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ハロー、マイヒーロー!  作者: 宝積 佐知
12.テンペスト
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⑵ツークツワンク

 善意が常に受け入れられる訳ではないし、困難の中にある人が必ずしも助けを求めているとは限らない。


 そんな当たり前のことを態度で示されるまで気付かなかったあの頃の自分はガキで、目に見えるものが世界の全てで、手の届くものは全部救えると思っていたんだ。


 論文の完成を待たずして、オリビアにメールを送った。


 どうしようもなく焦っていた。

 整理された彼女の机の上に、無数の薬のブリスターパックが並ぶようになったのだ。それがSLCより送られて来た新薬であることは知っていた。ゾーイとライリーが密かに解析すると、規定量を遥かに超える向精神薬の成分が含まれていた。


 このままでは、オリビアは廃人になってしまう。幾度と無く脱退を勧めたけれど、彼女は聞く耳を持たなかった。溺れる者は藁にも縋る。ならば、彼女を救える藁の一本になろう。せめて、その命を守れるように。


 メールを送ってから三日間、彼女は大学を欠席した。病欠だと聞いていた。そして、自分はSLCから襲撃を受けた。


 夜の森の中を逃げ回り、囲まれて、押さえ付けられ、酷く殴られた。彼等の目的が何だったのかは解らなかった。脳に受けた衝撃の為か、記憶が曖昧だった。


 目覚めると病院のICUにいて、防塵服を纏った父が見下ろしていた。

 肋骨二本と右腕が折れていた。内臓と鼓膜が損傷し、視界が生き物みたいにぐにゃぐにゃと蠢いていた。父の右手が、自分の左手を握っていた。春の陽溜まりみたいに温かい掌だった。


 何故だか悲しくて、悔しくて、遣る瀬無くて、涙が溢れた。父の顔が泣き出しそうに歪んだ。

 何を間違えたのだろう。何処が悪かったのだろう。自分に何が出来たのだろう。縋るように詰問すれば、父は言った。




「いいか、笑ってろ。世の中、笑っている奴が一番強いんだ」




 そんなことを言った父こそが泣きそうな顔をしていたのに。

 笑っていること。ただそれだけのことが、どれ程に難しいだろう。怒りも悲しみも悔しさも呑み込んで。


 諦めないことを誓った。正しさを証明する為ではなくて、自分が自分である為に。


 ICUから出られた頃、研究室の仲間が見舞いに来てくれた。ゾーイとライリーが声を震わせて泣いた。重傷の自分を見付けてくれたリュウは、普段の鉄面皮が嘘みたいに苦渋を滲ませた。

