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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
12.テンペスト
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⑶52ヘルツの鯨

 誰もいない病院の玄関で、航は愕然と立ち尽くしていた。身体中から凡ゆる活力が根刮ぎ奪われ、目の前が暗くなって行く。

 足元に落ちていた携帯電話が突然鳴った。ディスプレイに表示されたのはライリーの名前だった。


 震える手で応えると、スピーカーの向こうから捲し立てるような口調で状況を尋ねられた。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、何も答えられない。状況なんて、こっちが知りたいくらいだった。


 答えられずにいると、いつの間にかやって来たリュウが後ろから携帯電話を奪った。




「湊がいなくなりましたよ。この周辺に映像記録は残っていませんか」




 リュウは冷静だった。多分、彼等は予測していたのだ。最悪の事態を想定して、いざという時に動けなくならないように、最善を尽くせるように。


 頭がぼんやりとしていてまともに思考出来なかった。膜の中にいるみたいにリュウの声は遠くに聞こえた。少し話をするとリュウは通話を切って、覗き込むようにして問い掛けた。




「何か、SLCと接触した覚えはありませんか」




 航は首を振った。

 知らないし、解らない。どうしてこの場所が特定されたのかなんて予想も付かない。

 リュウは僅かに目を眇めた。




「湊はセキュリティを万全にしていました。それは僕等も解っています。ですが、こうして攫われている以上、何処からか情報が漏れたのでしょう」

「……俺を疑ってんのか」

「情報の流出源を特定しないと、同じことの繰り返しです」




 尤もだ。だけど、自分とSLCに接点は無い。リュウがこれだけ言うのだから、湊の情報が彼等から漏れることは無いのだろう。


 その時、不意にルークの言葉が蘇った。


 ーーSLCのデータバンクにハッキング掛けたらさぁ、湊専用のファイルがあって……。


 まさか。

 血の気が引いて、航は走り出した。

 駐輪場に停めたバイクの後部座席、ビニール袋が括り付けてある。喫茶店のロゴの入った袋に、電源の落ちた携帯電話が入れられていた。


 故障した筈だ。

 恐る恐ると電源を入れると、不気味なピエロの首が浮かび上がった。此方を指差して嘲笑っている。




「ーークソッ!!」




 思わず地面に叩き付けようとして、リュウに止められる。奪うみたいに携帯電話を取られ、航はその場に立ち尽くした。

 リュウは眉間に皺を寄せ、苦く問い掛けた。




「何故、貴方の携帯電話に?」

「……俺の友達が、SLCのデータバンクにハッキングしたんだ。其処で、湊の論文データを盗んだ……」




 その盗んだファイルに通知機能が付いていたのだろう。自分は、SLCの掌の上で踊らされていたのだ。

 リュウはポケットから自分の携帯電話を取り出して、ライリーに電話を掛け始めた。




「此方は特定出来ました。ライリーはどうですか?」

『そんなド田舎、監視カメラなんてねぇよ。近隣の町と高速を監視してるけどな』




 二人の声が頭の中に響く。自分が引き起こした事態なのだ。この場で立ち尽くしていても何も変わらない。

 ふと気付く。ルークは?


 湊の携帯電話を取り返し、ルークに電話を掛けた。呼び出し音は鳴るのに、応答しない。舌を打ってライアンへ掛ける。

 ライアンも、ルークと電話が繋がらないことを心配していた。家に行っても誰もいない。何処にいるのかも解らない。何か知らないかと問い掛けられて、航は言葉を失くしてしまった。


 鼓動が早鐘のように鳴っていた。

 嘘だろ。ルークまで巻き込んでしまったのか?


