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⑻答え合わせ

 夜風がカーテンを揺らしている。吹き込む風は湿気を帯びていて、雨が降るのかも知れないと思った。


 航は窓とカーテンを閉めた。部屋の中は湊と二人きりで、点滴液の落ちる音すら聞こえそうな程、静かだった。


 検査の為に湊は一日入院することになっていて、面会時間ももうすぐ終わる。部屋の隅には父が持って来てくれた着替えがある。航が手渡すと、湊は何も言わずに服を脱ぎ、洗濯されたジャージに袖を通した。


 長い一日だった。

 湊はエマと対面して、航はマーティンに襲撃されて、デイビス氏の懺悔を聞いて、今度はライリーが湊を拉致して……。


 疲れていた。

 心身共に限界だ。強烈な睡魔に襲われて、航は湊のベッドに突っ伏した。消毒液の中に微かに兄の匂いがして、無事に帰って来られたんだな、と今更ながらにほっとする。


 瞼が重い。このまま自分も入院させてもらえたら良いのになんてぼんやり考えていたら、湊の声がした。




「ライリーは、共感覚の持ち主だったよ」




 微睡んでいた航は、ベッドに突っ伏したまま問い掛けた。




「共感覚って、絶対音感とか、そういう奴だろ。数字に色が見えるとか、音に味があるとか」

「うん」

「ライリーは?」

「ライリーは、身の回りの事象が数式に見えるって言ってた」




 それ、共感覚か?

 航は欠伸を噛み殺した。


 共感覚とは、或る刺激に対して通常の感覚だけでなく、異なる感覚を生じさせると言う。ライリーのそれは感覚的な知覚というよりも、機械的な推測に感じる。




「ESPの予知能力に似てる」

「超能力者だって言いたいのか?」

「どうなんだろうね。でも、予知能力というよりはデータ的な推測に近いのかも」




 よく解らない。

 ライリーには、身の回りの事象が数式に見えるのだと言う。他人の嘘が解る湊と、確定した未来を知ることの出来るライリー。どちらも生き難い能力だ。


 航はベッドに突っ伏したまま、遠くを見詰める兄を見上げた。




「……被害届、本当に出さなくて良いのか」




 黒薙さんにも咎められたばかりだ。

 自己犠牲で救えるものなんか何も無い。正直、航も同感だった。ライリーの罪を湊が背負える訳じゃないし、ゾーイやホセ、リュウの気持ちを考えると無責任にも思える。


 罪には罰だ。ライリーがどのような罪で裁かれるのかは解らないけれど、黙っているということは、贖罪さえも許さないということではないのだろうか。


 湊は包帯の巻かれた掌をぼんやりと眺めて、頷いた。




「全部が嘘で、本心なんてものは何処にも無くて、騙されて、利用されていたんだとしても。……一緒に過ごした時間だけは、本当だったんだって、信じたいんだ」




 駄目かな、なんて泣きそうに笑うから。

 航は埃っぽい頭を撫でてやった。








 14.観測者

 ⑻答え合わせ







 面会の許可が下りたと聞いたので、航は警察署に向かった。湊は一日の検査入院の後、何事も無かったかのように大学の寮へ戻って行った。代わりにリュウと葵君、親父が同伴した。


 主役のいない誕生会みたいだと、父が笑った。

 父が能天気で空気を読まない人間であることは知っていたので、航は特に何も言わなかった。


 今回、ライリーが起訴されているのはゾーイやホセに対する殺人共謀、リュウへの暴行である。サンダルフォンという未知の装置はデータが綺麗さっぱり消えてしまったそうなので、ライリーの犯罪計画そのものの概要は不明だった。


 あの地下室で、湊とライリーの間に何かあって、自分達には何も出来ないということだけが解った。

 警察の事情聴取に対してもライリーは黙秘を続けており、捜査は進展していない。その代わりにルーカス氏の行って来た非道な人体実験が明るみに出て、世間の関心を集めている。


 取調室に入れる人数には制限があったので、父と葵君は待合室で待っていることになった。何の為の同伴なのか疑問にも思うけれど、既に逮捕されているライリーに出来ることは何も無かった。