 ホセは静かだった。噴火直前の火山みたいだった。


 オリビアは一度見舞いに来ていたことを、看護師が教えてくれた。それを聞いたホセが、「どの面下げて来やがったんだ」と憎しみに染まった声で凄む。


 自分の携帯電話に、オリビアからのメールが届いていた。開いた瞬間、画面が真っ黒になって、気味の悪いピエロが現れた。

 トロイの木馬だと、ライリーが言った。出所を追えばSLCと繋がっていることが判明した。彼等は隠す気なんて無かったのだろう。これは警告なのか、それとも、脅迫なのか。


 オリビアが消息を絶ったことを知った。彼女の携帯のGPSを辿ると、海の向こうの島国に到達した。SLCの本拠地だった。

 猛烈に嫌な予感がした。このまま何もせずにいたら、一生後悔する。そんな悍ましい感覚に支配されて、強引に退院を捥ぎ取った。


 仲間は懐疑的だった。特にホセは、一連の事件のきっかけはオリビアであると考えていた。彼女がどうなろうと知ったことではない。




「あいつの為に人生捨てられるか? 俺には、無理だね」




 ホセはそんな風に言った。

 多分、食い下がる意味は無かった。これ以上、オリビアに関わるべきじゃない。だけど、それでも、此処で屈したら、もう何処へも行けないと思った。

 だから、決意した。彼女を救うことは出来なくても、迎えに行くことは出来る。自分はまだ、彼女の口から真実を聞いていないのだから。


 呆れる仲間と共に、海を渡った。

 招かれたSLC本部は大勢の会員で犇めき合って、とても息苦しかった。誰も嘘を吐いていないのに、何処にも真実が無い。まるで作り物の世界にいるようだった。


 裁判所を模した広間に連れて行かれ、教主と思しき壮年の男と対峙した。詰め寄せる大勢の会員達の熱気で全ての窓は曇り、酸素が薄かった。


 教主はこの場で自分を断罪すると宣言した。

 並べ立てられる美辞麗句には、一欠片の真実も無かった。それなのに、会員達は疑うことを知らず、心の底から教主を崇拝していた。


 気持ち悪かった。

 とても、笑っていることなんて出来なかった。

 自分の言葉が届くとは思わなかったし、期待もしていなかった。密かに潜入したリュウやゾーイが、オリビアを救出する為の時間を稼ぐ。その為に言い返した。


 偶々居合わせたというローカルな雑誌のカメラマンに撮られていたことを知ったのは、後の話だ。ただ、その時の自分は必死だった。


 SLCが行ったのは科学に対する挑戦ではなく劣悪な侮辱であり、人類の歴史に対する愚弄。悪質な集団洗脳と批判した。敵地の真っ只中で、とても正気の沙汰ではないだろう。

 仲間からの合図を受け、その場を脱出した。教主や会員の視線が纏わり付いて、気味が悪かった。


 リュウに背負われたオリビアは、眠っているように見えた。目の下に刻まれた深い隈と、痩けた頬、パサパサになったブルネットの髪が痛々しかった。でも、自分は間に合ったと本気で思った。病院に運ばれた彼女の容態は、医師が匙を投げる程に悪化していただなんて予想もしていなかった。


 重度の薬物依存により、オリビアの身体はボロボロだったのだ。臓器は既に正常な機能を失い、何の成分がどんな影響を齎していたのか見当も付かない。

 意識を取り戻したオリビアは、狂ったように自分の喉を掻き毟った。病室に血液が飛び散り、医師が押さえ付ける。今際の際に聞いた彼女の喘鳴に、心臓がどんどん冷たくなった。喘ぐように、縋るように、彼女に寄り添った。

 溺れる者が藁に縋るように、オリビアが自分の腕を掴んだ。余りの強さに骨が軋み、爪が皮膚を破いた。




「君だけが守れるものが、何処かにあるよ」




 その言葉の意味は、今も解らない。

 オリビアはそれだけ言うと、後は糸が切れるみたいに亡くなった。


 頭の中が真っ白になった。

 ずっと叫んでいた気がする。喉が痛かったと思う。


 俺はヒーローなんかじゃないんだ。

 世界の為でもなければ、先輩の為でもない。

 俺は、俺の為だけに立ち向かったんだ。

 俺が嫌だったから、我慢出来なかったから、納得出来なかったから……!!


 足掻いて、足掻いて、足掻いて、それでも何も変えることが出来ない。それなら、何の為に。


 俺は、何の為に……?








 12.テンペスト

 ⑵ツークツワンク








「蜂谷湊君、我々は君を歓迎するよ」




 顳顬に走る鋭い痛みと、微睡む意識の中で声が聞こえた。吐き気を催す程の既視感だった。湊は痛みを堪えながら視線を上げた。

 薄暗い密室と裸の白熱灯。上下左右は冷たいコンクリートで、何処かで低い唸りが聞こえる。


 此処は何処だろう。

 最後の記憶を辿る。病院の前に滑り込んだ緊急車両、開け放たれた扉の中、複数の男が待っていた。その中央、猿轡を噛まされ拘束されたルークがいた。


 巻き込んでしまった。

 絶望感に苛まれながら、自分は車に乗った。すぐに薬を嗅がされて、意識が途絶えた。抵抗するつもりは無かった。きっと、意味も。




「薬が強過ぎたかな」




 目の前の男は嬉しそうだった。口元は弧を描き、無抵抗の弱者を甚振り愉悦を感じるような下衆な笑顔だ。それが何者なのか、湊は知っている。


 半年ぶりだ。

 彼こそがSLC教主、アンバー・テイラーである。

 見た目は紳士然とした壮年の男であるが、琥珀色の瞳には何か得体の知れない凄みを感じさせる。理路整然とした口調と穏やかな物腰で、傷付いた人々をSLCの仲間へと引き入れて来た。


