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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
12.テンペスト
82/106

⑸彗星ヒーロー

 入り組んだ街路を走り抜ける。スピードメーターは見なかった。一分一秒でも早く、目的の場所に到着しなければならなかった。


 風が痛いくらいだった。

 後部座席のリュウが上手く体重移動してくれるのが地味に有り難い。




「湊の手紙をSLCへ流したのは、オリビアです」




 風の唸りの中で、リュウが言った。

 航はハンドルを握りながら、頷いた。流石に振り返る余裕は無い。




「オリビアはアンカー理論を信じていましたから。そして、湊は自分の救いだと……」




 解る。

 自分の不幸を拡散してしまうオリビアに対して、一番被害を受ける筈の湊は、それを不幸とは思わなかったのだ。彼女にとって、湊は救いだった。




「オリビアがそれをSLCへ流した理由を、ホセは最後の一文のせいだろうと言っていました」




 最後の一文?

 運転に集中しながら、考え事は危険だ。


 交差点に進入した時、左から大型トラックが飛び出して来た。甲高いブレーキ音と共にタイヤが横滑りする。視界を大きく塞がれる。航はハンドルを強く握り、ドリフトの要領で車体を傾けた。


 アスファルトの上を勢いよく滑りながら、バイクはトラックの下を潜った。

 マフラーがアスファルトの上で火花を散らす。吹き飛ばされそうな遠心力だ。高揚感が胸を突き上げ、航は自然と笑っていた。


 体勢を立て直し、交差点中央で停車するトラックをサイドミラーで確認する。酷い渋滞が起きていたが、事故が無いことにほっとした。ヘルメットの頭頂部が擦れたような気もしたが、仕方無い。航は叱責される前にアクセルを回した。


 バイクが弾丸のように走り抜ける。

 周囲の風景が凄まじい勢いで通り過ぎて行った。


 左手に大きな川が流れている。不審船の姿は見えない。ライリーと連絡を取っているリュウが、もっと下流だと言った。追い付けそうだとも。


 何処からかエンジンの音が聞こえる。ライアン達だろうか。ハーレー独特の乾いた排気音が心地良い。


 後は直線だ。

 航は背中に向かって怒鳴った。




「最後の一文って何だよ!」




 湊じゃあるまいし、長々と書かれた論文を一言一句覚えている訳じゃない。リュウが言った。




「大切な友達に捧ぐ、と」




 は?

 思わず間抜けな声が出てしまった。

 覚えている。湊のサインの下に、小さく記された一文。それこそが、論文ではなく手紙であるという証明だったのだ。


 それが原因だとするなら、つまり、オリビアは湊を友達だと思っていなかった?

 其処に憤りを覚えたと言うのならば、オリビアは友情以上の感情を抱いていたことになる。ーーだから、ホセは気付いたのか。




「あの湊に、そんなの解る訳ねぇだろ……!」

「ええ。僕等もそう考えていました。だから、何も知らせなかった」




 湊だけが、知らなかった訳か。

 皮肉なことだ。オリビアの為に書いた手紙が、オリビアを殺したのか。いや、違う。これは科学の解釈でもない俗物的な感情の行き違いだった。彼等が置き去りにして来た感情論の復讐だ。


 湊の偏見の無さや冷静さが、全て裏目に出た訳だ。

 虚しいし悔しいけれど、それ以上に、腹が立った。はっきり言って、下らないのだ。そんなこと、口で言えば良かっただろう。


 湊が態々論文に纏めるから、ややこしくなったんだ。

 でも、湊のせいだとはどうしても思えなくて。だって、湊はオリビアの為に……。




「湊があの手紙を書いた理由を聞いていますか?」

「オリビアのせいじゃないって、伝えたかったんだろ」

「そうです。それから、彼女のアンカー理論が立証された時にこそ、あれが必要になると」




 アンカー理論が立証された時、多くの人がレッテルを貼られ、虐げられる。疫病神、不幸の避雷針。苦しむ人々の悪意の矛先が向かうのは、オリビアだ。


 以前、ゾーイが言っていた。

 科学者は純粋な生き物。成果に囚われて、人としての倫理を見失うことがある。


 多くの人がレッテルに苦しむ時、湊の論文が意味を持つ。超能力は身体機能であり、遺伝する。彼等が特別なのではなく、程度の差はあれど、人は誰しもこの因子を持っている。そして、それを緩和、或いは打ち消す術があるかも知れないと。




「そういうことか……」




 誰にともなく、航は呟いた。

 聞いてみると呆気ない。かと言って、どんな高尚な理由があったとしても、自分はオリビアを肯定するつもりは無かった。




「俺は当事者じゃねぇから、勝手なことを言うぜ。……全部、下らねぇよ」




 彼等は言葉が足りなかった。

 互いを思い遣る気持ちは持っているのに、それを伝えることを怠った。だからこそ擦れ違い、修復すら出来なかったのだ。


 自分は研究者でもなければ、革命家でもない。正義も悪もどうでも良い。きっと、オリビアが悪かったように、湊も悪かったんだろうと思う。


 誰がどのくらい悪かったかなんて、罪の比重を測ったところで誰も救われない。オリビアは死に、湊は生きている。それ以上の答えは必要が無かった。どの道、自分は湊の味方しか出来ないし、するつもりも無い。


 オリビアの事情なんて知らないし、どうでも良い。勝手に思い込んで勝手に暴走して、勝手に湊を巻き込んだだけの迷惑な加害者だ。だけど、どうしても湊の言葉が脳裏を過るのだ。


 ーー溺れる者が間違ったものを掴んだとして、誰にそれを責められる?


