CASE2:その4
ラクレスに夜の帳が降り、より一層賑わいを増していた。
ナイトバザールの一角にある屋台。そこでレムレスとルーナは仮設のテーブル席に座っていた。レムレスは煙草を吸いながら、この地方の地酒である度数の高い無色透明の液体――ライラ酒をチビチビ飲んでいる。
「んー! これ美味しい!」
ルーナはこの街の名物である、バルミィと呼ばれる麺料理を食べていた。野菜と肉を濃い味付けで炒め、麺で絡めたシンプルな料理だが、暑いこの街の気候と生ぬるいビールに、それはよく合っていた。
「このサボテンの酢漬けも中々だな」
「ビールに最高!」
ルーナが上機嫌で目の前の料理を平らげ、ビールを飲み干し、おかわりを頼んでいた。レムレスは前々から思っていたが、ルーナは見た目のわりによく食べるし、何より酒豪だった。彼自身も良く飲む方ではあるが、ルーナはそれ以上であり、酔ったところも見た事がなかった。
「そういえば、先輩。アダムさんが自殺じゃないかもしれないって事はなんとなく分かりましたけど……。それでもあの状況を覆せるほどでしょうか」
「ルーナ、あの現場には残留思念がなかった。おかしいと思わないか?」
「もう五日も経ったので消えたとか?」
「いや、死者の想いはそう簡単には消えない。もちろん薄くなったり、不鮮明になったりするが……消えることはほぼないんだ。だから、まだ五日しか経っていないのに、あの現場にアダムのらしき残留思念がない時点で、こう考えるしかない――彼は別の場所で死んだ、とね」
店員が持ってきたお代わりのビールに口を付けながら、ルーナが眉間に皺を寄せた。
「どういうことですか? だって飛び降りたのは事実ですよ。何人もの人が見ていますし。そして飛び降りた後の様子はどう考えても即死です。あの場で死んだ以外の余地はないと思いますが」
「まあ、普通はそうだろうな。アダムは塔の裏口を壊し階段を昇り、そして飛び降りた。これはまごうことなき事実だ。故に、飛び降りた時点ではまだアダムは生きていた――と考えるのが常識的だ」
「まるで、そうじゃないみたいな物言いですね」
「お前の目の前には誰がいる」
「レムレスさん?」
周囲を見渡したあとに、ルーナを首を傾げながらそう言った。
「そう。じゃあ俺はなんだ」
「保険調査員。ちょっとイジワルな先輩」
「違う……そこじゃない。肩書き、というか何というか」
「えっと……元冒険者で死霊術士……あっ!」
ルーナが目を見開き、手を口に当てた。
「そっか! 予めアダムをどこかで殺害し、その死体を死霊術で操って塔へと侵入させ、飛び降りをさせる。そうすれば自殺に見せかけられます! だから、残留思念がなかった。だから、アダムさんの自殺する動機が分からなかった。だって自殺ではなく他殺だったから! そういうことですね!?」
ルーナが興奮気味にビールの入ったジョッキを揺らした。
「正解だ。そしてそれが出来るのは……タロスだけだ。なぜならそれ以外の者の魔力反応がなかったからな。普段から付与魔術を掛けていたタロスだからこそ出来る偽装だ」
「じゃあタロスさんが犯人ってことですね! エヴァさんは正しかった!」
だが、レムレスは浮かない顔をしていた。
「この推論には、二つの確認すべき事項がある。その一つが、死亡推定時刻だ」
「死亡推定時刻……ですか?」
「ああ。それが気になったんだ。」
「ああ…そっか。事前に殺害して死霊術で操った場合は――」
レムレスが頷きながら口を開いた。
「死亡推定時刻がズレる。更に、この街は気温が高い。腐敗は急激に進むはずだ。資料には、〝目撃情報と検死官の見解により、16時30分頃と断定〟としか書いていない」
「あっ! だからレムレスさんさっき、ユリカさんに連絡を取ったんですね!」
ルーナは、食事前にレムレスがこの街のギルド支所に行って、魔力通信機を使って本部に連絡を取っていたのを知っていた。
「ああ。アダムの検死結果については、大体の情報は得られた」
レムレスは、ユリカとのやり取りを思い出す
***
『ん? 珍しいな、君が魔力通信機を使ってまで私とお喋りしたいなんて。そうだ、さっき解剖した子の内臓のヒダについて少し語りたいん――』
『〝案件56Z〟についてだ。すぐに検死結果を確認してくれ』
