課金前提の恋愛ゲームのために彼女をつくりました
「かれんちゃん、今日はありがとう」
「ううん。こちらこそありがとう。買い物に付き合ってもらっちゃって。しかも、ゴハンまでご馳走してもらっちゃって」
「かれんちゃんの気に入ったものが買えてよかったよ」
「今度、ちゃんとお返ししたいなって思うんだけどぉ……クリスマスイブ、暇してる、かな……な、なぁんてね、あはは、ごめん忘れて。タカシクンなら、もう予定が入っちゃってるよね? ね、忘れて、お願い」
携帯の中にいる彼女、かれんは両手をあわせて拝むようにしながら、ウインクしてきた。きらきらの金髪をふわふわ揺らし、アーモンドのようなぱっちりとした目を潤ませながら不安そうに見つめてくる。
そこで選択肢が出現する。
『わかった。忘れるよ』 0ゴールド。
『忘れたりしないよ。クリスマスはかれんちゃんと過ごしたい』 0ゴールド。
『ごめん、お金ないんだ』 0ゴールド。
『別の彼女と過ごすから』 1000000ゴールド
選ぶまでもない。俺には二番目の選択肢しか見えなかった。たとえこれが有料であったとしても、俺は二番目を選ぶね。
「本当に? 本当にいいの? 夢みたい! タカシクンと一緒にイブを過ごせるなんて!」
かれんは本当に嬉しそうだった。その表情を見て、俺の口元も緩んでしまう。
「イブの日には、いきたいところある?」
んーとね、と言って顎に拳を当て、考え込むような仕草をしてから、かれんは元気に言った。
「タカシクンと一緒なら、どこでもいいよ!」
『コンサート&ディナー&高級ホテル宿泊』 20000ゴールド
『ホテル宿泊』 10000ゴールド
『ショッピング&ディナー』 800000ゴールド
『海を見に行く』 100ゴールド
『散歩』 0ゴールド
なんとまあ『ショッピング&ディナー』の桁数がおかしいけれど、このゲームのクリスマスイベントを楽しめるのは、年に一度なのだ。奮発して80万ゴールドをつぎ込めば、彼女との最高の思い出イベントを経験できるかもしれない。
でも……『宿泊』。その響きにも激しい魅力を感じる。
迷う、迷うぞ。
なにせ1円は10ゴールドだから、現実の金銭に換算すると、ざっと8万円(税抜)である。
これは大変な金額だ。だけどやっぱり興味がある。八万円を課金してショッピングに行ったら、一体俺たちの関係に何が起きるというのか。
迷った末に、俺は選んだ。ご宿泊のない80万ゴールドを。
「イブの日、楽しみにしてるね」
ッはー、あざとい。その笑顔、あざとい。
さて、この続きは現実のクリスマスイブにならないと開放されない。支払った課金額に応じて、デートイベントの中身が変わるのだ。
俺は一旦ゲームを閉じ、スマホに充電プラグを差し込んだ。
★
高校を卒業するまで、恋愛ゲームをプレイしたことがなかった。
ゲームでの恋愛なんざ、重度のオタクがやるものだと思っていた。
アイドルにハマるのは、まだ理解できる。でも、画面の中から出てくることのない絵画に情熱を燃やすなど、絶対にありえないという偏見を持っていた。
そう、偏見だったんだ。
俺は恋愛ゲームの楽しさを知らず、もったいないことに敬遠し続け、やる前から非難していた。
そんな昔の俺は間違っていた。恋愛ゲームって、こんなにも素晴らしいものなんだ。タイムマシンで過去に行けるとしたら、俺は昔の自分に会いに行って、恋愛ゲームのすばらしさを布教したいくらいだ。
今日はちょうどクリスマスイブだから、サンタクロースでもやってきて、俺にタイムマシンでもプレゼントしてくれまいか。
まあでも、サンタクロースなんてのは、よいこのところにしか来ないというからな、俺のような悪い人間が伝説の白ひげトナカイライダーを召喚してしまうのは、間違っているかもしれん。
そもそも、サンタクロースに会えたら嬉しい……なんてのは、子供っぽい世界の話でさ、俺とかれんが過ごすクリスマスは、もうオトナの楽しみ方になってくる。
今日は、かれんのためにバイトを休んだ。というか、数日前にやめてやった。
イブに勤務の予定が無かったのに、イブに出勤しろと命令されたから、断ったんだ。彼女と過ごすからって正直に告げて。はっきりと。そしたら、クリスマスが一番忙しいのに、非常識だ。もっと前から連絡しているならまだしも、直前になって「来れません」は有り得ない。とか言ってきた。
直前になって頼んできといて、なんて言い草だ、それならそうと、もっと早く言ってこいや、と心の中で言ってやったよ。
明日から来なくていい。どういう親に育てられたんだ。そんな風に暴言を吐かれたので、パワハラなのでやめさせてくださいと頭を下げた。
お前の彼女なんてのも、どうせろくでもない女なんだろう。
そう言ってきた店長の顔面をマジで殴りたくなったけど、きっと、かれんも俺の暴力を喜ばないだろうからな。ぐっと我慢してスイマセンって言ったよ。
大丈夫、どうせずっと前からやめたいと思ってたんだ。
さあ、嫌な気持ちになる事件は忘れよう。今日はかれんと二人きりのクリスマスなんだから。
「かれんちゃん、君にあえてよかった」
「あたしもだよ、タカシクン」
「今日は、君にプレゼントがあるんだ」
「えっ、なにかな、なにかな……。わぁすごい。なんか高そうな箱~」
「あけてみて」
「わぁ! すっご~い」
「つけてみて、サイズは合っているかな」
かれんは迷わず薬指に装着してくれた。
「きれ~い。大事にするね!」
「ああ」
返事をしながら、俺もリングを装着した。自作したわけではなく、これは昨日のうちにゲーム運営会社からこのアパートに届いていたのだ。『かれんにプレゼントを渡したら、すぐに装着してください。』というメッセージとともに、高そうな宝石箱に入った輝く銀の指輪を受け取った。
ゲーム開始時に、身長や体重などとともに指のサイズも登録するので、こうした現実に侵食してくる演出も可能なのである。
かれんとのペアリングには特別な優越感がある。なぜなら、このアイテムに限っては、無課金ユーザーが絶対に手に入れられないものだからだ。
たった80万ゴールドで、彼女との強い絆を手に入れられるんだ。もはや安いものだ。
俺は指輪は装着してイブをともに過ごす。
「お揃いだね、タカシ」
初めて呼び捨てで呼ばれた。これまでは、よそよそしく「タカシクン」としか呼んでくれなかったのに。
これが80万ゴールドの効果だというのか。感動だ。払って良かった。だってもう、こんなの結婚みたいなものじゃあないか。
これはもう、あれだ、かれんは俺のものだ。他のプレイヤーの皆さんには申し訳ないけど、かれんは俺の嫁になった。おれも彼女を「かれん」と呼ぶことにしよう。
「どうしたの? タカシ。顔が赤いけど、風邪? もう帰る?」
帰るわけないだろう。かれん。
「なぁんてね。まだまだ一緒にいたいよね?」