 窓の無い密室で、ライリーは仮面のような無表情をしていた。まるで、魂が抜けてしまったかのようだ。

 安っぽい椅子に座って微動だにせず、傍目には生きているのか死んでいるのかも解らない。

 航とリュウが現れても関心を示さず、伽藍堂な青い瞳だけがただ虚しかった。




「ちゃんと飯食ってるのか」




 社交辞令的に切り出すが、ライリーは目も向けなかった。目の前に硝子の板でも挟まれているみたいだ。


 世間話は苦手だし、自分とライリーの共通の話題は殆ど無かった。答えないライリーに居心地が悪くなり、自分は此処へ何をしに来たのだろうと頭を抱えたくなる。


 ライリー。

 リュウが呼んだ。




「湊は、被害届を出さないそうですよ」




 其処で漸く、ライリーが此方を見た。けれど、その表情は疲れ切っていて、視線は何処か茫洋としている。あの頃にはもう戻れないのだと、痛感させた。




「でも、僕等は違います。然るべき罰を受け、罪を負い、たっぷりと後悔して下さい。……貴方は僕等の信頼を裏切った」




 手厳しいとは思わない。優しいくらいだった。

 ゾーイとホセは銃撃されて重傷だった。意識は戻ったが、退院の目処は立っていない。航だって右の大腿部を撃たれたせいで、暫く松葉杖生活だった。葵君が間に合わなければ、三人共死んでいた。




「お前のやりたかったことって、何だったの」




 問い掛けると、ライリーは喉を鳴らして笑い、机に肘を突いた。両目の下には深い隈が刻まれている。とても平静の精神状態には見えない。




「この下らねぇ予定調和の世界を、ぶっ壊すヒーローになりたかったんだよ」




 湊ではないけれど、航にもそれが嘘だと解った。

 サンダルフォンは犯罪予測装置だった。凡ゆる事象が数式に見えるというライリーが本当に欲しかったのは、きっと。




「それはどちらかと言うと、悪役(ヴィラン)のようですね」




 全くの無表情で、リュウが言った。


 そうなのだ。ライリーの計画は何処かちくはぐで、詰めが甘く、目的さえ不明瞭だった。予測の精度を上げる為に湊の元へ事件を引き寄せ巻き込んだというのも、何処まで本当なのか解らない。


 しかし、湊が被害届を出さないと決めた以上、司法は彼を正当に裁けない。真実は闇の中である。




「湊はお前の望んだヒーローだったか?」




 率直な気持ちで、航は問い掛けた。

 ライリーの計画は、まるで、湊をヒーローに仕立て上げる為の舞台装置みたいだった。


 どうなんだろうな、とライリーは呟いた。

 そのまま両腕の下に頭を埋めて、溜息を吐いた。




「めちゃくちゃで、好い加減で、無謀で無計画。腕力も無くて、甘っちょろくて……。でも、ヒーローなんて、そういうもんだったのかなって、今更になって思うよ」




 巻き込んじまって、悪かったな。

 聞き取るのがやっとな程の小さな声で、ライリーは言った。航は堪らなくなって、拳を握った。




「あいつは、お前のことを本当に信じてたんだ。それは今もだ。騙されていたとしても、一緒に過ごした時間は本当だったと信じたいって。……馬鹿にも程があるだろ? でも、そういう奴だ」




 そういう奴だと解っていて、お前等は一緒の時間を過ごしたんだろう?




「お前が助けてくれって一言言ってくれたら、湊は何に代えてもその手を掴んでくれただろうさ」




 彼等は言葉が足りなかった。

 辛いんだと、苦しいんだと、助けて欲しいんだと一言でも伝えられたら良かった。そうしたら、湊は必ず力になってくれただろう。こんな利用するような形ではなく、肩を並べ合える仲間として。そして、それこそが、湊が本当に望んだものだった。