 湊は言っていた。

 航を巻き込めない。その意味を嫌になる程に痛感する。




「ライリーがその携帯電話の解析をしたいそうです。何か手掛かりを掴めるかも知れないと」




 通話を終えたリュウが、静かな声で言った。

 航は頷いた。何も出来ることが無いということが、堪らなく悔しかった。







 12.テンペスト

 ⑵52ヘルツの鯨







 通常なら四時間掛かる道程を半分程度の時間で到着した先、ライリーの自宅には湊の仲間が勢揃いしていた。出迎えたライリーは石のように固い表情で黙り込んでいる。

 どんな叱責も甘んじて受けるつもりだった。だが、彼等は一度たりとも責めはしなかった。それが、苦しかった。


 航が携帯電話を手渡すと、ライリーの顔が曇った。




「……このピエロな、去年、湊の携帯にも送られて来たんだ」




 それは湊がSLCから襲撃を受ける直前だったと言う。

 犯行予告なのか脅迫なのか知らないが、当時の彼等はその正体を知りもしなかった。




「お前の友達が盗んだファイルは、湊の論文だけか?」

「……いや」




 そういえば、ライリーは別のことを言っていた。

 ファイルの中に湊の叫び声みたいな音声が入っていたと。生憎、開く前に携帯電話が爆発したので、聞くことは叶わなかったのだ。


 ライリーの自室で、携帯電話をUSBケーブルに繋ぐ。目の前のパソコンのディスプレイにピエロが表示され、腹が立った。後ろで様子を伺っていたホセが冷たく笑う。


 息苦しい程の緊張感に包まれ、室内は静まり返っていた。ライリーがエンターキーを叩くと、ディスプレイには二つのフォルダが表示される。

 一つは、湊の論文のデータ。其処には悪趣味な映像データが仕込まれていた。ライリーがトロイの木馬だと言った。




「この映像はね、本物なのよ」




 ゾーイは顔を歪めていた。

 サバトを連想させる真っ赤に染まったグロテスクな動画には、湊の声が合成されている。




「生贄になったのは十七歳の少年です。悪魔払いと言って、SLCは彼を惨殺した」




 十七歳?

 自分達と、同い年じゃないか。




「これはSLCから湊への挑発です。この少年は湊の代わりに殺された。……僕等はSLCの動向を見張っていました」




 自分の代わりに殺された少年を、湊はどんな思いで見詰めていたのだろう。




「此処に合成されている音声は、去年の夏、湊がSLCの教主と対峙した時のものですね。大勢の会員の前で叱責しましたから、恨まれているでしょう」




 自分が想像していた以上に、湊の敵は大きかったのだろう。一般人の自分達には到底太刀打ち出来ず、こんな明らかな犯罪行為を咎めることが出来ない程度には、危険な組織だった。