もちろんだ。かれん。
「じゃあさ……あたしの家、来る?」
なるほど、彼女の家に行く、か。これがあるから一番高かったのか。
『行く』 500000ゴールド
『行かない』 200ゴールド
『電車賃がないんだ』 0ゴールド
『ラーメン食いに行こう』 120000ゴールド
いや無駄な選択肢が多すぎるだろう。『行く』一択でしょうが。家に行ったら5万円。何でこんな出費がかさむのかわからないけどな。あれ、でも待てよ、一番下のラーメン食うイベントで12万ゴールド……現金換算で1万2千円って、何が起きるというんだ。こぼして服が汚れたりするのか、それで脱いだり脱がなかったりするのか。
くそ、ラーメンも気になる。
でも、クリスマスにラーメンってどうなのか。しかもディナーの後だぞ。たとえば幼馴染キャラのよしみとか、プレイヤーの言うことに一切反対しないくるみとか、騙されやすいゆうかだったら問題ないけど、相手はイギリスハーフのお嬢様だぞ。このゲームのカースト最上位だぞ。もしもクリスマス・ラーメンイベントでぶっかけられて脱がされるなんてことになったら、ヘソ曲げて会ってくれなくなるんじゃないのか。
一番下は罠だ。
かれんは、言動こそやわらかなものだが、最も気位の高い女である。俺に対して、いつも自分に相応しい振舞いを求めてくる。食事代を割り勘などしようものなら一週間ほど連絡がとれなくなり、再びデートに誘うようにするには、30万ゴールドの品を貢がなくてはならない。事実上のお詫びの品である。
見ようによっては、金の切れ目が縁の切れ目と考えてる薄情な女のようにも見えるけれど、ハイスペック彼氏であることを証明し続けなければいけないというのは、男としてやりがいのあることだと思う。そして何より見た目が可愛いんだ、これが。
それに、根はやさしくていい子なんだ。金がかかるのは、もう仕方ない。むしろそれも彼女の魅力の一つなのだ。
「タカシがうちに来るなんて、初めてだね」
リムジンに乗って彼女の家の前までやって来た。
ゲーム画面の背景には、まるで迎賓館のような巨大な門が見えている。その瀟洒な門は、クリスマスらしく、色とりどりの電飾できらきらしている。高級住宅街にある彼女の家は、周囲の家よりも、さらに鮮やかな光に飾られていた。
これから、この豪邸に足を踏み入れるのだ。そして聖なる夜にふさわしい時間を二人で過ごすのだ。
いや、待てよ。二人きりでいられるのだろうか。ここは彼女の家なわけだけど、ご両親とかと会う流れなのかもしれない。一応きいてみよう。
「深夜になってしまったが、大丈夫なのか? ご両親は、厳しい人なんだろう?」
「今日は、お父さんもお母さんも、教会にお祈りに行っててね、帰って来ないんだ」
「そ、そうなのか……」
ちゃんと聖夜ルートであることが明らかになった。
★
「あたしのこと、幸せにしてくれる?」
ベッドの上に座って手を伸ばしながら、彼女は言った。薬指のつけ根ががきらりと光った。
選択肢が出た。
もちろんだと答えようと思った。
むしろ、それ以外の選択肢はなかった。
『もちろんだ、一緒に幸せになろう』 0ゴールド
ただ一つのゼロ円選択肢。
珍しくお金を要求されない
間違えようがない。
そのはずだった。
即答しようと思った。
できなかった。
玄関の扉が勢いよく開いたのだ。
一気に現実に引き戻され、ここが六畳ほどのアパートであることを思い知らされてしまった。
「タカシ!」
踏み込んできたのは、俺の恋人だった。かれんじゃない。かれんはこんなにどたどた足音を立てて歩いたりしない。つまり、リアルのほうの恋人だ。
その女性は、俺の部屋をぐるぐると見回してから、再びスマホを握る俺を見つめた。
「タカシ、うちは誰?」
「柚葉」
「うちはタカシの何?」
「恋人」
「今日は何の日?」
「クリスマスイブ」
「じゃあ、イブなのに、うちに何のお誘いもないのは? なんで?」
そいつは、愛するかれんと過ごしたかったからに決まっているが、口に出すわけにはいかない。
「いや、忙しいだろうなって」
「予定を聞かれてすらいなんだけど?」
「…………」
俺はひとまず沈黙しながら、この修羅場を乗り切る方法を考えていた。
しかし、ゲームのようにはいかない。選択肢を考えつくまえに、柚葉は言うのだ。
「あんた、浮気してるでしょ?」
「浮気? いやいや、そんなの、するわけない」
「じゃあ、その指輪なに? うち買ってあげてないよね?」
かれんとのペアリングを指差して、柚葉は俺をにらみつけた。
「や、やー……お、おぼえてないっかな? 露天商から買ったじゃん」
「どこの」
「あーほら、春に行った」
「上野?」
「そう、花見に行ったときにさ」
「いや……絶対ない。買ってない」
「ひ、ひどいことを言うなぁ柚葉。君からもらったものだから、大事にしてるんだよ?」
「ほんとに?」
嘘である。
「うちがあげたのなら、なんでも大事にしてるってこと?」
「してるしてる」
「じゃあさ、うちがあげた時計とか、腕輪とか、服とかどうしたの? このまえ引き出しとかタンスとか、隅から隅まで探したけど、見当たらなかったぞ」
「え? いっやぁ……」
ネットで売っちゃったとか言えない。ブランドだったから高く売れたとか口が裂けても言えない。ていうか、ちょっとまって。探したってことは、俺の居ない間にってことだよな。勝手に人の部屋を漁るってのは、人としてどうかしてると思うんだが。
「スマホ見せて」
「は? いやいや、いくら恋人だからって、そういうのは」
「いいから」
「プライバシーは絶対に守られるべきでは?」
「でも、浮気じゃないって言うならさ、ほら。よこしてよ」
「本当に浮気はしてないって」
俺はそう言いながら、ホームボタンを押してゲーム画面を閉じた。そしてポケットにしまおうとする。携帯を見せるというのは、なんとも抵抗したい。
「タカシ!」
「はいィ!」
迫力に圧倒され携帯を献上するしかない。
柚葉は受け取って、何度か画面にタッチした。そして、何を開いたのだろうか、信じられないという様子で何度かまばたきした。
「えっ……は? 桁が……えぇっ? なに……なにこれ。えっ、きもっ……うわぁ……」
彼女の声は、はじめこそ驚きの表明だったが、だんだんと濃厚な軽蔑の色を帯びていった。
「つかぬことをお伺いあそばされますが、いずくんぞ発見せしめられましたのでありましょうか?」
あまりの恐怖に、派手に間違った日本語になりながら、俺はたずねた。
かれんが指輪付きの手を伸ばしてるゲーム画面と、愛にあふれた過去テキストログとかが見つかったのかと思ったが、違った。
「領収書のメール」
「あ、ゲームの?」
「ねえ、なにこの金額。8万とか5万とか、その前は1万から3万が多いけど、それにしたって連続でこんなに……札束で何を殴っているの?」