『全く……相変わらずつまらない男だ。ファイルを確認するからちょっと待ってくれ……ええっとどれどれ……ああ、これか。私の担当ではないが……まあ報告書を見れば大体分かる』
『死亡推定時刻についてどう書いてある』
『ふむ……報告書によると、死亡推定時刻は16時30分前後。検体の腐敗度からの推測と、目撃証言が合致しているので、ほぼほぼ間違いないだろうね』
『肉体の腐敗度は本当にその死亡推定時刻と合っているか? 例えば――妙に腐敗が進んでいたとか、そういう見解はないか?』
『ラクレスの熱帯気候であれば、腐敗は確かに早く進むだろうが……数値を見る限り、大幅なズレはなさそうだな。どんなにズレても、十分前後だろうさ』
『そうか……』
『推論が外れた。そんな声だね』
『ああ。だが、助かった』
『じゃあ今度お礼に解剖さ――』
***
レムレスが煙草をゆっくりと吸って、煙を吐いた。
「だが……検死結果によると、死亡推定時刻は飛び降りた時刻とほぼ合致しておりズレてもせいぜい十分程度、だそうだ」
これで、また真実から少し遠のいてしまった。
「んー、例えば冷却魔術で新鮮に保っていたとか? で、あれば腐敗を抑える事が出来るのでは」
「ところが、厄介なことにタロスには……アリバイがある」
レムレスが資料をルーナへと渡した。
「……ああ。〝タロスとアダムは14時にラクレスと転送。その後、タロスはアダムとは別行動を取り、15時にエヴァと合流――その後は事件発生時までは共に行動していた〟、と書いてありますね」
そう。アダムとタロスは間違いなく転送装置を使って、14時にこの街に来ていた。そしてその後、別行動をしているのが聞き込み調査で分かっていた。タロスは15時にエヴァと合流し、初めてこの街に来たというエヴァの為に観光案内をしていたそうだ。そしてアダムと待ち合わせしていた16時30分つまり彼が飛び降りたその時間までずっと一緒にいたという。
「仮にタロスが犯人だとすると……14時から15時の間に殺害し死霊術を掛け、腐敗が進まないように冷却魔術を掛けるところまででは可能だろう。だが、その後はどうする? ずっとエヴァと一緒だったんだぞ」
「――なんかこう、遠くから操ってですね!」
「無理だよ。死霊術、特に今回の犯行に使えると思われる死体操作魔術である【コープスコントロール】の効果範囲は他の魔術と同じ、術者から大体半径20m以内だ。そこから離れると、ただの死体に戻ってしまう。冷却魔術だってそう。掛け続けるには術者が近くにいるか、もしくは他の魔力媒体が必要となる。冷蔵庫だって魔力源がないと動かないだろ? それと一緒だ」
情報を何とか整理しようとルーナが思考する。
アダムの死体を腐敗させない為には、冷却魔術なりなんなりを掛けるしかない。しかしその為にずっと近くにいなければならず、この街の観光案内をしていたタロスには不可能ということになる。
「うーん。やっぱり無理そうですね」
「いや、俺も考えてみたが、実は一応やれないことはないんだ。良いか、やり方はこうだ――まず、この街のどこかに隠れ家を借りて、そこに成人男性が入れるほどの冷蔵庫を用意する。14時から15時の間にタロスはアダムを殺害し、その死体を冷蔵庫へと入れておく。その後、エヴァと合流、観光をしつつ16時30分前に観光を装って隠れ家に近付く。そしてエヴァさんにバレないように【コープスコントロール】を遠隔でアダムの死体に掛けて操ると、塔へと移動させる。当然、魔術の効果範囲内からアダムが出ないようにつかず離れずでタロス達も移動する。そして、タロス達は16時30分に塔の真下へと移動。同時にアダムを塔へと登らせ、飛び降りをさせる」
それがレムレスが思考の末に辿り着いた推論だった。だが、当然これが答えであれば、こんなところでのんびり酒を飲んでいるわけがない。
「……それだと可能ですね」
「一見すると……そうだが、この推論には致命的な穴がある。まず、あまりに賭けになっている部分が多い。特に、アダムの死体を塔へと移動させる時だ。もしアダムの様子を不審に思った誰かが彼に声を掛けたら? もしくは何かの拍子で魔術の範囲外に出てしまったら? 問題点は山のようにある。だが、これはまあいい。偶然上手くいった、と無理矢理納得しても良い。だがな……ルーナ。忘れてないか。肝心なところがクリア出来ていない」
