしてご丁寧にダラスにトドメを刺したゴブリンの死体とそいつが使った棍棒も持って帰ってきたそうだ。まあ見てみるといい」
そういって、ユリカが死体の頭に被せていた布を取り払った。その下には、ほぼ原形を留めていないダラスの頭部があった。
「……惨いですね」
それを見た、ルーナが目を逸らさず、そうポツリと呟いた。
「ああ……そうだな。それでユリカ、お前の見解は?」
「まあ、見てくれ」
そう言って、ユリカは横の台にあった血塗れの棍棒を手に持つとそれを死体の頭部に当てた。すると、陥没した頭蓋骨に棍棒がピタリと嵌まった。
「この棍棒が凶器であるのは間違いない。何度も殴打されているが、この棍棒以外が使われている感じはないな。さらに付着していたゴブリンの指紋や生体反応からして、この棍棒はゴブリンが長期間所持していた物と判明している。ゴブリンから棍棒を奪った何者かが、殴ったという線も薄いだろうね」
「つまり……パーティメンバーの報告通りということだな」
「まあね。あらゆる検査もしたし、内臓も全て検分したが、特異点は特に見当たらないし、毒物薬物、魔術反応もゼロ。とにかく、頭部以外に傷も異常も一切ない」
そう言って、ユリカは頭部に再び布を被せた。
それを見て、ルーナが口を開いた。
「……ゴブリンに殺されたのであれば、間違いなく保険適用内ですよね? おかしいところは何もない気がするのですが……」
ルーナの言葉はもっともだ。
ゴブリンは個体として決して強い魔物ではないが、群れとなると中堅冒険者でも手こずる相手であり、生息域が広く繁殖力も高いせいで、大陸全土でその被害が報告されている。
これまでにゴブリンに殺された人間を積み上げるだけで月まで届きそうなほどだ。
なので、冒険者がゴブリンに殺されたというだけなら――当然A級案件にはならない。もちろん、レムレスもそれは百も承知だった。
「ルーナちゃんは剣を持っているが、冒険者の経験は?」
ユリカがルーナの腰の剣に視線をやった。
「へ? いや、うちは家が武官の家系なので剣術や武術は幼い頃から嗜んでいますけど、冒険者はやったことないです」
「ふむ……1度冒険者業は経験しておくべきだね。そうだろ元Sランク冒険者のレムレス君」
そう言って、にやにやしながらユリカがレムレスを見つめた。レムレスは小さく舌打ちする。
「ちっ……これ見よがしにバラしやがって」
「え……Sランク!? レムレスさんが!?」
ルーナが驚きの声を上げた。Sランク冒険者と言えば、この大陸全土でも100人にも満たない数しかいない、冒険者の頂点だ。そこまで昇りきってしまえば、将来安泰とまで言われる地位であり、そんな人間が冒険者ギルドの保険調査部なんかで働いているのが信じられなかった。
「あー、うるせえ。こういう反応されるから言うのが嫌なんだよ」
「ええ!? いやなんでこんな仕事しているんですか!? 趣味!?」
「なわけあるか! 話を戻すぞ」
そう言ってレムレスが仕切り直す。
「良いかルーナ。ここまでのデータを良く思い出せ。そうしたら、この死体の異常性が見えてくる」
「うーん……。特に変な点はありませんでしたけど」
「ヒントをやろう。ゴブリンの身長は大きくても90cm程度だ。それに対して、ダラスは182cmもある」
ユリカが無言でホワイトボードに下手くそなイラストを描いていく。ルーナが推測するにそれは、剣をもった人間と、その半分ぐらいの大きさの棍棒をもった子供だろうか。
横に、182と90という数字が書かれてようやくそれがダラスとゴブリンの絵だという事が分かった。
「倍ぐらい違いますね」
「そうだ。さて、ルーナ。お前がゴブリンだったとしよう。どうやって頭部に棍棒を当てる?」
「あっ! そうか……どう頑張っても届かないですね。棍棒も長さは精々30cm程度でしょうし」
「その通り。ゴブリンは当然、人間を襲う時にいきなり頭を狙うなんてことはしない。奴らはな、まず足を狙うんだ。そうして相手の足を斬るなり骨を折るなりして、相手を地面へと引きずり倒し、ようやく胸や頭を狙う」
「なるほど……」
「そして当然、冒険者もそれが分かっている。だから足を守る為に脚甲を装備する。ユリカ、ダラスの装備は?」
「脚甲、腕甲、胸甲……全て装備した状態だったよ。ヘルムだけは所持していたにも関わらずなぜか被っていなかったがね。Bランク冒険者だ、まあそれぐらいの装備は当たり前だろう。しかも装備品に真新しい傷はなかった。間違いなく装備は機能していたと断言できるね」
ホワイトボードのイラストに鎧が付け足されていく。
「さて。ルーナ。お前がゴブリンだとして、足下の防御を固めた熟練の剣士を、あの死体の状態にするにはどうしたら良いと思う? 良いか、頭部以外に外傷は一切ないんだ」
「えーっと……足を負傷させて倒すのが無理であれば……よじ登って殴る?」