「…………」
もはや言い逃れはできないので、黙っていることにした。
「なんか言えよ」
「はい、すみませんでした」
「これどういうゲームなの?」
「恋愛ゲームです」
「恋愛シミュレーションゲームってやつ?」
「は? ちがいますし。シミュじゃないですし。まじで現実なんかより現実ですし。かれんはリアルに俺の嫁ですし」
「ちょっと待ってろ、調べるから」
リアル彼女の柚葉は、俺の携帯で検索をはじめた。かれんが最高のヒロインとして出てくるゲーム、『ラブ――現実よりも現実な――』について調査を開始したのだ。
★
柚葉は、眉間にしわを寄せながら、俺の携帯画面に表示されたゲーム攻略サイトを読み上げていた。
「このゲームにおける彼女は、ランク分けがされている。Sランクは、かれん、りこ、かなたの三人」
さっそく間違っている。
「違うな。SSランクがかれん。Sランクがりこ。ぎりぎりS……いや、かなたはちょっと下だな。Aランクに入れてもいいくらい下がる。その攻略サイトは、かなた推しが作った信用できないサイトに違いない」
「でもさタカシ、ここに書いてあるのによると、Aランクは、あかり、あつみ、あんなの三人。Aランクを見分けるコツは、名前が『あ』で始まることである。かなたをAランクに含めるユーザーがいるが、わかっちゃいない……だそうだけど」
「かれん以外は別ゲーだから、かなたのポジションなんぞどうでもいい……だがしかし、かなた派が攻略サイトなんぞを派手に作って調子に乗ってるのは腹立つな。じゃあ、こうしよう柚葉。『かなたなんかBランクにでも入れておけ』とコメントを打っておいてくれ」
「自分でやれ」
「じゃあ携帯返して。かれんを待たせているんだ」
しかし柚葉はスルーした。
「で、Bランクは、よしみ、なみこ、つね、の三人?」
「よしみが幼馴染で、なみこは地味子で、つねさんは古風で和風なお方だ」
「Cランクが、ともこ、くるみ、ゆうか、みつきの四人?」
「ともこは元気はいいが女っぽくなくて、友達どまりになりがちの性格。くるみは巨乳で包容力があり、ゆうかは主体性がなく流されやすく騙されやすいタイプ、みつきは男勝りでやくざの娘」
「いろいろいるんだな。……SからCランク、か。タカシにとって、うちは、どのへんなのかな?」
「…………」
「なに黙ってんだよ」
柚葉は怒りをぶつけるように画面を指ではじき、下にスクロールしていく。
「うん? おいタカシ、このゲーム、無課金でもかなり楽しめる仕組みになってるって書いてあるぞ?」
「そんなのは、Sランクより下が相手の場合だ。下々の遊び方だな」
「しもじも? 時給1000円割れが何言ってんだ」
そのやっすいバイトさえ、こないだクビ切られたけども。
「いいか、柚葉。当然ながら、無課金だと制限がある」
「どんな」
「Sランク彼女と、ラブラブになれないんだ」
「恋人になれないってこと?」
「かれん相手だとそうだな。かれんは完全な課金専用だ。無課金のままでは会う事すらかなわん」
「かれん以外だと?」
「Sランクであろうと、相手によっては恋人にはなれる。ゴールドさえ払えば好きなだけデートもできる。だが、より深い絆を得られないんだ。指輪のプレゼントとかもできないし、デートの行き先も制限されるし、呼ばれ方もよそよそしいままだ。つまりSランクと特別に仲良くなるためには、一度でも女性から金を巻き上げたらダメなんだ」
「は? いま女性から巻き上げるとか言った? 何か聞き間違えたかな?」
「いや、大丈夫だ。柚葉の耳は正常だ。その攻略サイトにも、ちゃんと無課金でのゲームの進め方について書いてあるはずだ。ちょっと見てみろ。そしたら俺がこのゲームに大金をつぎ込むのも理解できるはずだぞ」
柚葉は、「無課金のかたはコチラっていうページがあるな」と呟きながら、親指で画面をタップした。
「注意! Cランク彼女からゴールドを受取るとSランク彼女との関係が制限されます。取り返しのつかない要素です! ってあるけど……これのこと?」
「それだ」
「ゴールドって?」
「ゲーム内通貨。1円で10ゴールド」
「今までいくら使ったの?」
「500万ゴールドくらい?」
「ごっ……ひくわぁ……50万円……」
「かれんと付き合うなら、このくらい普通だ。女の子とのおつきあいには、金がかかるものだろ」
「それ、うちの前では絶対に言っちゃいけない言葉だなぁ」
柚葉は、いつも奢ってくれるし、折に触れてプレゼントをくれる年上の彼女だった。前のバイト先で知り合って、柚葉の方から告白してきて、俺がオーケーした形だ。嫌いじゃなかったから付き合った。そして俺は、好かれているのをいいことに、ひたすらタカり続けていた。彼女との関係で、俺の出費がかさんだことなど一度もない。
でもそれは、俺が金を払おうとすると、「いいからいいから」と引っ込めさせられて、奢らせてくれないどころか、割り勘にもさせてくれなかった柚葉が悪いのであって、俺は悪くない。悪くないはずだ。
男のプライドをないがしろにされ続けた俺がこのお金のかかるゲームに走るのも無理ないことだっただろう……。
……いやごめん、今のはさすがに誠実じゃない思考だった。忘れてほしい。
たしかにプライドが保てなくて不満だったというのもなくはない。けど、そんな理由で恋愛ゲームに走ったわけではない。実のところ俺は、柚葉と出会う前からこのゲームをやっていて、柚葉というお金をくれるリアル彼女ができてから、かれんと付き合うためにアカウントを作り直したのさ。包み隠さず言えば、それが真実。
でもね、そんな細かいことを説明しても、彼女はわかってくれないだろう。「この課金前提の恋愛ゲームのために、柚葉! 君と付き合い始めたんだッ!」と堂々と叫んだとして、彼女が許してくれるとは絶対に思えなかった。
「…………」
柚葉は無言で攻略サイトを読み続けていた。こわい。なんとか課金の正当な理由を説明しないと。
「えっとだな、つまり、このゲームは、ゲーム内の別の低ランク女性からゲーム内通貨を巻き上げ、意中の女性に貢ぐ……という動きが前提となっている。そんな、人の道から外れたようなプレイを避けるには課金しかない。そう、課金しかなかったのさ!」
柚葉は蔑みの視線で射抜いてきた。
ひるんだら負けだ。強気で行こう。
「わからないか、柚葉。このゲームはな、真に男のプライドがあればこそ! その者を課金に走らせる構造になっているんだッ!」
「誰から?」
「はい?」
「誰から巻き上げるの?」
「だから、その……Cランクの皆様からだ。くるみ、ともこ、みつきが小遣いをくれる。母性に訴えかけるのが得意なら、くるみを狙うのがいい。ともこは、女らしくないことにコンプレックスをもっているから、優しい言葉で褒めてやれば財布を開く。でも一回ごとの額が少ない。みつきは何かにつけて罵ってくるが、そのたびに小遣いをくれる。合法的になら、この三人だ」