「肝心なところ?」
「アダムが飛び降りた塔は――高さ32mだ」
レムレスが溜息と共に煙を吐いた。
「ああ……。どうあがいても……魔術の範囲外になってしまいますね」
「タロスがエヴァの側にいた事実は覆せない。だから、結局さっきの推論は破綻してしまうんだ」
「振り出しに戻りましたね……」
ルーナが肩を落とした。
「それだけじゃない。そもそも、死霊術は自分で言うのも何だが、かなり高度な魔術なんだ。だから、使い手も少ない上に、使用する場合は必ず警察の許可が必要となる」
「え? そうなんですか!?」
「ああ。勿論俺も許可を取っているぞ。死体や死霊を操る、というのは中々センシティブなところでな。色々と制約があるんだ。だから、死霊術士についてのデータはかなり厳重に調査され、日々更新されている。つまり、何が言いたいかと言うと、タロスが実は死霊術士だった、という前提条件自体が実はかなり怪しい。もしタロスが死霊術の使用許可を取っているのなら当然、警察もギルドも把握しているはずだ。だが、報告書にはそんな記述は一切ない」
レムレスも、今はギルド側の立場だからこそ許されているが、本来死霊術の使用はかなりの制限がかけられている。昔はよくそれでギルドや警察と揉めたことをレムレスは今でも覚えている。
「んー、じゃあ許可を取らなかった、闇医者ならぬ闇死霊術士だったとか」
「だとすれば……過去の経歴も全て白紙にして調査し直すしかない。何度も言うが死霊術は、習ったから、覚えたからといってすぐに使える魔術じゃないんだ。しかも死体を遠隔で操るなんてそんな高度な事ができるのは死霊術士の中でも一握りしかいない。これまでに死霊術士であることを隠しつつ死霊術の研鑽をし、更に付与術士として冒険者をしていたのなら……それはもう化物だよ」
レムレスがお手上げとばかりに両手を挙げた。
「んー。タロスさんが死霊術士説は、難しいというところですね」
「悪くない推理だと思ったが……かなりのこじつけであることは否めない」
「んー。となるとやはり話が戻って来ますね。アダムさんは――いつ死んだのか」
「残留思念がないから、あの場では死んでいない。という結論を見直すべきかもしれないが……どうも俺はそこじゃないような気がする」
「んー。予め殺害して、死体のまま飛び降りをさせるというは悪くない推理だと思うのですけど」
ルーナがビールを飲みきると、今度はレムレスと同じライラ酒を注文する。
「死霊術を使った場合は効果範囲の問題があり、それ以外の場合はそもそも死体をそこまで動かすのが不可能と来ている。残留思念があれば、話が早かったんだが」
「うーん」
ルーナは唸るも答えが出ない。もう少しで掴めそうな真実が崩れて、まるで砂のように手のひらからサラサラと流れ落ちていくような感覚だった。
ルーナは店員が持ってきたライラ酒に口を付けた、強い酒精と薬草のような香りがクセになる味だった。
「凄い味ですね……これ。嫌いじゃないですけど」
「ライラ酒と言ってな。元々は死者を蘇らせる薬だったとか。そうそう、これが俺の言っていたブクレシュ発祥の酒だよ。この街はブクレシュの商人達によって拓かれた街道の宿場町が元だからな。だから遠い異国の酒がここで定着したのだろう」
「レムレスさんは物知りですねえ……」
ルーナが勉強しないとなあ……と考えながらライラ酒を飲んだ。言われてみれば強い酒精があの陰鬱なブクレシュの街並を想起させる。
そしてそこでふと、とある考えが脳裏をよぎったのだった。
「あっ……」
「どうしたルーナ」
「私、分かったかもしれません」
ルーナがどこか遠くを見つめている様子を、レムレスが訝しんだ。
「あん? 酔ってきたのか?」
「違いますよ! でも、多分……いけると思います。死亡推定時刻も塔の高さの問題もクリアする方法を思い付きました」
ルーナが自分でも信じられないといった表情を浮かべた。
「……聞かせろ」
そこで、ルーナから語られた説明を聞いて、レムレスが頷いた。
「穴は沢山あるが……悪くない。悪くないぞルーナ。お手柄だ」
「えへへ……」
「良し、行くぞ」
「はい!」
二人が立ち上がると、会計を済ませ、ナイトバザールを後にしたのだった。
トリックは分かったでしょうか?