「もう一個のファイルも開けるぞ。ウイルスは無さそうだ」




 ライリーは音声ファイルを開いた。

 航が息を詰めて見守る中、それは突如として響き渡った。




『うわああああああああッ!!』




 絶叫。

 予想だにしていなかった音声の大きさに心臓が跳ねる。


 憎悪、憤怒、悲愴、絶望。悲鳴なのか慟哭なのか、怒号なのか。血を吐くような凄まじい叫び声が迸る。




『殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!』




 それは、怨嗟に染まった憎しみの言葉だった。




「オリビアが死んだ時だ……」




 愕然と、ライリーが呟いた。


 オリビアは病院で亡くなった。

 以前聞いた情報を思い出す。安らかな最期では無かったと言う。死の瞬間に湊の腕を掴んで、「君だけが守れるものが何処かにあるよ」なんて無責任な言葉を告げて。


 その、直後か。

 湊は他人事みたいに語っていたのに、実際は血を吐くような慟哭が響き渡っていたのだ。


 航には、それがあの湊の声だとは思えなかった。聞くに堪えない悪辣なスラングは、言語と呼ぶよりも音に近い。


 湊の絶叫の後ろでは、激しい物音と言い争う人々の声がする。聞き取れない雑音の最中、搾り出すような兄の声が聞こえた。




『この落とし前は、必ず着ける……!』




 それは、覚悟や決意と名付けるには余りに暗く淀んだ呪いの言葉だった。


 ノイズ混じりの音声は、皮のベルトが千切れるような音と共に唐突に消えた。


 全てを聞き終えた航は、ただ絶句していた。


 航は、挫折を知っている。深い絶望の底で、足掻いても足掻いても手の届かない遥か天空の光を眺めるだけの日々を知っている。ーーだが。


 その光さえ見えない、救いの無い絶望が、其処には克明に記録されていた。

 湊の挫折。航は、まるで正義のヒーローが悪に屈したかのような酷い虚無を感じずにはいられなかった。


 痛い程の沈黙が流れた。誰もが言葉を無くし、悲嘆に暮れている。その中で、ライリーはパソコンを操作し始めた。




「SLCの会員用ページにハッキングを掛けてみるよ。俺は其処等の素人とは違って、足跡は残さねぇからな」




 凄まじい勢いでキーボードが叩かれる。動いていなければ死んでしまう。そんな彼の焦りが透けて見えて、辛かった。




「……おい、これ」




 ライリーが愕然と呟いた。

 航が身を乗り出してディスプレイを覗くと、其処には薄暗い室内の映像が映っていた。

 息苦しい程の閉塞感を伴った個室、天井に吊るされた裸の白熱灯、画面中央には椅子に座った少年が一人。カメラの外にいる誰かと会話しているらしく、視線は合わない。


 湊だった。

 後ろで両手を縛られているのか、窮屈な姿勢で、何者かをじっと見据えている。口元が動いているが、音量が小さいせいで聞き取れない。

 察したライリーがボリュームを上げる。




『君は他人の嘘を見抜くことが出来る』




 妙な威厳と落ち着きを備えた声が、仰々しく語る。湊は無表情だった。




「この声、アンバーじゃない?」




 ゾーイが言った。


 誰だ、それは。

 航が睨むと、リュウが「SLCの教主です」と言った。

 SLCの教主は滔々と語る。




『人は誰しも嘘を吐く。君は他人の嘘を見抜けるにも関わらず、他人を信じることが出来る。それは何故なんだい?』

『……全ての嘘が悪い訳じゃない。それに、嘘が解っても、真実が見抜ける訳じゃない』




 乾いた拍手の音が木霊する。

 音の反響から考えて、本当に狭い密室だ。こんなところに二人きりで、一体何を、何故。




『君の力が欲しい。君は論文で、超能力とは脳から発生する電磁波の一種だと記していたね。そして、超能力が身体機能である以上、それは遺伝すると。……ならば、君の遺伝子にはどれ程の価値があるだろう?』




 超能力は身体機能の一つ。故に、それは遺伝する。

 以前、湊の論文に書いてあった。このアンバーという男は、それを信じたのか?


 否。きっと、これは思い付きじゃない。繋がる糸は、ロイヤル・バンクのルーカス氏だ。彼もまた、超能力に固執し、人権を踏み躙って妻を娶った。彼等は同じなのだ。




『どんな時も膝をつかず、前進することを諦めないヒーローの息子。君の遺伝子を僕は有効活用してみせる』




 狂ってやがる。

 航の呟きは、奇しくもライリーと重なった。

 その時、映像の中の湊が言い返した。




『……超能力も幽霊も、科学的な証明は成されていない。人は目に見えないものは信じない。それをどうやって証明する?』




 証明出来ない以上、それは机上の空論である。

 湊が協力しないのならば、証明の手立ては無い。




『君の能力を証明する為に、こんな余興を用意したよ』




 アンバーが言うと、拘束された二人の男が湊の前に転がされた。半狂乱で助けを求め、許しを乞うている。何処の誰かなんて知らないし、何の接点があるのかも解らない。

 アンバーが懐から拳銃を取り出す。黒光りする鉄の塊を彼等に向けると、撃鉄を起こす音が低く響いた。




『この二人の内、どちらかは嘘を吐いている。君が正解を選べたら、正直者は助けてあげよう』





 頭にかっと血が上った。

 このアンバーという男は、湊に彼等の命を委ねようと言うのだ。航には、アンバーが本心でそれを言っているのか解らない。だが、微かに揺れた湊の瞳に、胸が潰れる程、苦しくなった。




『この部屋にはカメラが回っていてね、映像はインターネットを通じて世界中のSLC会員の元へ送られているんだ。……君の仲の良いお友達なら、見られるかもね』




 ふざけんな!