「まってまって、合法じゃない手段があるの?」
「ゆうかを相手に詐欺プレイに及ぶことができる。騙されやすいゆうかには、そこらへんで手に入る石ころみたいなアイテムを、ものすごーく高く売りつけることができる。これが一番稼げる」
「最ッ低なゲームなんだね」
「言ったろう。Sランクより下は別のゲームだと。Cランクから巻き上げてAランクに貢ぐという流れが無課金ユーザーの進め方なんだ。そんな女の敵になるわけにはいかない。そして、俺が女から金を巻き上げるようなクズじゃないことは、かれんと恋人であることが証明している」
「何を言っている?」
「わからないかなぁ柚葉。C級から巻き上げ、A級とのデートを繰り返すということは、AとCとで二股をかけるということになる。課金すれば神ゲーなのに、無課金だとクソゲーに成り下がるということなんだぞ? こう考えれば、無課金ユーザーがどうかしてるってことが理解できるだろう。さぁどうかね?」
「なんで偉そうなの? 自分で何言ってるかわかってる?」
「ああ。Sランク彼女と付き合える俺は、それなりの課金ユーザーであることに誇りと優越感を抱いているという話だ」
「……わかった。もうわかった。わかりました。要するにさ、あんたにとって、うちは、このゲームの中のみつきとか、ともことか、くるみみたいなCランクってことなんだね」
「いや」
「じゃあDランク? まさかのEランク?」
「そんなことは」
「ほんと? 冷静になって考えてみ?」
「もとより冷静だ」
「うちが何を言いたいかわかる?」
「わからない」
「……タカシは、まったくもって男のプライドがないって言ってんの」
「どうして」
「もういいです。かれんって人と仲良くなさってください。さようなら、タカシさん。二度と顔も見たくない!」
吐き捨てるように柚葉は言った。
柚葉が投げつけた携帯が、がつんと俺の頭に直撃してから床に転がった。
「……いってぇ……」
激しく玄関のドアが閉じられた。
柚葉にさよならされてしまった。
★
なんの。まだまだ。柚葉には別れを告げられたが、俺には、かれんがいる。
そう思って開いたゲーム画面を見て、俺は思わず声を上げた。
「んんんッ?」
なんで、なんで、おかしい、やばい。え、嘘だろ。
背筋が凍るような思いでしばらく固まり、一度ゲームを閉じ、また開いた。
閉じる前と同じ画面が表示されてしまっている。
「出てって! 二度と顔見たくない!」
かれんが激怒していた。
どうしてこんなことに。
テキストログを確認してみる。少し前の会話が表示された。一方的にかれんが喋っていた。
「どうしたの? タカシ?」
「大丈夫?」
「きこえてる?」
「ひどいよ、タカシ」
「どうして返事をくれないの?」
「あたしのこと、幸せにしてくれないの?」
「タカシ?」
「タカシ?」
「ねえ」
「……ねえってば」
「もうしらない。タカシクンさいてい!」
――かれんと別れました。
「出てって! 二度と顔見たくない!」
視界が、ゆらいだ。
選択肢は一つしかなかったはずだった。
一緒に幸せになろうというゼロゴールド選択肢で、かれんと結ばれるはずだった。
それが何だ。
こんなことってあるのか?
放置していたことで、隠し選択肢が自動的に選択され、俺はかれんと聖なる夜を過ごせないばかりか、「二度と顔見たくない!」などと、現実世界とリンクしたような吐き捨てをくらってしまったのだ。
「おい……え……嘘だろ……これぇ……」
攻略ウィキで調べてみたところ、そうなってしまった場合、やり直しはできず、払い戻しもないのだという。
――深く傷つけられたから。
そんな理由で、関係は完全にリセット、どころか、しばらくはデートを断られ続ける上、ようやく会うことができるようになったとしても、会うたびに5万ゴールドが必要になる。しかも、会ってみたら「距離を置こう」と毎回の別れ際に言われ続け、これから先は、どんなにデートを重ねても最高のラブラブには絶対になれない状態になってしまうという。
ただのATMに成り下がるというわけである。
つまりは、Cランク美女から金を巻き上げたのと同じくらい嫌われてしまったというわけだ。
すごい。課金ユーザー相手でも容赦がない。
数十万の課金が、こんな形で無駄になるとは思わなかった。
しかも、バイトもやめるはめになって、リアル恋人も失って、ゲームの中の関係も失って、意味のない指輪だけが残った。虚し過ぎる。結果だけみれば最悪のゲームじゃないか。
「本当に、ひどすぎじゃねえか……」
あんまりだ。
ぜんぶ柚葉のせいだ。クリスマスイブに攻め込んでこなければ、お互いに幸せでいられたはずなのに。
★
もういやだ。うんざりだ。こんなゲームやめてやろう。そう思った。
それでも、何十万もの課金をしてきたゲームを、俺は簡単にやめられなかった。モトをとらねばならないという意識が働いたのである。
かといって、財政状況も厳しくなった今、以前のような廃課金プレイは望むべくもない。正直、かれんとのクリスマスデートは、かなり無理をしたんだ。もうゲームに使える予算はない。柚葉サポートもなくなった今、これ以上ゲームに積み込めば飢え死にしてしまう。
だからって、男のプライドを捨てるのも絶対に嫌だった。ゲームとはいえ、Cランク彼女からの巻き上げは男として許されない行為だと思っていた。
ただ、この板挟みをどうにかする手段もちゃんと用意されているのが、この『ラブ――現実よりも現実な――』というゲームアプリである。
なけなしのプライドを守りながら無課金で恋愛ゲームを楽しむために、熟考を重ねた俺が選んだのは、Bランク彼女とのデートだった。
Bランクは、本当にお金が掛からない。舌も肥えていないし、特別イベント以外では、お金のかかるところにも滅多に近づかない。
幼馴染キャラのよしみは、基本的にどこに行っても楽しむ。
地味キャラのなみこは、おうちデートばかりである。
古風キャラのつねは、資産家の娘で箱入りであるため、庶民デートに憧れ、庶民的な活動全般に喜びを見いだしてくる。
はじめのうちは新鮮だった。でも、S級ハーフ美女かれんとのデートを重ねてしまった俺には、もはや物足りなく感じられるものだった。もっと簡単に言うと、あれだ、Bランクの子たちは可愛くない。
いや、違う、可愛いといえば間違いなく可愛い。でも、なんていうか、違うんだ。俺が求めている「女の子らしさ」というのは、こういうんじゃない。よしみのボーイッシュも、なみこの家庭的言動も、つねの世間知らずも、要素としてはポイントが高い。安心感があるし、ときめきもあるし、面白みもある。でも違うんだ。
俺は……。
俺は、金を払いたいんだ!