「被害届を出さなかったのは、温情なんかじゃねぇ。ただのエゴだ。……でも、俺はそういう湊の正義を心から尊敬してるし、守ってやりたいと思う」




 俯いていたライリーは空を仰いだ。其処には蒼穹なんてものは無く、出口の無い煤けた天井があるだけだ。


 ライリーの肩が微かに震えている。喉を鳴らすようにな自嘲が聞こえた。




「あいつのエゴが、俺を救うのか……」




 嘆きのようでありながら、ライリーは確かに笑っていた。それがきっと、湊にとって、唯一の救いになる。

 裏切られても信じて良かったと思える仲間が欲しかった。湊の願いはまだ終わっていない。それは不確定な未来に懸かっている。


 航は席を立った。

 もうこれ以上、話すことは無いし、聞く意味も無かった。ライリーが何を思って計画し、結果として何が起こったのかなんてこの場で知る必要も無い。




「答え合わせはしなくて良いのか?」




 部屋を出る直前、ライリーが言った。

 航は首を振った。答え合わせが出来るというのは、とても幸せなことだと思う。けれど、後から聞いたって何も出来ない。


 今、やるべきことはそれじゃない。




「俺は科学者じゃねぇからな」




 ライリーは胡乱な瞳で笑った。


 取調室を出た後、湊に電話をした。ゾーイとホセの入院している大学病院にいるそうなので、リュウの車で送ってもらうことにした。

 父と葵君はライリーと何か話があるそうなので、置いて来た。

 車内はとても静かだった。互いに窓の向こうを見遣り、掛けるべき言葉も無く、ぼうっとしている間に目的地に到着した。


 病院の入り口で湊が待っていた。その隣にリーアムがいたので、些か驚いた。リリーの定期検診の日だったらしい。


 リリーを迎えに行くというリーアムと別れ、三人で廊下を歩いた。日差しを一杯に取り入れた廊下は明るく、数日前の凄惨な事件が嘘みたいだった。


 湊は相変わらず、晴れやかに微笑んでいる。怒りも悲しみも嘆きも感じさせない穏やかな態度だった。エレベータに乗る直前、湊が飲み物を買って来るというので、航は付いて行った。


 ペットボトルのミネラルウォーターを三本と、ジンジャエールを二本。二人で分けて持った。エレベータに戻る前、湊がぽつりと問い掛けた。




「訊かないの?」




 何を、と問う程に愚鈍ではない。

 航は舌打ちした。




「お前こそ。話したいことがあるなら、聞いてやっても良いぜ」




 湊が噴き出した。

 何が面白かったのかはよく解らない。

 湊は一頻り笑うと、落ち着けるように壁へ背を預けた。




「ライリーとマーティンは何時、何処で繋がったんだろうと思って、調べたよ」




 確かに、それが一番の謎だった。

 二人には何の接点も無いのだ。そもそも、マーティンという男の正体は未だに不明である。

 湊は三本のミネラルウォーターを器用に片手で持ち、鼻の頭を撫でた。




「或る大学病院で、精神病の治療を目的としたグループワークがあってね、其処で知り合ったらしい。今から五年くらい前だね」

「精神病?」

「うん。……ライリーは、精神病だと思われていたんだね」





 五年前というと、ルーカス氏の妻、アメリアが入院していた頃だ。当時のマーティンは精神科医だった。其処でライリーと知り合ったと言う。




「ライリーは母子家庭でね、ハイスクールの頃、周囲から陰湿なイジメを受けていた。引き篭もるようになった息子を心配して、お母さんが病院へ連れて行った」

「……」

「そして、大学に入学して社会復帰する直前、お母さんは亡くなった。それが今から三年前。カウンセリングとして、マーティンとの交流は細々と続いていたらしい」




 航は、ライリーの生い立ちを想像した。

 学校での陰湿なイジメ、母から貼られた精神病のレッテル。唯一無二の家族を亡くした時、ライリーは何を思っただろう。


 天涯孤独となったライリーに残された唯一の繋がりが、マーティンだった。けれど、彼は大切な人を奪われた復讐鬼だった。


 何かしてやりたいと思っただろう。

 マーティンの為に何か。


 そして、ライリーは湊と出会った。

 他人の嘘を見抜ける湊とルーカス氏を引き合わせることが出来れば、その罪を暴くことが出来るのではないか。


 けれど、マーティンは司法による裁きを求めていなかった。ルーカス氏を殺してやりたい。ただそれだけだったのだ。


 復讐に取り憑かれたマーティンは、実の娘を利用した完全犯罪を計画する。現代の科学捜査では立証不可能の筈だった。

 湊と航が興味を持ったことは、マーティンにとって不測の事態だった。計画を知っていたライリーは、捜査に協力しながら、事件を解決する為のヒントを与えて行った。


 完全犯罪という予定調和を、壊す為に。




「誰にも理解されないというのは、本当に辛いことだ」




 湊はそんなことを言った。


 湊は他人の嘘を見抜ける。歪で悲しい能力だ。だけど、湊には理解者がいた。同じ性質を持った父、それを不気味と思わず、変わりなく接した家族。


 でも、ライリーにはいなかった。

 誰もライリーを理解しようとせず、耳を傾けなかった。




「俺はライリーの理解者には、なれなかった」




 身を起こし、湊はペットボトルを抱え直す。その背中がとても小さくて、消えてしまいそうに見えた。


 デイビス氏に掛かって来た非通知の電話。

 掛けたのは、きっとライリーだ。


 いつか双子の天使が現れて、貴方の罪を糺すだろう。その時、貴方は初めて許される、と。


 双子の天使とは、サンダルフォンという犯罪予測装置ではなくて、きっと。


 航は小さな背中に向かって言った。




「ライリーにとって、お前はヒーローだったよ」




 少しだけ振り向いて、湊は微笑んだ。




「そうだったら、良いな」




 温くなる前に、行こう。

 今更なことを言って、湊が歩き出す。其処には涙なんて当然無くて、それが何故だか悲しかった。

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