「仲間が2人いるBランク剣士の身体をよじ登るのは不可能だろう」
「あっ! スライムって確かポーションの材料になるぐらいだから、治癒効果がありますよね? 実は外傷が別にあって、それをスライムで治したから、一見すると跡がないとか!」
「スライムによって傷を治した……という線は俺も考えた。確かに、スライムによる治癒であれば痕跡も反応も残らない。だが、スライムによる治癒効果にそこまでの即効性もない。かといって回復魔術を使ったら使ったで反応が残ってしまう」
「んー。じゃあ毒とか薬物とか魔術で拘束したとか」
ルーナはそう言うが、ユリカが〝毒物など〟とホワイトボードに書いて、赤いペンで大きくバツを付けた。
「ゴブリンにそんな高等な事はできないし、あの遺跡にはそんな厄介な状態異常を掛けてくる魔物はいない――人間を除けば……な」
「というか私の話を聞いていないだろルーナちゃん。毒物も薬物もついでに魔術の反応も一切なかった。そう言った物で拘束なり昏睡状態にしたとすれば、その反応は残っているはずだ」
魔術とて、結局起きるのは物理現象に近い物だ。しかし使えば必ず何かしらの痕跡が残る。例えば、魔力で作った火で火傷した場合、火傷だけではなく魔術反応も残るのだ。だから、ただの火傷なのか、それとも魔術による火傷なのかは検査すればすぐに分かる。
「じゃあ、他の冒険者が襲ってきたとか!」
「パーティメンバーの報告はゴブリンに襲われたとなっているが?」
ホワイトボードに書かれた、冒険者という文字に赤くバツが付けられる。
「……おかしいですね。それじゃあまるでこの人が、自ら頭をゴブリンに差し出したみたいじゃないですか」
「そうだな。それだけでも十分おかしいが。それをパーティメンバーが黙って見過ごすと思うか?」
「しませんね……」
ルーナがウンウン唸りながら考えるが、良い考えは浮かばないようだ。
ユリカがホワイトボードの下に大きく〝死因――?〟と書き、ペンに蓋をすると、レムレスとルーナへと向き直った。
「状況を整理してみようか。場所は、遺跡内。この3人が転移装置を使った記録が残っているし、ここは疑いようのない事実だ。更に、その時間帯の前後に他の冒険者がその遺跡に転移した記録もない。遺跡内は彼らだけだったと仮定して問題ないだろう」
その事実をユリカがホワイトボードに書き込んでいく。
「そして死因は……ゴブリンによる頭部への一撃、とひとまず仮定する。そしてパーティメンバーの証言によると、彼らは別行動を取っておらず、生き残った2人はその場にいて、その瞬間を目撃している。この時点で、他殺でも自殺でもない、魔物起因の死亡事故と判断する。だが、不審点がいくつもある」
ユリカがそれをホワイトボードに書き込んでいく。
出来上がったホワイトボードには、こう書かれていた。
***
【案件26A】
場所:北部荒原の遺跡内――他の冒険者の関与は無しと仮定
死因:ゴブリンによる頭部への殴打?
不審点:頭部以外に外傷及び、毒物薬物魔術の反応なし。持病もなく、身体の内部も健康そのものだった。つまり、全く外的内的要因が無いと思われる状態で、熟練の剣士がどういった過程を経てゴブリンに殺されたのか
***
「ダラスがゴブリンに襲われたのは確かだ。だが、それはおそらく――死んだ、もしく死ぬ直前だったと私は推測する。直接の原因はゴブリンかもしれないが、そうなるまでの仮定に怪しい点がありすぎる」
「残念ながら、A級も納得だ」
レムレスはそう言って、ファイルを閉じた。
「自殺にしては、場所もやり方も妙だ。他殺であったとしても、それが魔物による事故でなければ当然ギルドの保険金はおりない。となると保険金目当ての、パーティメンバーによる死亡事故に見せかけた殺人の線が濃厚だ」
「……でも、どうやって。魔術も毒物も使わずに、Bランクの剣士を殺せるのでしょうか。たまたまこの人が転んで、頭を打って気絶、そこにゴブリンが棍棒を叩き込んだ……そうとしか思えません」
「その可能性も否定はできない。ただ、Bランクの剣士がゴブリンを相手する時にそんなミスをするとは思えないな。ゴブリンが何か転ばせる物を所持していた、もしくはや罠……例えばワイヤーを張っていたとかなら分かるが、調査報告書によると、その可能性はほぼないとの事だ。罠があれば通路に何かしらの痕跡が残るだろうしな」
レムレスとルーナのやり取りを見て、ユリカが疲れたとばかりに椅子に座った。
「ま、そういうわけで、A級案件だと認定してレムレス、君に投げたわけだ。この検体の真の死因そして死亡状況は――超一流の死霊術士である君にしか解明出来ないだろうさ」
「やれやれだな……それに力はもうほとんど失った。意味のない肩書きだ」
「え!? 先輩、死霊術士なんですか!? めっちゃレアじゃないですか!」
「あー、うるせえ。ほら行くぞ」
「行くってどこへ?」
「現場だよ」