俺の金で、女の子に楽しんでもらいたいんだ!
でも金がないんだ!
お年玉ももらえる年齢じゃない!
しばらく正月休みを利用して、Bランクおともだちデートを続けた俺は、ついに決断した。
「やってやる」
収入がなくなった俺は、ついにゲーム内でのプライドをかなぐり捨てることにしたというわけだ。せめてゲームの中では守っていたかったプライドだけど、Sランクに見合った収入がないのだから仕方ない。
俺の欲望を満たすために、Cランク美女たちにはパトロンになってもらう。
これまで、この俺は、くるみからも、ともこからも、ゆうかからも、みつきからも、一度も金をもらったことがなかった。ただの一度もだ。それが俺の誇りだった。でも、もうやるしかない。巻き上げるしかないんだ。
俺が悪いんじゃない。
こんなシステムになっているこのゲームが悪い。
無課金で愛を追い求める場合、ゲーム内の別の女性からゲーム内通貨を巻き上げ、意中の女性に貢ぐという動きが前提となっている!
だから仕方ないんだ!
問題は、誰から巻き上げるか、だが……。
俺はデート相手の選択画面を眺めながら、迷っていた。
四人のうち、誰がいいか。くるみ、ともこ、ゆうか、みつき。
まず表示されていたのは、やさしげな垂れ目の女の子である。ふくよかで包容力のありそうな子だ。
「くるみは良い子だからな。困ってる人がいると見過ごせない聖母みたいな子だ。この子から巻き上げるのは心の犯罪だ」
横にスクロールして、痩せたスーツの女に切り替わった。
「ともこはなぁ……かわいいとか美人とかそういう系の言葉をかけただけで条件反射で財布ひらくからなぁ……なんだか罪悪感があるんだよなぁ」
ともこもパスだ。続いて表示されたのは、めがねの女の子、ゆうかだ。
「おとなしいようで実は活発でギャップがある……わけじゃなくて、まじでおとなしくて、しかも、どんな嘘でも信じてしまう純粋すぎる女の子だ。普段は金持ちの家でメイドとして働いているらしいが、その姿は今のところゲーム内では出てきていないらしい。さて、この子を詐欺にかければ、Aランク女子とのデート代も簡単に手に入る。けど、論外だ。詐欺は犯罪だ。俺の良心が『それは益荒男としてアウトだろ!』と叫んでいる」
続いて出てきた女の子は、金髪でヒョウ柄の服を着た女だった。ギャルっぽい女だ。
「みつきか……。消去法でいくと、やっぱ、みつきだよな」
と、その前に、ここ数日間の恒例となっている儀式をやっておこう。
俺は指で何度か画面を撫で、最高の彼女を表示させる。そして「デートする」ボタンにタッチしてみる。
パキン、とガラスの割れるような音がかえってきた。
「あんた誰だっけ? おとといくれば?」
すっかり冷たくなった俺の元カノが悲しい。
★
「お前ほんとうにクズだな、まっとうに生きろや」
『――32000ゴールドを手に入れました』
「へぇ、ここがお前の部屋か、まじで豚小屋だな。おら、この金で豚のエサでも買って来いよな」
『――32000ゴールドを手に入れました』
「働けよニート野郎。金はいいぞ、金を使う楽しさを知れば、お前みたいなクズでも働く気になんだろ、これで贅沢でもしてみろ」
俺は思わず「すんません」と謝っていた。
『――32000ゴールドを手に入れました』
とまあ、これが、みつきという女である。
みつきとのデートを選択すると、どこに行っても、何をしても、ことあるごとに暴言を吐いてきて、そのたびに小遣いをくれる。そういうキャラなのだ。ツンツンいつもキレているようでいて金銭でデレを表現するという、ツンデレの亜種である。
厳しい態度と言葉によって心をえぐられることによって、金を巻き上げている側の罪悪感がかなり軽減された。だから、みつきを選んで正解だ。
……でも、それだけじゃない気がする。「みつきからなら巻き上げてもいいかな」って気分になったのは、ひょっとしたら柚葉に少し似ている部分があるからかもしれない。いや、柚葉はヒョウ柄とか着ないし、髪を染めてもいないから、見た目はあまり似ていないんだけど、なんていうかな、柚葉は文句を言っても、人の悪口を言っても、その裏には隠しきれない優しさがあった。それが、みつきとほんの少し似ているように感じたんだ。あと、たびたびプレゼントをくれた。
なんだかんだ言って、柚葉と別れて寂しいのかもしれない。
「でもでも。みつきがいれば、柚葉がいなくても別にな。大丈夫」
そんな強がりを言い放ってみた。
さて、みつきから巻き上げた金を、誰に使おうかと考えてみる。
「あんた誰だっけ? おとといくれば?」
今日もかれんは冷たい。このアカウントでは、まだまだ再びのデートすら無理だろう。ひどいことだ。
他のSランク二人は……、りこは自分勝手な振り回し系のスーパー美女で、容姿だけなら彼女が一番人気だ。かなたお嬢様は、音楽が得意で、かれんほどではないけれど高嶺の花タイプの可愛い系。だけど、この子たちは、みつきから巻き上げてしまったことによって、深く結ばれる未来がなくなってしまった。
限界が設定されているとわかりながら、その女の子たちとデートを重ねる。これが一体どういうことか、おわかりだろうか。そんなの、宝が別の人に掘り出されたことを知りながら、宝の地図をたよりに宝探しの旅に敢えて漕ぎ出すみたいなもんだろう。
嫌だ。無駄だ。無意味だ。やはり誰かと深く愛し合いたい。
となれば、無課金でも深い関係を築けるAランクのうちの誰かになってくるが……ツインテールのあかり。ショートボブのあつみ。ロングヘアのあんな。それぞれに個性はあるものの、いまひとつ魅力に欠けるというか……。
あかりはつらいことがあっても明るい。あつみはふざけた笑い上戸。あんなはとにかく料理が上手い。
どうしよう、どうするか……。
みつきと二股をかけることを考えれば、あまり良い子だと申し訳ない気持ちになってくる。
あかりルートは鬱展開があるらしいし、良い子だからだめだ。あつみはそんなに良い子じゃないらしいものの、何でも笑いに変えようとする芸人魂にとりつかれた女だからだめだ。疲れそうだ。あんなは……まあ、消去法で、あんなかな。