 けれど、湊は彼と相対すると、まるで自分の心の柔らかいところを探られているような居心地の悪さを覚え、不安に駆られるのだ。その正体が何なのかは解らなかったが、湊は彼と同じ種類の人間に出会ったことがある。


 そうだ。彼は、ーーエマに似ているのだ。

 他者を操ることに長け、嘘を吐いていないのに真実を語らない。完成された虚構の世界で、一人芝居を演じている。




「ルークは無事なのか」




 湊は愚直に問い掛けた。

 二人きりの密室に、ボイラーのような唸りが響く。


 椅子に座らされ、両手は後ろに縛られていた。金属の感触がある。脱出は難しそうだった。

 アンバーは琥珀色の瞳を眇めて笑った。




「今は無事だよ。君の態度次第さ」

「……要求は何だ」

「解っているだろう? あの論文だよ」




 解らない。だって、あれはオリビアを守る為に書いたただの手紙なのだ。

 湊が黙っていると、アンバーは嬉々として語り始めた。




「僕は君を買っているんだよ。……去年の夏、初めて君を見た時、まるで神の天啓を受けたようだった」




 アンバーはポケットへ手を伸ばした。

 其処から拳銃が現れても驚きはしない。しかし、その手にあったのは、小さなレコーダーだった。


 無機質なスイッチの音が響く。

 微かな雑音の中、声が流れ出した。




『貴方達の主義に共感することは出来ない……』




 聞き間違う筈も無い、自分の声だった。

 去年の夏、自分はSLCの本部で彼を叱責した。どうしてそんなものを態々?




『大層なお題目を唱えてはいるけれど、やろうとしていることは、力こそ正義という原始的で幼稚な子供の喧嘩と同じだ……』




 雑音と共に、会員達の醜い罵声が飛び交う。

 湊は覚えている。怒り、嘆き、呆れ、嘲笑う人々の中、アンバーだけがただ一人、嬉しそうに笑っていたのだ。




『科学とは、明るい未来を創る為のツールだ。……俺はそう思う。誰かを否定し貶める為の技術ではない。連綿と受け継がれて来た人類の叡智の結晶。未来を照らす可能性の光。それを虚栄心を満たす為だけに使われては、人類史に名を残して来た多くの偉人の功績を踏み躙ることになる』




 衝動のままに語った言葉が、悪夢のように蘇る。

 自分の伝えたかった思いは、願いは、きっと誰にも届かなかったのだ。他人の手で歪められ、恰も傲慢な唯物主義者のように曲解された。




『主義主張の異なる人々が共通の目標を持ち、足並み揃える未来はまだ遥かに遠いだろう。今も海の向こうでは戦争が続き、少年兵は銃を取り、母は敵を殺せと教える。……だけど!』




 耳を塞ぎたかった。

 誰にも届かないのなら、こんな言葉は無意味だ。救えなかった過去が目の前に立ち塞がり、呪いを吐き続ける。




『だけど、歩みを止めない限り、いつかは届く』




 アンバーがスイッチを押した。

 その顔面が愉悦に歪むのを、湊は愕然と見ていた。


 場違いな拍手が起こる。アンバーが両手を打ち鳴らし、室内は虚無に包まれていた。




「君は天才だ。僅か十七歳にして、あれだけ大勢の前で衒いも怯えも無く、感情の機微すら伺わせない冷徹さで、敵対する意見に対して論理的に否定してみせた。……僕はね、とても感動した。魂が喜びに震えるようだった」




 何を。

 湊の言葉は声にならなかった。拍手を止めたアンバーが、吟味するように此方を眺めている。




「あの場において、君だけが僕の嘘を見破ったんだよ。唯一、君だけが」




 そんなの、大したことじゃない。

 アンバーの目はずっと冷たかった。格子の中にいる実験動物でも観察するような、感情の死んだ目で、ずっと。




「君は他人の嘘を見抜くことが出来る。能力の発言は六歳。照合出来る統計データなんて持ち合わせていない無垢な子供だった筈だ。だが、君は他人の嘘を看破し、連続殺人犯の逮捕に貢献した」




 この男は、何処まで、何を知っている?