 責めて良かったんじゃねえの?

 航はそう思う。他人に興味が無い癖に、どうしてこんな時ばかり優等生みたいなことを言うのだろう。




「お前等にも事情があったんだろうとも思うけどな、……あんまり、あいつに隠し事してやるなよ」




 湊には他人の嘘が解るのだ。この半年、兄は仲間に欺かれていたことになる。どんな気持ちでいたのだろうと想像すると苦しくなる。




「俺は湊が笑ってんなら、それでいいんだよ」




 例え、其処が地獄だとしても。

 リュウは笑ったようだった。


 暫く無言で走った。余計なことを考えたくなくて、運転に集中する。その時、リュウが前方を指差した。




「あと少しだそうです。……あれでは?」




 不審船。

 それは一見すると錆びた鉄の塊である。船体は深みのある緑色で、看板には積み木のように船室が重なる。取り立てて特別なものには見えなかった。


 河川の対岸にライアンの乗ったハーレーが見えた。

 どれだけ応援を呼んだのか、彼の後ろにはバイクに跨った仲間達が連なっている。心強いけれど、船を相手にバイクでは太刀打ち出来ない。


 船は今にも海へ出そうだった。

 距離が遠い。乗り移れそうにない。


 どうする。

 航が顔を歪めた時、クラクションが鳴った。

 対岸のライアンが前方を指差す。可動式の鉄橋があった。今は上がっている。それが下りたところで、足止め出来るとも思えない。予想以上に船が小さかったのだ。


 けれど、ライアンは速度を上げて走って行く。

 間に合うか、微妙なところだ。だけど、やれることは全部やる。


 身を低くして加速する。此方の動きに気付いたの船は速度を上げた。航は奥歯を噛み締めた。海に出られたら終わりだ。


 どんな魔法を使ったのか、鉄橋が唸りながら下りて行く。どうせお得意の怖い顔だろう。今はそれが頼もしい。




「しっかり掴まっとけよ」




 岸から鉄橋へ乗り移る。

 アーチを描く上部構造にタイヤを乗せ、あとはアクセルを全開にした。ボルトのせいで安定しない。ハンドル操作を間違えばお終いだ。だが、こういう緊張感は嫌いじゃない。


 不審船が鉄橋を通り抜ける。

 航はハンドルを切った。


 距離にして二十メートル。

 バイクは空を飛んだ。不審船の操舵室から体格の良い男が顔を覗かせる。狼狽しているのが、可笑しかった。








 12.テンペスト

 ⑸彗星ヒーロー









「蜂谷湊君。君に一つ呪いを掛けよう」




 アンバーの手には硝煙の昇る拳銃があった。

 照準はルークに定められ、動かない。そして、湊の足元には動かない血塗れの人が積み重なっている。


 一番上には、あの妊婦が。

 胎児を守るように身体を丸め、動かない。

 彼女の後頭部には穴が空いている。血液と脳漿が飛び散り、部屋の中は悪臭に満ちていた。


 撃鉄を起こす音が木霊した。

 アンバーは感情の死んだ無表情だった。




「君に救いは訪れない。君は永遠に許されない」




 脊髄反射のように、湊は口を開いた。


 許されたいだなんて、思っていない。

 だが、それは声にはならなかった。


 頭の中が真っ赤に染まっていた。唇がぶるぶると震え、耳鳴りがする。何かを言い返そうと思うのに、言葉が出て来ない。


 足掻いても足掻いても這い上がれない、沼の中にいるみたいだった。憤怒、悲哀、慟哭。湊が遠去けて来た凡ゆる感情が思考回路を埋め尽くして行く。


 沈黙は肯定だ。口汚いスラングでも、聞くに堪えない罵声でも、悍ましい呪いの言葉でも、何でも良いから言い返すべきだった。それなのに、肝心な時に言葉が出て来ないのは、何故なんだろう。


 悔しさに唇を噛み締めた時、部屋そのものが揺れる程の物凄い音がした。


 頭上だ。

 何かが落下したのだろうか。

 それとも、衝突した?