あんなにしよう、普通の子だし、ちょうどいいだろう。
★
長い髪と料理の腕が魅力のAランク美少女あんな。イタリアンの巨匠を父に持ち、厳しい料理英才教育を受けた彼女。
池のほとり。さわやかなせせらぎが癒やしをくれる公園に彼女は居た。公園の片隅にあるジェラート屋台でバイトしていた彼女は、休憩時間にベンチに座ってため息を吐いていた。コンビニのおにぎりをもさもさと口に運びながら。
そして、俺が通りがかったところで、うっかり半分も食べてないツナマヨを転がしてしまう。
「やっちゃったぁ……」
青空を仰ぎながら泣いてるところに、俺が通りがかってツナマヨを拾ってやる。それが出会いだった。
『彼女の話を聞く』 3000ゴールド。
『立ち去る』 0ゴールド。
ベンチに並んで座り、話を聞いてみたところ、なんでも、シェフである祖父や父親に憧れていて、自分の料理で皆を笑顔にしたくって、イタリアに学びに行きたいが、料理留学には結構なお金がかかる。まして行き先はヨーロッパ。留学資金を自分で稼ぐために節約しているが、なかなかお金が貯まらないのだという。
そこで、ゲーム内の俺がジェラート片手に言うのだ。
「一日三食をきちんと食べるとして、一年間で、たった一千回くらいしか食べないんだぞ。いくらお金を貯めたいからって、貴重な食事の機会を、コンビニおにぎり一個でつぶしてしまうのは勿体ない!」
なるほどたしかに。
「この町の中にも、学ぶべき素晴らしい店がいっぱいあるじゃあないか。コンビニのおにぎりもうまいけど、せっかくの食事なんだ。もっと良い物を味わうのが、修行の第一歩なんじゃあないのか」
もっともだ。俺の言うとおりだ。
「『目は一代、耳は二代、舌は三代』という言葉がある。ものを見る目はその人が一代で身につけることができるが、本物の音を聞き分ける耳を手に入れるには親の世代の能力も関わってくる、味がわかるのは、親のさらに上、おじいちゃんおばあちゃんの代から受け継がれてくるものなんだ」
そうだそうだ。その通りだ。そんな言葉があるとは知らなかったが。
「君の家は、祖父の代からシェフをやっているのだから、三代目の舌を持っていることになる。それなのに、こんなお粗末なランチタイムを繰り返していては、せっかくの名刀を錆び付かせてるようなものじゃあないか」
そこで選択肢が出た。
『お金を渡す』 5000ゴールド
『近くにやたら美味しいパスタ屋があるんだが』 12000ゴールド
『ちょい足しで劇的に味は変わる』 300ゴールド
『もっと良いバイトさがせば?』 0ゴールド
ここで選ぶべき選択肢は二番目である。彼女との関係が始まるのは、奢ってやるから美味いもん食いに行こうぜ、という展開なのだ。
一番上の選択肢は、5百円を渡して美味しいもの食べるように言うのだろうが、それではすぐには進展しないと思う。
ちょい足し30円は、コンビニで調味料でも買って、おにぎりにつけて食うんだろう。論外である。味覚について長々と講釈を垂れた結論がソレだというなら、ひどく矛盾している気がする。
ゆえに、二番目、外食の選択肢こそが、正解なのである。
レストランで昼食をともにして仲良くなった二人。
あんなは、昼休み終わりの別れ際、俺に向かって言うのだ。
「また、会ってくれますか? あなたの食事に対する考え方が、あたし好きみたいです」
「もちろんだ」
と、俺は言った。二人で昼食に出た時点で、あんなルートに入ることに成功していたのだ。
あんなは、長い髪をゴムで縛ると、バイト先のジェラート屋に向かって走って行った。
彼女とのデートは、美味しいご飯を食べ歩くという展開がほとんどだった。現実の名店が多く協賛しているらしく、実際の店名の実際のメニューが実際の値段で登場する。
料理によっては、細かな秘伝のレシピをゲーム内通貨のゴールドで買うことができ、まるでグルメアプリのようでさえある。
これが、正月休みの俺にはちょうどよかった。
あんなと一緒に料理をすることで、一人暮らしの男の食卓に彩りが添えられ、画面の中のあんなと一緒に食事をすることで、寂しさが埋められた。
料理が楽しくなってきた。
しかし、やっているうちに気づいた。気づいてしまった。
「あっれ、これまじで料理アプリじゃね?」
求めているのは愛だったはず。それなのに、料理の知識や調理の技術やレシピを手に入れるためのデートを続けている……。そのことを意識しだした途端に、あんなを料理教室を主催するおねえさんのようにしか見られなくなった。
Aランク彼女でコレなのだ。やはり、Sランクのような生きている感じがない。なんというかな、キャラとしての役割を用意された感じが拭えないのだ。
かれんにだってキャラはあるけれど、お嬢様キャラという位置づけだけれど、でも全然違うのだ。
かれんは、まるで生きている人間みたいな、バリエーションの多い反応をしてくれる。その反応を見ながら薄氷を踏むように選択していくドキドキ感。これまでの課金が露と消えるリスクと常に隣り合わせのスリルが、人を課金に走らせるのだ。
少しずつ、糸が官能的に絡み合っていくように、絆を結び合っていく課程を味わえる重厚濃密にして微妙に絶妙な、人生そのものと言うべき楽しさがあるのだ。
これが、Aランク以下には全くない。
いちどSランクを知ってしまえば、Aランク以下には戻れないのだ。人間は、一度高めた生活レベルを簡単には落とせない生き物なのである。
いっそのことアカウントを作り直すしかないのだろうか。ちょうど、ゲーム内で集めた金を使ってデートすることに、「やっぱホンモノじゃない……」と違和感をおぼえ初めていたところだ。
ゲームにホンモノもニセモノもあるものかと思うかもしれない。でも、俺にとって、現実の金銭をつぎ込んで、かれんとのデートを重ねること――。それこそが、ホンモノだと感じるんだ。
もはや誰にも文句を言われるわけでもない。こうなったら新たに、まっさらな課金アカウントを使って、もう一度かれんひとすじを目指すべきなんじゃないのか。今度こそ深い絆で結ばれることを目指して!