 ライリーが叫ぶ。宥めながらも、リュウは鬼気迫る形相でディスプレイを睨んでいた。




『神がいないなら、君は何に祈るんだい? この如何ともし難い現実で、何に祈り、救いを求める?』




 湊は選ばない。ーー選べないのだ。

 そういう御人好しだった。唇を噛み締めて目を伏せ、まるで全てを拒絶しているかのようだった。




『時間切れだ』




 アンバーが言った。同時に、破裂音が二つ轟いた。

 後頭部を撃ち抜かれた二人の男が、折り重なるようにして湊の足元に倒れた。褪せたコンクリートの床に血溜まりが広がり、画面越しにも硝煙と血液の臭いが漂って来るようだった。




「嘘だろ……?」

「こんな嘘を吐く理由はありません。この男は本気です」




 リュウが冷たく言った。

 画面の向こう、湊は凍り付いたように動かない。返り血を頬に貼り付けて、目玉が零れ落ちそうな程に両目を見開いている。




『では、次だ』




 アンバーは笑ったようだった。

 画面の中央、湊は真っ白な顔色で、血を吐くように叫んでいた。




『俺を殺せ!!』




 当然、その望みが叶う筈も無く。

 俺を殺せ。湊が繰り返し叫ぶ。航は目が離せなかった。その間にも次の生贄が運ばれて来る。今度は若い男女だった。最初の男達と同じように拘束され、必死に助けを求めている。




『俺を殺せよ!!』




 願いは聞き入れられない。

 発砲音が響いた時、ゾーイが目を伏せた。アンバーの手下らしき男達が拳を振り上げ、恫喝する。それでも湊の答えは変わらない。




「神木さんに連絡したぞ。すぐに捜査本部を立てて、救出に動き出すってよ。神木さんも、此処に来てくれるってさ」




 ライリーが言った。空いた片手で別のパソコンを操作し、天井近くのディスプレイを指し示す。




「この映像、SLCの会員しか見られなかった筈なんだけどな、……すごい勢いで拡散されてる」




 ディスプレイの中に無数のウィンドウが開いて、映像が共有されている。何も知らない人々が、画面の向こうの騒ぎに好き勝手なことを語り始めていた。


 どうして答えないんだ?

 嘘でも答えれば、片方は助かるのに。

 彼の優柔不断が多くの犠牲者を出している。


 ネット中継では、選ばない湊への批判が溢れていた。それが航には酷く不快だった。


 湊は選ばないという選択をしたのだ。これから提示される選択が幾つあるのか解らない現状において、主犯の意図を裏切るその選択は、湊自身の命を危険に晒しながら、目に見えない可能性を救っている。


 選べばどちらか一方が助かるというのだって、真実とは限らない。ならば、今の湊に出来るのは、無言を貫くことだけなのだ。


 リュウが言った。




「湊の選択は正しいでしょう。けれど、それを理解する人は少ない。いつもそうです。彼の正義は理解され難い」




 それは、痛い程に解る。

 湊を優柔不断と罵る全ての他人に教えてやりたい。




「僕は、湊の研ぎ澄まされたような正義が、何も知らない他人に汚されようとするこの現状が許せない」




 ゾーイは苦く頷いて、携帯電話を取り出した。

 誰かと通話を始めたと思ったら、手渡された。画面に映る名前は葵君だった。




「葵君、湊が……」

『解ってる。湊は必ず俺達が助ける』




 捜査の動き出しは驚く程には早かった。

 警察関係者は、湊に対して好意的だった。それは、あの悪魔の加害者二人組に毅然と言い返した姿を知っているからだ。


 選べないのではなく、選ばない。

 湊の選択の意味を、警察だって解っている。だから誰も責めず、一刻も早く湊を救おうとして捜査を進めている。


 悔しかった。

 画面の向こうで湊が苦しんでいるのに、自分は何も出来ない。この声は届かない。




「頼むよ、葵君。湊を、俺の兄貴を助けてくれよ……!」

『当然だ』




 葵君が言った。

 現在、彼等の居場所は特定出来ていないらしい。海外のホストを無数に経由しており、映像は他者から他者へ拡散されている。




『だからこそ、プロファイルが活きる』




 感情を読ませない強い声で、葵君が言った。

 悔しいけれど、今は葵君に任せるしか無かった。


 俺を殺せ。

 画面の向こうから、湊の悲痛な叫びが聞こえる。航は拳を握り、ただ堪えていた。

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