 足元を無数の虫が這いずっているみたいに気味が悪い。




「人は誰しも嘘を吐く。君は他人の嘘を見抜けるにも関わらず、他人を信じることが出来る。それは何故なんだい?」




 何故?

 そんなの、ずっと自問して来たことだ。




「全ての嘘が悪い訳じゃない」




 それに。

 湊は言った。




「嘘が解っても、真実が見抜ける訳じゃない」




 アンバーが喉を鳴らして笑った。

 そして、思い出したかのように再び両手を打ち鳴らした。




「素晴らしい。その謙虚さは人間の美徳だ。全ての人が君のような高潔な魂を持っていれば、争いの無い世界も夢じゃないだろうね」




 過剰評価だ。自分はそんなに素晴らしい人間じゃない。弱くて卑怯で傲慢で、目の前の女の子一人救えなかった、ただのガキだ。

 アンバーは側にあった椅子を引き寄せると、演技掛かった動作で着席した。琥珀色の瞳が覗き込むようにして此方を見る。




「僕はね、君の能力はPSIだと考えているんだ。だって、そうじゃなきゃ説明が付かないだろう? 君の脳には可能性がある」




 PSIは脳機能。

 自分が、オリビアへの手紙に書いた。




「君の力が欲しい。君は論文で、超能力とは脳から発生する電磁波の一種だと記していたね。そして、超能力が身体機能である以上、それは遺伝すると。……ならば、君の遺伝子にはどれ程の価値があるだろう?」




 アンバーは両手を組むと、口角を釣り上げて言った。




「どんな時も膝つかず、前進することを諦めないヒーローの息子。君の遺伝子を僕は有効活用してみせる」




 違う、違うんだ。

 俺はそんなことの為にあの手紙を書いた訳じゃないんだよ!


 未だに解明されない超能力というもので、謂れのない中傷を受ける人が少しでも減れば良いと思ったんだ。オリビアのように、自らを呪いながら生きる人が祝福される未来が訪れたら良い。そう、思って。


 指先が冷たかった。視界がぶれる。アンバーの言っていることが何一つ共感出来ない。


 この人は狂ってる。そんな根拠の無い与太話を信じて、ルークを巻き込み、自分を誘拐したというのだろうか。




「……超能力も幽霊も、科学的な証明は成されていない。人は目に見えないものは信じない。それをどうやって証明する?」




 アンバーは肩を竦めた。




「そういえば、君は無神論者だった。アーロン教授とのディスカッションで、神はいないと宣言していたね」




 何故、そんなことまで知ってるんだ。

 まさか、ーーオリビアが?

 オリビアが自分の話をした?




「君の能力を証明する為に、こんな余興を用意したよ」




 アンバーが言うと、見計らったかのように背後の扉が開いた。現れたのは紙のような顔色をした二人の若い男だった。少なくとも、知り合いではない。

 彼等は怯え切った目で、縋るように助けを求めていた。その言葉に嘘は無かった。ただ、必死だった。


 アンバーは懐から拳銃を取り出した。黒光りする鉄の塊を彼等に向け、撃鉄を起こす。




「この二人の内、どちらかは嘘を吐いている。君が正解を選べたら、正直者は助けてあげよう」




 アンバーの言葉に嘘は無い。

 彼は、本当にどちらか一人を殺すつもりなのだ。そして、その決断を自分に委ねようとしている。




「この部屋にはカメラが回っていてね、映像はインターネットを通じて世界中のSLC会員の元へ送られているんだ。……君の仲の良いお友達なら、見られるかもね」




 狂ってる。

 湊は吐き捨てた。


 カメラは何処にある?

 猶予は? ルークは何処に?


 助けを求めて喚き散らす声が思考の邪魔をする。彼等の言葉は目の前に文字となって浮かび上がった。

 窃盗、殺人。己の罪を告白し、救いを求めている。


 湊には、()の嘘が解った。

 だけど、それをこの場で答えて何になる?




「神がいないなら、君は何に祈るんだい? この如何ともし難い現実で、何に祈り、救いを求める?」




 何に?

 アンバーの言葉は嘘じゃない。本当にどちらか一人を殺すつもりだ。希望的観測に囚われて、選択を見誤るのはもう沢山だ。でも、此処で俺が答えたら、もう一人は殺されてしまうじゃないか!




「さあ、ゲームスタートだ」

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