「――いや無理じゃね? お金ないじゃん」
ひどく情けない自問自答である。
それに、思い返してみると、かれんとの愛は、本当に徐々に徐々に深まっていったんだ。こつこつとした継続的な課金の積み重ねによって、彼女のそばにあり続けることができた。Sランクとの付き合いは、変化に富んでいて、鮮やかで、まるで生きている人間を相手にするみたいなリアルさがあるのだ。
たとえば、かれんとの崩壊前の関係を完全再現しようとしたところで、無理なようになっている。もう一度はじめから全く同じ選択肢を選び続けたとしても、全く同じ会話にはならないようになっている。
この『ラブ――現実よりも現実な――』のSランク課金モードは、一期一会を重視するゲームなのである。引いていく波にどれだけ祈りを捧げても、同じ波は二度と来ないのである。
「それになぁ……みつきから毎回ゴールドを巻き上げるのもな……」
★
「やり直さない?」「やり直そうか」
商店街の喫茶店。窓際の席に座った俺たちは、どちらからともなく切り出した。
照れたような笑いも同じタイミングだった。
この瞬間に、俺たちは仲直りを果たしたのである。
つまりは、怒って出て行ったはずの柚葉と、もう一度付き合うことになったのだ。
「でも、柚葉、どうした風の吹き回しだ? あんだけ怒ってたのに」
「うちもね、タカシがやってるゲームやってみたんだよ。かれんとかいうSランク彼女がなんぼのもんじゃいって思ってね、うちが負けてるはずがないって自信があったの。だから最初からかれん目当てで課金してやった。
そしたら、普通に楽しかった。ライバル心とか忘れて、普通にかれんとの恋愛を楽しんじゃった。思い通りにいかない時もあって、だけど、だからこそ彼女が喜んでくれた時とか、本当に幸せを感じられた。彼女は生きてる。そう感じた。タカシが課金にこだわってた理由が、ちょっとだけわかったんだ」
「そうか……」
「ごめんね。うちさ、別れるときにさ、『男のプライドがない』とか言っちゃったけど、そうじゃなかったんだね。プライドがあるからこそ、うちじゃなくてゲームに課金してたことに気付けなかった。ゲームに走らせちゃったのは、魅力のない、うちのせいだった」
「そんなことは……」
「ううん。いいの。わかってる。大丈夫。うちはまだ、たいした女じゃない。かれんや、りこや、かなたや、あかりや、あんなや、あつみ、よしみ、なみこ、つね、みつき、ともこ、くるみ、ゆうかみたいに見た目が可愛いわけじゃない」
どんだけやりこんだの、この人。ヒロインの名前を何も見ずにすらすら全員言えるとか、ちょっとこわいんだけど。
「うち、性格はそんな悪くないつもりだけど、タカシは、うちの自信のないところを無意識で嫌がってたんだと思う」
「そう……なのか? よくわからん」
「そうなんだと思う。それでね、そんなうちの、恋人としての欠点に気付かせてくれたのが、もう一つのゲーム」
「他にもやったのか」
「そう、『ラブ――現実よりも現実な――』を出してるのと同じ会社が作ったゲーム。その名も、『アモーレ――真真真実の愛へ――』っていうんだけど」
柚葉はそう言って、スマホの逆さ画面を見せてきた。広告で見たことがあった。
「ああ、女性向けバージョンだな」
「タカシも知ってたんだ」
「一応は知ってる。やったことないけど」
柚葉はその女性向けゲームアプリを起動しながら、ゲームの内容を語り始めた。
「このゲームはね、ひとことで言うと、『夢を追う男の子を応援するゲーム』なの」
「男性向けのほうは、ただの課金ゲーだが、女性向けのほうはタイトルからして少し凝ってる気がするな」
「でしょ? すごいんだよ。まるで生きてるみたいなの」
そのあたりは、かれん、りこ、かなたあたりの女の子たちと遊ぶときにも感じた。もちろん、ユーザー数から考えれば、操ってる中の人がいるわけではなく、優秀なAIとかなんだろうけどな。
「でも、生きてるって感じがするのは、Sランク彼氏だけなんだ。Aから下は、夢を追ってるようでいて、実は趣味でやってる? みたいな? うーん、なんて言えばいいんだろ……演技っぽい感じがする」
なんのことない、名前こそ異国語にして気取っているが、男性版と同じような構造のようだ。
「うちは課金した。ゲーム内の美容服飾業界に金を落としまくった。Aランク美容師とも付き合ったけど物足りなかった。Sランク彼氏の隣で応援させてもらうには課金が必要だった。高級な服装とか化粧とか香水とかを身につけることで、男の人に好かれていった」
柚葉は、イケメンなゲーム内彼氏、カリスマ美容師ショウヤを見せつけてきた。
「みて、こんなカッコイイ男が、うちのこと好きだっていってるんだよ? 信じられなくない?」
「そんなことないぞ、柚葉はいい女だ」
しかし柚葉は俺のほめ言葉を無視した。
「だけどさ、うちの好みのタイプは、ショウヤみたいなパーフェクト王子様じゃないんだ。うちは、タカシみたいな人が好きなの」
「年下がいいってことか?」
「うーん、なんていうかな……あんまり男っぽくない感じ?」
「俺が女々しいと?」
「そんなこと言ってないじゃん」
「言ったろ」
今の話では、俺が男らしくないと言っているようにしかきこえない。
俺の苛立ちを察知したのだろうか、柚葉は、話題を変えるスイッチみたいにして、コーヒーを一口飲んでカップを置いた。
「でね、ゆうすけっていうSランクキャラがいるんだけど、こいつが本当にどうしようもないやつなの。働かないし、お洒落してくれないし、デートに遅刻してくるし、鈍感だし、全ッ然頑張ってくれない。お金をあげても、すぐに別のことで浪費しちゃう。プレゼントあげても売り払っちゃう。そういう、このゲームの中で、ぶっちぎりのダメ男なんだよね」
「なんだそれ。どこがSランクなんだよ」
「まるでタカシみたいだった」
「は? 一緒にしないでほしい。ゆうすけって名前のやつは、たいていろくでもないんだぞ」
「それは全世界のゆうすけさんに怒られるよ? てか話の腰を折るんじゃねえよ」
「はい、すみません」
「それでさ、ゆうすけのやつ、すごくてさ。うちが課金アイテムで着飾ると、美しくなったうちに釣り合わなくちゃいけないって思うらしくて、めっちゃ頑張ってくれて、みるみるうちに男らしくなって、性格も優しくなって、でもやっぱり強がりで内面が弱くてこわがりで、ほんっと可愛いやつなの。それで思ったんだ。ああ、これが『男のプライド』ってやつなのかってね。同時に、こうも思った。うち、タカシに好かれたくて、やりすぎてたんだなって」
「というと?」
「必死になりすぎっていうかさ……つまり、自信がなかったんだ。うちさ、タカシに好かれてない気がして、それでお金とかブランド品とかでつなぎとめようとしてたんだけど、それが間違ってた。そのことをね、この二つのゲームに教えてもらったわけよ」
「つまりそれって、どういう……」