 聞き慣れたエンジンとスキール音。

 その音を聞く度に、まるで長い夜が明けて朝日が顔を出したかのような希望を思い出す。


 アンバーの表情に焦りが映る。

 初めて見る顔だ。頭に上った血が下がり、思考が明瞭になるのが解る。


 悲鳴と銃声。

 エンジンの音は止まない。


 薄い鉄の扉が、勢い良く吹き飛ばされた。




「俺が許す」




 声、が。

 生まれる前から一緒にいた唯一無二の存在が、凛と背筋を伸ばして声を上げる。




「湊の弱さも狡さもエゴも、全部俺が許す」




 厚い雲の隙間から光が差し込むように。

 バイクに跨ったヒーローは、蛍光灯の白い光を背負っていた。


 希望が肌一面を熱くする。

 あの日の胸を掻き毟るような慟哭と、幾ら藻搔いても這い上がれない絶望が脳裏を過る。その度に弟の声がする。




「俺は湊の味方だ。どんな時も、絶対に」




 両目が熱かった。眼球が溶け出してしまうのではないかと恐ろしくなる。湊は喘ぐように弟の名を呼んだ。だが、その時、ヒーローの後方から銃声が響いた。


 銃弾はヘルメットの上を滑り、壁に穴を開けた。後部座席に座っていたリュウが飛び降り、扉を閉める。

 ひしゃげた扉は完全に閉まっていないけれど、無いよりはマシだろう。


 同時に飛び降りた航がアンバーに掴み掛かる。バスケで鍛えて来た航と、猿山のボスだ。拳銃を持っていたとしても、実力差は歴然だった。


 航はアンバーの腕を捻り上げて後ろ手に拘束した。

 その間にもリュウが湊の拘束を解いてくれた。鉄の手錠だったので、アンバーの持っていた拳銃で鎖を断ち切った。随分と手慣れていたので、いつか、理由を訊いてみたいと思った。




「アンタを人質にすれば突破出来るか?」




 ヒーローとは思えない凶悪な笑顔で航が言った。

 さっきまでは本当に格好良かったのに。




「いえ、もう大丈夫でしょう」




 リュウが言った。

 何処からかヘリコプターの音が聞こえる。

 FBIだと、リュウが教えてくれた。


 顔を真っ青にしたアンバーが震える声で叫んだ。




「お前等、こんなことしてただで済むと思うな!」




 三下の常套句だな。

 湊は両手首に手錠を下げたまま、アンバーに近付いた。罵倒するべきなのか、叱責するべきなのか、それとも何も言う必要が無いのか。湊には判断が付かなかった。


 今は兎に角、家に帰りたかった。

 父がいて、母がいて、航がいる。四人で食事して、暖炉の前で微睡んで、ふかふかのベッドで、航の寝息を聞きながら眠るのだ。そんな何でもない日常を大切だと思う。だから。




「もう、終わりにしよう」




 疲れていたのだ。心身共に限界だった。ーーだから、その予兆に気付かなかった。


 アンバーが嗜虐的な笑みを浮かべたのが見えた。そして、次の瞬間、熱波が床板を突き破った。

 世界が激しく揺れ動き、立っていられない。湊は血塗れの遺体の上に倒れ込んだ。死後硬直が始まっていない。そんなことをぼんやりと悟った。




「ーー待てッ!!」




 航の怒声が響き渡る。

 船底から突き上げるような爆発が起こっている。アンバーの姿が無かった。湊は滑る床を蹴って走り出した。




「湊!」




 リュウの声が背中に刺さる。だが、止まる訳にはいかなかった。

 アンバーが何をするのか手に取るように解る。彼は新興宗教の教主だ。逃げ延びて玉座に収まるくらいなら、死を選ぶ。そういう人だ。


 廊下は火の海だった。SLCの会員らしき男達が悲鳴を上げて逃げ惑う。激しい炎が壁と天井を舐め、酸素があっという間に消費されて行く。


 アンバーはドラマを求めるだろう。

 犬死ではなく、名誉の死を。そして、彼は英霊として讃えられ、会員の心を未来永劫に縛るのだ。


 そんなこと、絶対に許さない。


 オリビアの横顔が脳裏を過った。

 あの頃の俺はガキで、目に見えるものが世界の全てで、手の届くものは全部救えると思っていた。


 幾ら足掻いても、願っても、縋っても届かないものがある。救えなかったものが、守れなかったものが沢山ある。


 だから、立ち止まらない。ーーこんなところで諦めて堪るか!


 開け放たれた扉が見えた。船の構造としては船長室に当たる。湊が転がり込むと、アンバーは拳銃を片手にカメラの前に立っていた。


 肌一面に鳥肌が立った。

 もう無我夢中で、湊はアンバーに取り付いた。天井と壁に向かって発砲が二回。一発は頬を掠めた。湊は両手で拳銃を押さえ付け、腹を蹴り飛ばした。


 名誉の死、殉死なんてさせてはならない。

 英霊と称えさせてはならない。

 この行為を法で裁かねばならない。


 途端に二人して壁に衝突し、噎せ返る。湊は窓を破って拳銃を投げ捨てた。

 再び船底から爆発が起こった。轟々と水の唸りが船体を震わせる。浸水しているのか、傾いている。早く此処から脱出しなければならない。


 アンバーは意識を失ってしまっているのか動かなかった。このまま沈んだら、死なせてしまう。

 壁に掛けられたライフジャケットを引っ掴み、アンバーに無理矢理着せた。脈拍を測る。意識は無いが、呼吸はしていた。


 ほっとしたのも束の間、一際大きな爆音が轟いて、湊の意識は爆炎と熱波の中に消えてしまった。

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