「うちがちゃんと可愛い女になっていれば、タカシもいい男になってたはずだって」
「柚葉はどんなだって可愛いよ」
しかし柚葉は、すかすかの褒め言葉を、やはり無視した。
「尽くして尽くしてプレゼントばっかりあげてたらさ、ゆうすけに言われたんだよね。『こんなことを繰り返したら、きっと柚葉は、いつか男をだめにすると思う』とかって。刺さったなぁ、あの言葉」
「ゆうすけは、金品をもらっておきながらクソ偉そうなやつだな」
「でも、そんなゆうすけも、うちのこと本当に好きになってくれて、ゆうすけなりに頑張ってくれるようになった。あのゆうすけが、だよ? だからね、きっと誰かさんも、うちのために頑張ってくれる未来がね、あるんじゃないかって……」
「…………」
長い沈黙。
俺が黙っていると、柚葉は俺の目を愛おしそうに見つめながら言うのだ。
「タカシのほうは、どうしてうちとやり直そうと思ったの?」
こんなタイミングで、「課金するお金が欲しくなったから」なんて言えない。
「…………」
「タカシ? どうして黙っているの?」
正直に言ったらどうなるだろう。幻滅されてしまうだろうか。されてしまうだろう。
けど仕方ない。このまま嘘をついて付き合うのはさすがに不誠実だ。そんな外道な人間が、Sランクのかれんと付き合う資格なんかあるだろうか。いや、ない、なさすぎる。
別れを覚悟して、正直に答えて、さっぱりと別れようじゃないか。そしてあらためて、新しいアカウントを作って、自分で働いた金で、かれんや、りこや、かなたと付き合っていこうと思う。
「実はな、柚葉。俺は、その、あれだ。お金がね、ほしくてね」
視線をぐらぐらさせながら俺は言った。言ってしまった。
さっきまでは、復縁できたと思った。もとの関係に戻れると思った。でも、ああ、これは終わったなぁ。
幻滅されたと思った。しねとでも吐き捨てられて、グラスの氷水でもぶっかけられるのかと思った。でも、柚葉は言うのだ。
「燃えてきた」
「え?」
「ゆうすけ。……じゃなかった。タカシ」
「は、はい?」
俺は彼女の迫力に気圧され姿勢を正す。
「あのね、タカシ、うちと別れるなんて二度と許さないから!」
「え、いいの? 俺で?」
混乱しながらききかえすと、彼女は頷き、自分の胸に手を当てながら言うのだ。
「うちの魅力が足りないから、だらしない思考にとらわれちゃってるわけだよね。だから、うちがゲームだけじゃなく現実でも魅力的になれば、タカシも頑張るってことだよね!」
「お、おう……」
女のプライドに火がついたらしい。
こうして、俺は押し切られ、再び柚葉と付き合うことになった。
★
柚葉は、俺にプレゼントをくれなくなった。お小遣いもくれなくなった。かわりに、彼女は、やたら美しく着飾るようになり、ささやかなプレゼントを欲しがるようになり、食事代も「おごって」と言ってくるようになった。これは俺のプライドを尊重した行動である。
いやはや、研究の成果だろうか、もともと持っていた資質だろうか。彼女は、ゲーム内のSランク彼女と同等、いやそれ以上の恋人になったのだ
まだ肌寒い三月の繁華街を歩きながら、俺の腕を抱いた柚葉。
「ね、もうゲームに課金する必要ないでしょ?」
魅力的な女性が笑いかけてきたけれど、必要とかそういうレベルの話じゃない。新しいバイトもそんなに給料高くないわけで、もはや課金する余裕がなかった。
つまり柚葉は、これまで俺に貢いでたお金を、めでたくゲームと自分磨きにつぎ込むようになったのである。
柚葉が自慢の年上彼女になっていくと同時に、俺も彼女に釣り合うような人間になっていくよう強要されているのだ。
それでだ……あまり褒められた心境の変化ではないのだろうが、こういう事態になって、初めて感じたことがある。
――女の子からお金をもらいたい!
以前の財布ATM状態の柚葉と付き合ううちに、俺の性根は、すっかり手遅れレベルで腐っていたようだ。
かといって、課金する余裕はない。じゃあどうするかっていうと……。
俺は、あいている片手で携帯を取り出した。ゲーム画面で、みつきに「カス野郎」と暴言を吐かれながら3万2千ゴールドを投げつけられ、くるみに「ご飯食べてる? 大丈夫?」と心配されながら9万6千3百ゴールドのお小遣いをもらい、ともこを褒めて、「ありがとう、優しいんだね、タカシくん」と微笑みをかけられながらだいたい1万ゴールドを巻き上げた。
さらには、ゆうかに対して安物の壺を売りつけて、桁違いの30万ゴールドを詐取した。
その金を、あかり、あつみ、あんなというAランク三人に次々に貢いでいく。
現実での行動と反比例するかのように、ゲーム内の行動がゲスそのものになった。かつての俺では考えられないことだ。
「また新しいオンナつくったの?」
呆れたようにリアル彼女は言った。
普通の恋人だったら限りなく不穏な言葉だったけれども、『ラブ』と『アモーレ』を乗り越えた俺たちにとっては、何気ない普通の会話だ。
柚葉が画面をのぞき込んでくる。
そのとき画面に映し出されていたのは、ツインテールのAランク美少女だった。
「お前も知ってるだろ。あかりだよ」
「ああ、あかりちゃん。逃げた父親の借金返済のために、かなりのお金が必要なんだっけ」
「そうだ。可哀想な子なんだ。俺が守ってやらなきゃ、裏稼業まっしぐらだからな、人助けだよ」
「へぇ、かれん以外に課金するなんて、意外だな」
「課金? いや、巻き上げた金だ。みつき、くるみ、ともこ……そして、ゆうかからな」
「なッ、うっそ、ゆうかにまで魔の手を……! ゲームの中だと最低になったね、タカシ」
そう言った柚葉は、こころなしか嬉しそうだった。
このゲームの正しい楽しみ方は、もしかしたら無課金でいろんな女の子たちからお金を巻き上げ、いろんな女の子に貢ぐことなんじゃないだろうか。少なくとも、今の俺には、そういうライトな楽しみ方が丁度いい。現実でそんなことをしたら果てしないクズだけど、ゲームだからいいじゃないか。
「タカシ、ねえ見て」彼女がお返しとばかりにスマホを見せつけてきた。「またゆうすけが、うちのためにスペック上げたよ。今度はピアノコンクールで特別賞をとって、オーストラリア? だかどっかの偉い先生がゆうすけのためだけに日本に来るって!」
たぶんオーストリアだな。ウィーンあたりだろう。
「ねえ、しかも見て。ほら、『柚葉と一緒じゃないとおれはダメだから、来てくれるよう頼んだ』だってさ。きゃー、可愛いよぅ」
「また課金したのか、柚葉」
「タカシがゆうすけを追い越すまで、やめてあげないからね」
すでに一生かけても無理な気がする。
「大丈夫だよ。ゆうすけだって、さいしょはタカシ以上のダメ人間だったんだから」
浮かれる柚葉に、俺は一つだけ言ってやらねばならないことがある。
「あのな、柚葉」
「なによ、タカシ」
「現実とゲームは違うんだぞ。ほどほどにしろよな」
わかってるって、とばかりに、彼女は幸せそうに笑ったのだった。
【おわり】